私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

私の自叙伝です。雄琴ソープ嬢だった過去をできるだけ赤裸々に書いてます。

201

 

ぐちゃぐちゃになっていた顔をなんとか綺麗に直し(泣いた後だと一目でわかるような顔だけど)、戸惑っている気持ちをなんとか奥にしまいこむ。

壁に取り付けられている姿見に全身を映し、“自分”を整える。

 

「…はぁ!」

 

一つ大きく息を吐き、背筋を伸ばす。

こういう時高いヒールは役に立つ。

どうしたってスッと立たなければならないから。

 

私はK氏への返事が決められないまま、高いヒールを鳴らして下のラウンジに向う。

とにかく私は今後も生きていかなければならないらしい。

どうやって?

どうやって生きていけばいいんだろう?

 

ホテルのラウンジはこじんまりとしたスペースで、薄暗い照明が大人の雰囲気を醸し出していた。

もうバータイムになっているらしく、ラウンジ入口正面にあるカウンター内には黒いベストに蝶ネクタイを着けた、美しく格好良い女性バーテンダーが立っていた。

K氏はカウンターの一番端の席に座り、横の壁に背を少しつけている。

K氏はどこのバーに行っても一番端に座り、必ず壁に背をくっつけて座る。

いつ誰が襲ってくるかわからない過去を持ち、未だにそんな世界に足をつっこんでいることをこの座り方が物語っていた。

 

「おう。早かったな。」

 

K氏はカウンターの端の席から私に向かって手を挙げてそう言った。

 

「あ、すいません。お待たせしました。」

 

私はペコっと頭を下げて、K氏の隣の席に座った。

 

「…うん。…泣いた後だってすぐわかる顔だな。ははは。」

 

K氏は私の顔を横からジッと見て笑った。

 

「あはは…そうですよねぇ。恥ずかしいです。」

 

私は少し下を向いて手で顔を隠した。

 

「ははは。…いや…綺麗だよ。」

 

K氏は私の手をどけて顔をチラッと見ながらカウンターに肘をつく。

 

「何飲む?お前は酒が強いからなぁ。」

 

優しい笑顔。

私は一気に自分が『いい女』になったような錯覚を起こす。

何度この感じにやられてきただろう。

 

薄暗いバーのカウンター。

心地よく流れるジャズ。

ロックグラスの氷の音がカランと小さく響く。

 

大人の世界。

私が憧れてやまなかった世界。

 

「お兄さんは何を飲んでいるんですか?」

 

「ん?俺はマッカランのロックだよ。」

 

「そうですか。じゃあ…私は…ジャックダニエルのロックでお願いします。」

 

「ほう。そうか。そうきたか。ははは。」

 

ジャックダニエルはK氏と一緒によく飲んでいたお酒。

ジャックダニエルはバーボンではないんだぞ。よく間違える奴がいるんだけどな。とK氏が教えてくれた。

 

「あの映画はよかったなー!ゆきえ、覚えてるか?」

 

K氏はジャックダニエルが出てくる大好きな映画の話しをし始めた。

一緒に映画を観て、一緒にジャックダニエルを飲んだ思い出。

 

「覚えてますよ。私もあれからもう一度観ましたもん。カッコイイですよねぇ。」

 

「あれはたまらないよなぁ!」

 

「あ、じゃあ…頂きます。」

 

私は目の前に差し出されたグラスを持ち上げ、K氏の方に向けた。

 

「おう。サルートー!!」

 

「あはは。サルート!」

 

K氏は乾杯の時、必ず「サルート!」と言う。

とても、とても懐かしく感じる。

 

「ゆきえはいくつになったんだっけ?」

 

ロックグラスにちびりと口をつけた後、K氏は私に聞いた。

 

「22になりました。」

 

「ほう。22でジャックダニエルのロックをバーで頼む女は早々いないぞ。はははは。」

 

「え?!そうですか?!お兄さんが仕込んだんじゃないですか!!あははは。」

 

笑っていた。

いつの間にか私は笑っていた。

ヤバい。

K氏のペースに巻き込まれ始めている。

 

「…おまえがいなくなって綾子はかなり落ち込んだんだぞ。少しでも時間ができたらお前を探してた。」

 

K氏はカウンター前のお酒がずらりと並んでいる棚を見ながらそう言った。

 

「あ…そう…なんですねぇ…」

 

私はK氏の横顔をチラッと見てから俯いた。

 

「おまえがいなくなってしばらくしてから代わりを入れようとしたんだよ。綾子と一緒に仕事を回していく新しい子をな。そうしたら綾子が反対したんだ。『ゆきえちゃんじゃなきゃ意味がない』ってすごい勢いでな。」

 

K氏は私の方に顔を向け、グラスを片手に持ちながら「はは」と笑った。

 

「あいつのあの時の勢いはすごかったな。それにお姉さんも同意したんだぞ。」

 

お姉さんとはK氏の奥さんのことだ。

K氏の奥さんは美人で聡明でとても気丈な女性。

仕事も家事も全てをこなせるとうていかなわない人だった。

 

お姉さんと綾子さんはとても仲が良く、2人してとても美しくて聡明だった。

この2人がいつもK氏のそばで仕事もプライベートも回していた。

私はこの2人に可愛がられていたけれど、同時に劣等感もかなり感じていた。

 

「おまえは綾子とお姉さんの2人に守られていた。そして絶大な信頼を寄せられていたんだな。あの2人がここまで言う女はおまえ以外いなかったよ。」

 

マッカランのロックに口をつけながらK氏は笑う。

私はその話しを聞きながら、嬉しさと申し訳なさを味わっている。

 

「あの2人はおまえのことを待ってるぞ。もちろん俺もだけどな。」

 

K氏はカウンターに組んだ腕を乗せ、顔を私の方に向けながら真剣にそう言った。

 

「あ…ありがとうございます。」

 

私は身体をK氏の方に向け、改めて深々と頭を下げた。

こんな卑怯な私にここまで言ってくれるなんて。

そして綾子さんとお姉さんがそんなことまで言ってくれてたなんて。

いたたまれなくてK氏の顔が見れない。

 

「お礼なんかいらないんだよ。俺はおまえの『戻ります』の言葉が聞きたいんだよ。」

 

K氏は私の肩をポンポンと叩きながらまた「はは」と笑った。

 

「まぁ飲もうぜ。これ飲んだらカシを変えようや。まだまだ夜は長い。な?」

 

「は…はい。」

 

私はまた流れて来そうになっている涙をグッと引っ込め、ジャックダニエルを口に含んだ。

 

 

「いい店があるんだよ。おまえもきっと好きだぞ。行こうぜ。」

 

K氏はスマートに支払いを済ませると私を外に連れ出した。

 

「狭い店だけどな、つまみも美味いしいいんだよ。砂肝炒めはぜったい食えよ。美味いから。ははは。」

 

K氏は高級店ではスマートな身のこなしを披露し、大衆的な店ではそこになじむ。

私はK氏のそういうところに惹かれていた。

 

K氏と一緒に町田の街を歩く。

緊張しながらも嬉しい。

 

「おまえはいい女だな。みんな振り返るぞ。ははは。」

 

お世辞だ。

この人はこうやって女をいい気分にさせる天才だ。

それがわかっていながら喜んでいる私はバカだ。

 

「そういう嘘やめてくださいよー。ほんと天才ですよねー。本気の女ったらしだなぁ、お兄さんは。」

 

私はK氏の少し後ろを歩きながら言葉を返した。

 

「お?おまえ、成長したな!はははは。」

 

「え?ここは認めるところじゃないですよね?もう一回くらい言ってくださいよー!あはははは。」

 

「お?そうかそうか。ごめんごめん!あははは。」

 

K氏とのふざけ合いも久しぶりだ。

こういう時間もたくさん過ごした。

怖い時間も酷い時間も辛い時間もこの人からたくさん与えられたけど、こういう楽しい時間もたくさんあったことを思い出す。

みんなが恐れるこの人と、こういうふざけ合うことができる優越感に何度浸っただろうか。

 

 

「ここここ。入れよ。」

 

K氏が連れて行ってくれたお店はこじんまりとしたバーのような居酒屋のような店だった。

コの字型のカウンターだけのお店で、暖色の木の壁にはいろんなチラシやポスターが雑然と貼られていた。

カウンターも暖色の木製で、店全体が雑然としながらも温かい雰囲気に包まれていた。

 

「こんばんわー。ここいい?」

 

K氏が慣れた口調で店主に話しかける。

 

「はい!いつもありがとうございます!いいですよー。」

 

恰幅のいい、人のよさそうな店主がにこやかに対応する。

K氏は迷わずカウンターの一番端、壁際の席を選ぶ。

 

「…まだこの席じゃないとな。ははは。いつ襲われるかわかんねぇんだよ。」

 

K氏はグッと背中を半分壁に押し付けて座る。

片足は床につけたまま。

 

「ずっと背中を見せたまま座るって怖い事ですか?」

 

私はK氏のその姿を見て、なんとなく聞いてみたくなった。

 

「…怖いな。恐ろしくて考えたくもないなぁ。」

 

私を一瞬だけチラッと見て、すぐに遠くを見つめながら答えるK氏。

この人の過去はどんなだったのだろう。

少しだけ胸が締め付けられる。

 

「レモンサワーくれる?ゆきえは?」

 

すぐに明るい口調に変わり店主に注文する。

 

「あ、私も同じもので。」

 

「じゃレモンサワー2つ。あと砂肝ね。あとは…また考えるわ。とりあえずそれでお願いします。」

 

私はにこやかに注文するK氏を見て心が揺れる。

 

この人のそばにいたい。

私はこの人のそばで成長したい。

 

そんなことをチラッと考えてしまっている自分に気付く。

そして立ち止まる。

 

いやいや。

そんなことをしたらまた前のようになるだけだ。

自分を押し殺し、恐怖をあじわう時間がまたやってくるだけだ。

 

「じゃ、サルートー!」

 

K氏が笑顔で私にグラスを向ける。

 

「あはは。サルート。」

 

カチンとグラスを合わせ、グイッとレモンサワーを飲む。

 

「美味いなー!お!砂肝もきたぞ!ゆきえ、食えよ。美味いぞー!」

 

「うわ!美味しそうですねぇー!頂きます。」

 

レモンサワーも美味しかったし砂肝も美味しかった。

そしてK氏の笑顔も淋しそうな顔も真剣な顔も愛しかった。

 

 

「で?戻って来る気になったか?はははは。」

 

会話の途中途中でふざけながら私に聞くK氏。

 

私はその度に「ありがとうございます。」と言い、はぐらかす。

 

戻ろうか。

いや、それはダメだ。

戻ればまたこの人と一緒に過ごせる。

いや、それは破滅への道だ。

戻らなければいけないんじゃないか。

いや、そんなことをしたら私はまた壊れる。

この人は私に戻ってきて欲しいと言っているんだから戻った方がいいんだ。

いや…

戻れば…

いや…

戻ったら私は…

いや…

 

心の中で延々と続く対話。

私は私と対話している。

 

 

「俺はおまえがいる未来しか想像できない。俺が想像する未来にはおまえの姿がいつもいるんだよ。そばにいてくれよ。」

 

K氏は何度もそんな言葉を私に言った。

私はその度に嬉しさを味わい、そして同時に戸惑いを感じた。

 

決められない。

どうしても決められない私がいる。

 

 

 

 

つづく。

 

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202 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

 

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はじめに。 - 私のコト

 

 

 

 

200

 

「おまえなぁ…」

 

K氏は両手で私の頬を挟みながら怖い顔で私を見ている。

 

「は…はい…すいませぇん…」

 

私は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら謝罪を繰り返した。

 

殺るなら早く殺ってくれ!

もう私に思い残すことはないし、このまま生きていたって辛いだけなのだから。

この人に殺されるならそれでいい。

こんな卑怯などうしようもない私なんて生きていたって仕方がないんだから。

 

 

「はぁーーー…!」

 

 

K氏は突然私の頬から手を離し、腰かけている椅子の背もたれにドンともたれかかって溜息をついた。

 

私はぐちゃぐちゃの顔のまま「え…?」と声をあげた。

 

 

「おまえ…なんて奴なんだよ。こんなの受け取れるか?俺はこんなものを返して欲しかったんじゃない!俺はおまえの為だったら1千万だって2千万だって用立てたぞ!それがなんだよ…俺は情けないよ…」

 

K氏はうなだれた様子で私にそう言った。

ほんの少しだけ涙を目に浮かべながら。

 

「俺はおまえをそばに置いて育てたかったんだよ。どんな手を使ってもそばに置いておきたかったんだよ!ただそれだけだったんだぞ!それがなんだよ…これは…」

 

K氏は自分で自分を責めているような口調で話す。

私はその言葉を聞いていたたまれなくなる。

 

「…すいません…ほんとうにすいません…私にはこんなことしかできませんでした…」

 

泣きながら謝るしかできない。

K氏の想いをくみ取れず、修業の日々に耐えることができず、私は逃げ出したのだから。

K氏を裏切ったのだから。

 

「…私はこのお金をどうしてもお返ししたくて、それだけで生きてきました。そして今日殺されてもいいと思ってここに来ました。私にはこれくらいのことしかできません…

なのでどうかそのお金は受け取って下さい!これを受け取ってもらえなかったら…もう…どうしたらいいか…」

 

私は泣きながら訴えた。

絶対受け取ってもらわなければ。

そうじゃなきゃ、私のこの11か月と少しの時間が台無しになる。

せめてそのくらいいいじゃないか。

こんな私の、こんなどうしようもない私のやったことが少しくらい報われてもいいじゃないか。

 

 

「…おまえは大した女だなぁ…」

 

 

K氏は驚くような言葉を吐いた。

私が「大した女」だと。

 

「え…?」

 

涙をボロボロと流しながらK氏を見る。

 

「…俺が見込んだだけのことのある女だよ。」

 

優しい、そして淋しそうな笑顔でK氏が呟いた。

 

「…俺はこれを受け取るぞ。おまえがケツから血を吹き出しながら貯めたこのお金を受け取るぞ。いいか?」

 

K氏は机の上に置いてある小切手を片手に持ち、ひらりと私に向かって掲げた。

 

「…はい。よろしくお願いします。どうか受け取って下さい。」

 

私は頭を下げてK氏に答えた。

 

「…そうか。うん。おまえの想いも受け取るからな。それでいいんだろ?」

 

「はい。ありがとうございます。」

 

私は泣きながらもう一度頭を下げた。

 

「それで…俺はおまえを殺さない。それでいいだろ?」

 

K氏は背もたれに身体を預けながら両手を前に組んだ姿勢で私に言った。

 

「え…?」

 

その言葉に戸惑う。

K氏は私を殺さないと言った。

 

殺さない…?

それは私を生かす…ということ…?

 

私は何も返事ができないでいた。

ここで私の人生が終わるかもしれないと思っていたし、怖いと思いながらもそれを期待していた自分がいたから。

 

「…私を生かすんですか…?」

 

目を見開きK氏に問う。

 

「おう。俺はお前を殺さない。…俺のところに戻って来いよ。また一緒にやろう。な?」

 

優しい笑顔。

優しい口調。

ますます戸惑う私。

 

「…え…?」

 

殺されない。

私は生かされるんだ。

ということは私の人生はこれからも続くんだ。

 

終るとばかり思っていたことが終わらない絶望。

そして“これから”があるという希望。

 

私はそのない交ぜになった感情をどう処理していいかわからなくて戸惑っていた。

 

“これから”があるということは、“これから”のことを選択し続けて行かなければならないということだ。

そして最初の選択がもう目の前にやってきている。

 

 

『俺のところに戻って来いよ。また一緒にやろう。』

 

私はこの言葉に答えることができないでいた。

 

 

「あ…あの…ふぅ!…なんでですか?なんで私を生かすんですか?私はお兄さんを裏切って逃げ出したんですよ。何も言わず、全てを丸投げして逃げ出したんですよ。逃げ出したら殺すって言いましたよね?お兄さんが私を殺すなんて容易いことですよね?

見つからないように画策するなんて容易いことですよね?なんで…」

 

K氏の裏画策ぶりを間近で見てきた私にはわかる。

私のような小娘を1人殺して、なかったことにするなんて容易いことだと。

 

「…まぁな。でも俺はおまえを殺さない。生かすよ。だから俺の元に戻ってこいって!俺はおまえを育てたいんだよ。おまえみたいな女、なかなかいないんだよ。俺のもとにいろよ。な?そうしろって!」

 

 

「…あ………」

 

K氏の元に戻る…

殺されなかったんだから、生かされたんだから、戻らなくてはいけないんだろうか…

 

「…あの…」

 

何か言わなければと口を開いたその時、K氏は私の言葉を遮った。

 

「今答えなくてもいい。よし!これから久しぶりに飲みに行こう。な?おまえと飲むのは久しぶりだな。飲みながらゆっくり話そう。いいだろ?」

 

「…あ…はい。…そうですね。はい。」

 

私はK氏の誘いに頷き、涙を拭いた。

 

「おまえ顔ぐちゃぐちゃだぞ。俺は下のラウンジで先に飲んでるからゆっくり支度してから来い。せっかくのいい女が台無しだぞ。シャワー浴びたなら浴びてきてもいいし、ゆっくり化粧を直したいならそれから来いよ。ゆっくりでいいから。な?一大決心でここに来たんだろ?疲れただろ。ゆっくりな。待ってるからな。」

 

K氏は笑いながら私の背中をポンポンと叩いて、何度も「ゆっくりでいいからな。待ってるからな。」と笑顔で言いながら部屋のドアを開けて出て行った。

 

「はい。ありがとうございます…」

 

お礼を言いながらK氏を見送る。

 

 

バタン

 

 

ドアが閉まる。

シーンと静まり返るホテルの部屋。

ドアの前に立ち尽くす私。

 

今のK氏との時間はなんだったのだろう。

詳細がつかめず呆然とする。

 

 

私は

 

 

生きている。

 

らしい。

 

 

 

「はぁー……」

 

 

しばらく立ち尽くした後、私は床にぺたりと座り込んでしまった。

 

張り詰めていた緊張が解ける。

全身の力がドッと抜ける。

 

お金を受け取ってもらえた。

そして私は生かされた。

 

どうしよう…

生かされてしまった。

 

そして「俺の元に戻ってこい」と言われてしまった。

 

どうしよう…

“これから”があるんだ。

私には“これから”ができてしまったんだ。

 

どうしよう…

どうしょう…

 

床に座り込んだまま、私は「どうしよう…どうしよう…」と呟いていた。

 

正解がわからない。

誰も“私の正解”を知らないんだ。

さっきまで自分の人生が終わると思っていたのに、今私は『これからの自分の人生』を決めていかなくてはならない辛い事実に直面していた。

 

 

下のラウンジでK氏が待っている。

 

 

この後私はどんな時間を過ごし、どんな答えをだしていくんだろうか。

何もわからないまま、私は化粧を直している。

 

 

 

つづく。

 

 

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201 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

 

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はじめに。 - 私のコト

 

 

 

 

199

 

「それでしたら…小切手になさってはいかがでしょう?」

 

男性は少し首をかしげながら私にそう言った。

 

小切手…

小切手か…

 

「あぁ…小切手ですかぁ…うーん…」

 

700万円の現金をドンッとK氏の前に差し出し、そして謝罪をする。

そんなイメージが私の中にずっとあったので、窓口の男性の申し出になかなか応じることができなかった。

 

「どうしても現金では無理ですかねぇ…」

 

私は私のイメージにしがみつく。

 

「うーん…無理ですねぇ…」

 

窓口の男性が私のイメージを壊す。

 

小切手か…

あの小ぶりの風呂敷に小切手を包むのか…

 

「…じゃあ…仕方がないですね…小切手でお願いします…」

 

私は自分の抱いてきたイメージを脳内でぶち壊す。

自分が監督している映画を作り直しているみたいな気分だった。

 

「はい。誠に申し訳ございません。今ご準備いたしますね。」

 

窓口の男性はペコっと頭を下げ、また首をかしげて私に言った。

 

しばらくすると、私の手元にはペラペラの紙切れが一枚だけやってきた。

 

これが700万円?

この紙切れが?

ただの紙切れにしか見えないけど。

でもこれが700万円だというんだから、きっと大事に扱わなければいけないんだろう。

私は丁寧にその紙っ切れをバッグにしまった。

 

「ご利用ありがとうございました。」

 

男性が深々と頭を下げる。

 

「あ、はい。ありがとうございました。」

 

私はペコっと頭を下げて、郵便局を後にした。

 

 

思ったような形ではないけれど、一応700万円が私の手元にある。

これを渡せばいい。

私は少しホッとして町田の街を歩いた。

時計を見ると14時半少し前。

もう約束の時間まで30分ほどしかない。

私は足早にホテルに向かった。

 

約束しているホテルは町田駅のすぐ近く。

ここで私の姉が結婚式を挙げたことを思い出す。

 

ほんの少しだけ時間が早かったけれどフロントでチェックインを済ませ、予約していたセミダブルの部屋に入ることができた。

 

荷物を置いてベッドに座る。

 

「ふう!」

 

大きな息を吐く。

 

いよいよだ。

さっきまでなんともなかった心臓が急にバクバクと音を出しはじめる。

 

「うぅ…」

 

何故か涙が流れる。

 

「うぅ…うーー!うぅーーー!!」

 

緊張からなのか、殺されてしまうかもしれない恐怖からなのか、自分の情けなさを感じてなのか、自分がいなくなってしまうかもしれない寂しさからなのか、涙の理由はわからない。

 

私はベッドに倒れこみ、ひとしきり泣いた。

 

 

「はぁ…!ふぅ~…」

 

息を吐き、呼吸と気持ちを整える。

サッと涙を拭き、ベッドに腰かけながら壁に取り付けられている姿見に自分の顔を映す。

泣き顔に見えないように顔を整えてから、「さ、やるよ。」と自分自身に声をかけ、ベッドから立ち上がった。

バッグから携帯電話を取り出し、K氏に電話をかける。

 

プルルルル…

プルルルル…

 

呼び出し音が鳴る。

私の鼓動はホテルの外にまで聞こえてるんじゃないかと思うくらいの音をたてていた。

 

「もしもし?!」

 

K氏の大きな声。

 

「もしもし。ゆきえです。」

 

「おう!今どこだ?!」

 

K氏は明るい元気な声で私に聞いた。

K氏は機嫌がすこぶるいい時にこういう声を出す。

でも逆にすこぶる不機嫌な時にわざとこういう話し方をする時もある人だった。

これはどっちだろう。

 

「ホテルエンプティの502号室にいます。お兄さんはどこですか?」

 

私はK氏のことをずっと『お兄さん』と呼んでいた。

そう呼べと言われたから。

 

「おう!今ホテルの目の前にいる。もう行っていいのか?」

 

明るい。

やたら明るくて元気だ。

声がやけに大きい。

 

「あ、はい。どうぞ。」

 

私は緊張しながら小さな暗めの声で答えた。

 

「じゃ今すぐ上がる!」

 

「お待ちしています。」

 

 

ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキ…

 

「はぁ…はぁ…」

 

鼓動が激しくて息苦しい。

私の“これから”がもうすぐ決定してしまう。

“これから”が『ある』のか『ない』のか。

そしてK氏は私に何を言い、何をするのか。

 

私は姿見に全身を映し、身なりを整えた。

そして自分の顔をチェックし、マスカラとアイラインが崩れていないかを確認した。

 

 

ピンポンピンポーン

 

入口のチャイムが鳴る。

ドキッ!と鼓動がより激しくなる。

 

「はい。」

 

鼓動の音とは裏腹に、冷静を装った返事をしながらドアを開けた。

 

ガチャ。

 

「おう。ひさしぶりだなぁ~。」

 

「はい。お久しぶりです。お呼びだてしてすいません。どうぞ。」

 

「おう。」

 

K氏は上品な茶色のツイードのジャケットを着て、胸ポケットから柘榴色(ザクロいろ)のポケットチーフを美しく覗かせていた。

そして外出の時には欠かさないドルチェ&ガッパーナのサングラスをかけていた。

 

私はバタンとドアを閉めてくるりと振り返り、

 

「今日はわざわざすいませんでした。お久しぶりです。」

 

と深々と頭を下げてもう一度挨拶をした。

 

「頭をあげろよー。顔をみせてくれよ。」

 

K氏は優しい口調でそう言った。

私は頭を上げてK氏の顔を見据えた。

K氏はサングラスを外し、私の全身を上から下まで見た後こう言った。

 

「綺麗になったなぁ。」

 

笑顔で言うK氏。

戸惑う私。

「綺麗になったな」と言われたいと思っていたけれど、いざ言われるとひるむ。

 

「いや…そんなことないです…」

 

声が震えている。

 

「いや。綺麗になった。久しぶりなんだからハグぐらいさせてくれよ。」

 

K氏は私の両腕を掴み、私のカラダをぐいと抱き寄せる。

 

「え…」

 

私が返事をする間もなく、K氏は私を優しく抱きしめていた。

 

「ほんとに久しぶりだなぁ。俺はお前に会えて嬉しいよ。」

 

抱きしめながら私の耳元で囁く。

私のカラダは硬直し、「え…」と戸惑うことしかできない。

 

「とりあえず話そう。な?」

 

K氏は私のカラダを離し、「ここに座っていいか?」と一つしかない椅子を指差した。

 

「はい。どうぞかけてください。私はここに失礼してもいいですか?」

 

K氏が腰かけた椅子のすぐ横にあるベッドを指差し、K氏に訊ねる。

 

「おう。もちろんだよ。」

 

私は緊張しながらベッドの端に腰かけ、ドキドキしながら話し始めるきっかけを窺っていた。

 

「で?お前さんから何か話があるんだろ?」

 

K氏はどっかりと足を広げて椅子に座り、上半身を私の方にぐいと寄せ、笑いながら私を見た。

 

「あ…はい。あの…」

 

緊張しすぎてうまく話せない。

悔しい。

これじゃあかっこ悪すぎる。

 

私は心の中で「えい!」と唱え、K氏の目をグッと見た。

 

「今日はどうしても渡したいものがあったのと、きちんと謝罪がしたくてきました。

先にこちらをお渡しします。」

 

私はバッグから小さな長方形の形をした風呂敷包みを出し、K氏に差し出した。

 

「え?なんだよ。これ。」

 

K氏は受け取らず、両手を前に組んでいる。

 

「こんなものを今さら渡されても何にもならないかと思います。でもどうしてもお渡ししたくて。これを渡さなければ今後の私はありません。あ、いえ。これを渡した後なら殺されてもいいと思いながら今日まで生きてきました。」

 

私はK氏の目を真剣に見つめながら、必死になって自分の気持ちを伝えた。

 

「…お兄さんの元を逃げ出してしまって申し訳ありませんでした。」

 

私は涙をこらえながら頭を下げ、小さな風呂敷包みをもう一度グッとK氏の前に差し出した。

 

「…なんだよ。これ。」

 

K氏は私の手から風呂敷包みを受け取り、サッと広げた。

 

 

「…お前…これ…おい…なんだよ…おい…お前何やってんだよ…えぇ…?」

 

K氏は包みを広げて中身を見ると、驚いて頭を抱えていた。

 

「お…まえ…おい…えぇ…?…はぁー…」

 

K氏は机に小切手を置き、ジャケットの右ポケットからハンカチを取り出して

自分の目をぬぐっていた。

 

「え…?」

 

K氏が泣いている。

 

…なんで?

 

「おまえ…何やってんだよ…おい…」

 

私はK氏が泣いている姿を見て泣いた。

 

「ほんとに…ほんとにすいませんでした…私、殺されてもいいんです。殺される覚悟で来たんです。ほんとです…。」

 

泣きながら頭を下げる私。

 

「…おい…ゆきえ。」

 

涙を拭いズズッと鼻をすすった後、K氏は両手で私の両頬を挟み、私の顔を持ち上げた。

 

すぐ目の前にK氏の顔がある。

真剣な目で私を見ている。

 

「おまえなぁ…」

 

すごい力で私の顔を持ち上げるK氏。

怖い顔で私を見ている。

 

いよいよかもしれない。

いよいよ私はやられてしまうのかもしれない。

 

「はい…すいませぇん…」

 

両頬を挟まれながら泣きながら謝る私。

 

「おまえなぁ…」

 

鼻がぶつかりそうな距離でK氏が怖い顔で私にすごむ。

 

「は…はい…」

 

私の顔はもうぐちゃぐちゃだ。

このまま私自身も早くぐちゃぐちゃにしてくれ。

 

私は恐怖を感じながら、殺るなら早く殺ってくれと思っていた。

 

 

 

つづく。

 

 

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198

 

シャワーから出ると、私は下着と洋服を選んだ。

K氏に会うのはかなり久しぶりだ。

「綺麗になったな」と言わせたい自分がいる。

貴方の元にいたときより綺麗になったでしょ?と思わせたい自分がいる。

「いい女だ」とK氏に思ってもらいたいと切に感じている自分が強く現れる。

 

私は黒いTバックと黒いレースのブラジャーを選び、身に着けた。

そして黒のタイトスカートに細かい網目の網タイツを履き、黒いカシュクールタイプのカットソーを選んだ。

 

全身黒。

私は私の葬式をする。

そのための服だ。

 

いつもより丁寧にお化粧をして何度も自分の姿を確認する。

全身を鏡に映し、自分のスタイルの悪さに辟易とする。

 

こんなスタイルの悪い女をよくみんな指名してたなぁ…

 

そんなことをしみじみと思う。

 

時間をかけてやっとのことで身支度を整え、部屋を整え、普通に部屋を出る。

ただちょっと出かけるだけのようなふりをして、平然と鍵を閉めた。

 

 

比叡山坂本駅から京都に着き、私はきょろきょろと“あるもの”を探した。

 

「ないなぁ…」

 

ちょうどいいものがなかなか見つからない。

新幹線の駅近く、観光客向けのお土産物が並ぶお店を物色する。

 

「ここもないなぁ…」

 

いくつかのお店を見て回り、私はやっとちょうどいい“あるもの”を見つけた。

 

「あった。これこれ。」

 

独り言を言いながらレジに持っていく。

 

「こちらのお色、綺麗ですよねぇ」

 

レジを打つお姉さんが私に笑顔でそう言った。

 

「あ、はい。そうですね。」

 

私も笑顔で返す。

 

「どなたかにお土産ですか?素敵なチョイスですねぇ。」

 

お姉さんが満面の笑みで私に聞く。

その言葉に少し戸惑いながら私は引きつった笑顔で答えた。

 

「ええ。大切な人に。」

 

 

私がそのお土産物屋さんで買ったのは西陣織の小ぶりな風呂敷。

700万円を包むために綺麗な布が欲しかったのだ。

700万円がどれだけの厚みで、どれだけのものなのかわからないまま、その小ぶりな風呂敷を私は買った。

 

青を基調にした、綺麗な花柄の布。

手触りがとてもいい。

西陣織』と書かれているけれどこれが本当に西陣織なのかは私にはわからない。

さっきのお姉さんはまさかこれを私を殺すかもしれない人に渡すなんて、微塵も思わないのだろう。

 

 

京都から新幹線に乗り込む。

新横浜までかなり時間がある。

私は気を紛らわすために普段は読まない女性週刊誌を2冊持ち込んだ。

ビールを飲み、週刊誌を読む。

ふとこれからの時間のことが頭をよぎると、すぐに追い払い、週刊誌の内容に意識を向ける。

 

しばらくすると眠気が襲って来た。

週刊誌を閉じ、目をつぶる。

 

眠ろうとすると不安が一気に押し寄せる。

胸がドキドキとしてくる。

K氏は何と言うだろう。

私を殴るだろうか。

なじるだろうか。

どこかに監禁したりするかもしれない。

 

その時私はどうなるのだろう。

 

痛いのだろうか。

傷つくのだろうか。

絶望するのだろうか。

 

私はこのまま父にも母にも姉にも兄にも会えないかもしれない。

私が存在したことを誰もが忘れるかもしれない。

 

 

え…?

私が…?

存在したことを…?

誰もが忘れる…?

 

 

今自分で考えたことにふと立ち止まる。

 

それ…

いいかもしれない…

 

私がこの世からいなくなったって誰も困らない。

コバくんが少しは悲しむかもしれないけれど、きっとすぐに忘れるだろう。

私の家族だって私がいなくなったことで誰も悲しまないだろうし、すぐに忘れるだろう。

 

なんだ。

そうか。

 

いつの間にか不安がなくなり、これから始まる未知なるショーに心が躍る。

私は傷つけられたがっている。

私は罵られたがっているのだ。

 

どれだけ痛いのだろう。

“傷つく”とはどういうことだろう。

どん底”とはどこだろう。

 

目をつぶりながらそんなことを考える。

そして私は眠れないまま新横浜まで運ばれていった。

 

 

新横浜から横浜線に乗る。

この電車に乗るのは久しぶりだ。

高校生の頃は毎日のようにこの電車に乗っていた。

関西とは違う雰囲気を感じ、私は今関東にいるんだと実感する。

 

 

町田駅

この少し泥臭い雰囲気が懐かしい。

この場所に来ると胸が締め付けられる。

 

私は知り合いに会わないかとびくびくしながら町田駅を歩いた。

 

まずは郵便局に行って700万円をおろしてこなければならない。

時刻は13時半。

K氏との約束まであと1時間半。

私は足早に郵便局に向かい、窓口で「お金をおろしたい」と告げ、記入した用紙を差し出した。

 

「え…と…そうですか。700万円を今おろしたいのですね。えー…と…少々お待ちください。」

 

窓口の女性が戸惑った様子で席を外した。

後ろにいた上司であろう男性になにやら話している。

 

「お待たせしてすいません。私が代わりに対応させていただきますね。」

 

上司であろう男性がにこやかに言った。

 

「あ、はい。」

 

私は淡々と返事をし、「ちょっと急いでるんですけど」と告げた。

 

「あぁ、申し訳ございません。お急ぎなんですね。えー…」

 

その男性は少し引きつった笑顔で揉み手をした。

こんなにわかりやすい揉み手は初めてだ。

 

「あの…差支えなければお聞かせいただきたいのですが…」

 

その男性は引きつった笑顔のまま私に質問をしてきた。

 

「はい。なんでしょう?」

 

私は淡々と答える。

 

「どういった理由でお引き出しされるのでしょうか?」

 

「え?」

 

まさかの質問に戸惑う。

そんなことを聞かれると思わなかった。

 

「あ、いや…700万円といいますとかなりな金額になりますので…。どういったことで一気にお引き出しされるのかと思いまして…。いや、差支えなければでいいのですが…」

 

男性が不自然な笑顔のまま私に言う。

 

あー

こんな小娘が一気に700万円を引き出すなんてそりゃ怪しいよなぁ…

 

「え…と…ある方に今日お渡しすることになってまして。その為に貯めていたんです。なので今日引き出せないと困るんですが…。無理ですか?」

 

私の預金を私がどうしようと勝手なはずなのに、なぜかひるんでいる私がいる。

 

「いえいえ!そんなことはございません。お客様のご預金なんですから。失礼いたしました。すぐに手配いたしますね。少々あちらでお待ちください。」

 

その男性はうやうやしく私にそう言った。

私は用意できると言われてホッとしていた。

 

ここで引き出せなかったら私の計画が狂ってしまうし、こんなに格好悪い事はない。

 

「お待たせいたしました。」

 

窓口に再び呼ばれ、私はドキドキしながら男性の方に向かう。

 

「あの…大変申し訳ないのですが…」

 

男性がさも申し訳なさそうな表情で話し始める。

 

「はい?なんですか?」

 

「今こちらに700万円という現金がございませんので…」

 

「え?ないんですか?」

 

「あ、はい。ほんとに申し訳ございません。」

 

深々と頭を下げる男性。

目を丸くする私。

 

「え…じゃあ…どうしたらいいんですか…?」

 

途方に暮れる私。

 

「現金でご用意するには明日か明後日になってしまいます。それでどうでしょうか?」

 

あ…明日か明後日?

無理無理無理。

そんなの無理だ。

今!今なきゃ意味がない!

 

「いや、困ります。今ないと困るんです。」

 

目を見開いたまま訴える私。

 

「そうですかぁ…」

 

困った様子の男性。

 

どうしよう。

まさかこんなことになるとは。

 

なんとか700万円を15時までに用意しなければ。

ここはとても重要だ。

ぜったい用意しなきゃだめだ。

 

「なんとかなりませんか?」

 

必死に聞く私。

 

「そうですねぇ…」

 

首をかしげる男性。

 

郵便局の窓口で、私はすがる様な状態だった。

 

 

 

 

つづく。

 

 

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199 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

 

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はじめに。 - 私のコト

197

 

夕方になり、私はコバくんとの『お疲れさま会』の準備を始めた。

いつも通り平和堂まで買い物に行き、献立を考え、キッチンに立つ。

料理をしている時が一番平安かもしれない。

今までのことも明日のこともこれからのことも考えずにいられるから。

料理をしている時は目の前のことだけに集中できるから。

 

こういう状況の時、私はいつも料理を作り過ぎる。

この時間を終えたくない私は次々と料理を作ってしまう。

明日のことが頭をよぎりそうになるとまた新たな食材を手にとってしまうのだ。

 

ピンポーン

 

玄関からチャイムの音がする。

 

「はーい!」

 

私は玄関に駆けていき、ドアの鍵を開けた。

 

「ただいまー!ゆきえー!」

 

コバくんが相変わらずの子犬のような顔をして立っていた。

 

「んふふ。おかえり。」

 

「うわー!ええにおいやなぁー!」

 

「えへへ。今日もたくさん作っちゃった。」

 

「やったー!」

 

子どものように無邪気に喜ぶコバくん。

この料理は私の気を紛らわすために作ったのもなんだよ。

知らないでしょ?

 

「お風呂すぐ入る!すぐ出るから!ちょっと待っとって!」

 

コバくんは急いでスーツを脱ぎ、いそいそとお風呂場に向かった。

 

私はお風呂の音を聞きながら、冷凍庫でキンキンに冷やしていたグラスを出すタイミングを見計らう。

お料理を温め直し、テーブルを整え、「ふぅ…」とため息をつく。

 

「出たー!」

 

バスタオルで頭を拭きながらコバくんがリビングにやってきた。

 

「うわー!すっげーうまそう!」

 

テーブルに並んだお料理を見て、コバくんが大喜びしている。

この顔を何度見ただろう。

この無邪気に喜んでいる顔を見るたびに、『私にも生きる価値があるのかもしれない』と感じていた。

でもそれはほんの一瞬のことなんだけれど。

 

「うはー!これもうまそう!えー?!これなに?めっちゃうまそー!」

 

コバくんが全身で喜んでいる。

私はその姿をみて笑う。

 

「あはは。たいしたもん作ってないでー。そんなに喜んでくれて嬉しいわぁ。」

 

「だってめっちゃうまそうなんやもん!はよ食べよー!」

 

「はいはーい!」と言いながら冷蔵庫からビールを出し、グラスに注ぐ。

 

 

「ゆきえ。お疲れさま。ほんまによぉやったな。お祝いさせてな。」

 

ビールの入ったグラスを掲げ、コバくんが笑顔で言う。

 

「うん。ありがとう。コバくんがたくさん助けてくれたからやで。今日は飲もうな。」

 

「うん。かんぱーーい!」

 

「かんぱーーーい!」

 

グラスをカチンと合わせ、私たちはビールをゴクゴクと飲み干した。

 

「んはーーー!!うまい!さぁ!くうぞーー!!」

 

「んはーーーー!!二日酔いだけどうまい!さ!くえー!あははは。」

 

明日のことについてはどちらも触れない。

今はなんとか楽しい時間を過ごそうとしていた。

 

 

私たちはできるだけいつもどおりの時間を長引かせようとして、テレビを見てケラケラ笑ったり、お料理について話したり、今日のコバくんのお仕事の話しをしたりした。

ビールを飲んでワインを飲んでそしてウイスキーを飲んだ。

 

したたかに酔い、ふと沈黙の時間がやってきた。

そしてコバくんが口を開いた。

 

「…ほんまは怖いんや。俺…ほんまはめっちゃ怖いんや。」

 

私はドキッとして黙り込んだ。

コバくんの気持ちをちゃんと聞かなきゃいけないと思ったから。

 

「朝言うたことはほんまや。俺、ゆきえが帰ってくるまでここで待っとるよ。帰って来るって信じてここで待っとるよ。絶対ゆきえは帰って来るって思ってるし。でもな…」

 

「うん…」

 

「ほんまはめっちゃ怖い。でも…俺待ってるから。だから…。」

 

「うん。だから?」

 

「…だから…ゆきえが満足するように、納得できるように…がんばってきて。俺…ここで応援してるから。」

 

 

コバくんは自分の思いを話しながら涙を流した。

私はその涙を見ても何も感じていない自分を心の中で嘲った。

 

コバくんが涙を流して感情的に話せば話すほど、ますます私は冷静になる。

「へぇ…泣くんだぁ…」と他人事のように見ている自分に嫌気がさす。

 

 

「ありがとう。…でもな…待ってなくてもいいんやで。私のことなんて待ってなくていい。明日早めにここを出るわ。その後のことはまったくわからへん。どうなるか全くわからへんから。ここに帰ってくるかもわからへん。K氏に会ってみないとな。

向こうがどう出るか、ほんまにわからん人やねん。私だってそこでどうするかわからへん。

そやから…もしも私がここに帰ってきて、コバくんがいなくてもなんとも思わへんから。

待ってる間、そりゃ辛いやろ。待つ方が辛いと思うわ。そやから待ってるの辛くなってやっぱり待たへんって思ったとしても、それが当たり前やと思うから。

それに私はほんまに死ぬ覚悟で行くんやから。それを待ってる必要なんてないから。」

 

話していると私の目からも涙が出てきた。

なんの涙かはわからない。

これは私の本心。

コバくんに待ってて欲しいなんて思わないし、そんなことを願えるような女じゃない。

私は単身で運命に身を任せるのだから。

 

「そんなこと言うなやぁ…。なんで…?なんでそんなこと言うん…?嘘でもいいから『待っとって』て言うてやぁ…。うぅ…うぅぅ…。なんで?なんでやぁ…」

 

私の言葉を聞いて、コバくんの泣きはますます激しくなった。

嘘なんて言えない。

嘘でも『待っとって』なんて言えるわけがない。

 

「…ごめん…ごめんやで…。」

 

私は涙を少し流しながらコバくんに謝った。

巻き込んでごめん。

私のこんなめちゃくちゃに巻き込んでごめん。

 

「…うぅ…泣いてしまってごめんやで…俺…泣くつもりなんてなくて…怖いんや…ゆきえを失うのが怖いんや…一番怖い思いするのはゆきえなのに…情けないわ…ゆきえの方が大変なことするのに…うぅ…ごめんやで…」

 

そんなことない。

私は私が決めたことをやるだけだもん。

待ってる方が辛いよね。

待たなくていい。

私のことなんて待たなくていい。

私なんていなかったことにすればいいんだ。

こんなしょーもなくて冷たい私なんて。

 

「…コバくん。ほんまにありがとうな。こんな私になぁ。私は私が決めたことをやってくるから、コバくんはコバくんが決めたようにしてな。コバくんが決めたらええから。

明日、私はK氏に会って、お金を返して謝罪をする。それだけや。

返さんでもええようなお金を返して、逃げ出したことを謝罪してくる。

どんな状況であったとしても、逃げ出すっていう卑怯なことをしたんや。謝らんとなぁ。そうやないとあかんねん。

バカげたことをしてるのかもしれん。そんなことわざわざせんでもいいのかもしれん。

でもなぁ…何度考えてもやらなあかん気ぃがするねん。…アホでごめんなぁ。」

 

 

私はコバくんの決めたことを変える権利なんてない。

コバくんに私の決めたことを変える権利がないように。

 

コバくんが私を待つと決めたならそうすればいい。

そう決めたなら引き受けなきゃならないことがたくさんあるだけだ。

怖さも辛さも『待つ』と決めたなら引き受けなきゃならないだけ。

 

私は私が決めたことを引き受けなきゃ。

怖さも、震えも、破裂しそうな鼓動も、やるせなさも、非力さも、情けなさも、悲しみも、申し訳なさも、惨めさも。

 

「…うん…俺、俺が決めたようにするわ。もしかしたら変わるかもしれん。決めたことが変わるかもしれん。でも今はぜったい変わらんと思ってる。…それでええやんな…?なぁ?」

 

「それでええよ。変わるのは当たり前や。今は変わらんと思ってたとしても変わるときは変わるんや。それでええよ。当たり前の話しや。私はコバくんに待っとってなんて言わんし、望まんよ。コバくんが自分で決めたらええよ。」

 

私は笑顔でコバくんにそう言った。

これももしかしたらズルい言い方なのかもしれないと思いながら。

 

「…俺…ゆきえのことが大好きや。離れとぉない。ゆきえがいない毎日なんて考えられんのや。ごめんな。俺、こんなに好きになってしまってごめんなぁ。」

 

 

『こんなに好きになってしまってごめんなぁ』とコバくんは泣いた。

私はこんな謝り方がこの世にはあるんだなぁと知った。

 

 

「…コバくん。もう寝ようか。私、片づけるわ。」

 

時計を見ると夜中の1時を過ぎていた。

 

「…うん。そうやな…。手伝うわ。」

 

「ありがとう。」

 

私たちは2人でテーブルの上を片づけ、食器を洗った。

カチャカチャと鳴る食器の音を聞きながら、黙ったまま宴の後片付けをする時間。

私はこの時間とこの空気を忘れたくないと思っていた。

 

片付けを終えて「寝ようか」と言いながら2人でお布団に入る。

コバくんは私を抱きしめ「抱いていいか?」と聞いた。

私は「うん。ええよ。」と小さく言い、カラダを預ける。

コバくんは切実な思いを私になんとか伝えようとしているかのような愛撫を私のカラダ全身に施した。

私はその切実な思いを受け止めることが出来ず、コバくんが熱心になればなるほど心が引いていくのを感じていた。

頭では明日のことを考え、カラダはコバくんの愛撫をただただ受けていた。

 

そんな私を「やっぱり私はサイテーだな。」と思う。

 

感じてる演技はお手の物だ。

私は渾身の演技でコバくんの愛撫に応え、そして切ないSEXは終了した。

 

「ゆきえ…愛してる…」

 

耳元で囁くコバくん。

 

「うん…私も。」

 

嘘。

だって私は『愛』がどんなものか知らないんだから。

 

 

 

携帯の目覚まし音で起こされる。

 

コバくんはまだ寝ている。

私はゴソゴソと起き出し、これが最後かもしれないお弁当を作る。

 

「おはよう!」

 

コバくんが起きてくる。

 

「おはよう。」

 

笑顔で挨拶をする私たち。

まるでこの毎日が続いていくかのように。

 

「お弁当つくったよ。はい。」

 

「いつもありがとうー。めっちゃ味わって食べるー!」

 

「はい、コーヒー。」

 

「ありがとうー。美味しいなぁ。」

 

静かな時間。

なんともない日常。

この時間が一番の奇跡なのかもしれない。

 

 

「じゃそろそろ…俺行くわ。」

 

「うん。いってらっしゃい。気をつけてね。」

 

「うん。…ゆきえも気をつけて。帰ってきてな。」

 

淋しい笑顔のコバくん。

私もほんのちょっとの笑顔で応える。

 

「んふふ。…わかった。」

 

嘘。

私は嘘ばっかりだ。

 

「じゃ!行ってきまーす!ゆきえ、いってらっしゃーい!」

 

「うん!いってらっしゃーい!いってきまーす!」

 

コバくんは私を抱きしめてからキスをして、そして笑顔で部屋を出て行った。

私はそんなコバくんの気遣いに応え、笑顔で元気に送り出した。

 

パタン…

 

部屋のドアが閉まり、シーンと静まり返った空間が広がる。

 

「…さて。準備するか。」

 

私は自分に言い聞かせるようにそう言うと、シャワーを浴びて身支度を整え始めた。

 

 

いよいよだ。

いよいよ私の決着をつける時がやってきた。

 

あと数時間後、私はどうなっているのだろうか。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

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198 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

 

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