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「おまえなぁ…」
K氏は両手で私の頬を挟みながら怖い顔で私を見ている。
「は…はい…すいませぇん…」
私は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら謝罪を繰り返した。
殺るなら早く殺ってくれ!
もう私に思い残すことはないし、このまま生きていたって辛いだけなのだから。
この人に殺されるならそれでいい。
こんな卑怯などうしようもない私なんて生きていたって仕方がないんだから。
「はぁーーー…!」
K氏は突然私の頬から手を離し、腰かけている椅子の背もたれにドンともたれかかって溜息をついた。
私はぐちゃぐちゃの顔のまま「え…?」と声をあげた。
「おまえ…なんて奴なんだよ。こんなの受け取れるか?俺はこんなものを返して欲しかったんじゃない!俺はおまえの為だったら1千万だって2千万だって用立てたぞ!それがなんだよ…俺は情けないよ…」
K氏はうなだれた様子で私にそう言った。
ほんの少しだけ涙を目に浮かべながら。
「俺はおまえをそばに置いて育てたかったんだよ。どんな手を使ってもそばに置いておきたかったんだよ!ただそれだけだったんだぞ!それがなんだよ…これは…」
K氏は自分で自分を責めているような口調で話す。
私はその言葉を聞いていたたまれなくなる。
「…すいません…ほんとうにすいません…私にはこんなことしかできませんでした…」
泣きながら謝るしかできない。
K氏の想いをくみ取れず、修業の日々に耐えることができず、私は逃げ出したのだから。
K氏を裏切ったのだから。
「…私はこのお金をどうしてもお返ししたくて、それだけで生きてきました。そして今日殺されてもいいと思ってここに来ました。私にはこれくらいのことしかできません…
なのでどうかそのお金は受け取って下さい!これを受け取ってもらえなかったら…もう…どうしたらいいか…」
私は泣きながら訴えた。
絶対受け取ってもらわなければ。
そうじゃなきゃ、私のこの11か月と少しの時間が台無しになる。
せめてそのくらいいいじゃないか。
こんな私の、こんなどうしようもない私のやったことが少しくらい報われてもいいじゃないか。
「…おまえは大した女だなぁ…」
K氏は驚くような言葉を吐いた。
私が「大した女」だと。
「え…?」
涙をボロボロと流しながらK氏を見る。
「…俺が見込んだだけのことのある女だよ。」
優しい、そして淋しそうな笑顔でK氏が呟いた。
「…俺はこれを受け取るぞ。おまえがケツから血を吹き出しながら貯めたこのお金を受け取るぞ。いいか?」
K氏は机の上に置いてある小切手を片手に持ち、ひらりと私に向かって掲げた。
「…はい。よろしくお願いします。どうか受け取って下さい。」
私は頭を下げてK氏に答えた。
「…そうか。うん。おまえの想いも受け取るからな。それでいいんだろ?」
「はい。ありがとうございます。」
私は泣きながらもう一度頭を下げた。
「それで…俺はおまえを殺さない。それでいいだろ?」
K氏は背もたれに身体を預けながら両手を前に組んだ姿勢で私に言った。
「え…?」
その言葉に戸惑う。
K氏は私を殺さないと言った。
殺さない…?
それは私を生かす…ということ…?
私は何も返事ができないでいた。
ここで私の人生が終わるかもしれないと思っていたし、怖いと思いながらもそれを期待していた自分がいたから。
「…私を生かすんですか…?」
目を見開きK氏に問う。
「おう。俺はお前を殺さない。…俺のところに戻って来いよ。また一緒にやろう。な?」
優しい笑顔。
優しい口調。
ますます戸惑う私。
「…え…?」
殺されない。
私は生かされるんだ。
ということは私の人生はこれからも続くんだ。
終るとばかり思っていたことが終わらない絶望。
そして“これから”があるという希望。
私はそのない交ぜになった感情をどう処理していいかわからなくて戸惑っていた。
“これから”があるということは、“これから”のことを選択し続けて行かなければならないということだ。
そして最初の選択がもう目の前にやってきている。
『俺のところに戻って来いよ。また一緒にやろう。』
私はこの言葉に答えることができないでいた。
「あ…あの…ふぅ!…なんでですか?なんで私を生かすんですか?私はお兄さんを裏切って逃げ出したんですよ。何も言わず、全てを丸投げして逃げ出したんですよ。逃げ出したら殺すって言いましたよね?お兄さんが私を殺すなんて容易いことですよね?
見つからないように画策するなんて容易いことですよね?なんで…」
K氏の裏画策ぶりを間近で見てきた私にはわかる。
私のような小娘を1人殺して、なかったことにするなんて容易いことだと。
「…まぁな。でも俺はおまえを殺さない。生かすよ。だから俺の元に戻ってこいって!俺はおまえを育てたいんだよ。おまえみたいな女、なかなかいないんだよ。俺のもとにいろよ。な?そうしろって!」
「…あ………」
K氏の元に戻る…
殺されなかったんだから、生かされたんだから、戻らなくてはいけないんだろうか…
「…あの…」
何か言わなければと口を開いたその時、K氏は私の言葉を遮った。
「今答えなくてもいい。よし!これから久しぶりに飲みに行こう。な?おまえと飲むのは久しぶりだな。飲みながらゆっくり話そう。いいだろ?」
「…あ…はい。…そうですね。はい。」
私はK氏の誘いに頷き、涙を拭いた。
「おまえ顔ぐちゃぐちゃだぞ。俺は下のラウンジで先に飲んでるからゆっくり支度してから来い。せっかくのいい女が台無しだぞ。シャワー浴びたなら浴びてきてもいいし、ゆっくり化粧を直したいならそれから来いよ。ゆっくりでいいから。な?一大決心でここに来たんだろ?疲れただろ。ゆっくりな。待ってるからな。」
K氏は笑いながら私の背中をポンポンと叩いて、何度も「ゆっくりでいいからな。待ってるからな。」と笑顔で言いながら部屋のドアを開けて出て行った。
「はい。ありがとうございます…」
お礼を言いながらK氏を見送る。
バタン
ドアが閉まる。
シーンと静まり返るホテルの部屋。
ドアの前に立ち尽くす私。
今のK氏との時間はなんだったのだろう。
詳細がつかめず呆然とする。
私は
今
生きている。
らしい。
「はぁー……」
しばらく立ち尽くした後、私は床にぺたりと座り込んでしまった。
張り詰めていた緊張が解ける。
全身の力がドッと抜ける。
お金を受け取ってもらえた。
そして私は生かされた。
どうしよう…
生かされてしまった。
そして「俺の元に戻ってこい」と言われてしまった。
どうしよう…
“これから”があるんだ。
私には“これから”ができてしまったんだ。
どうしよう…
どうしょう…
床に座り込んだまま、私は「どうしよう…どうしよう…」と呟いていた。
正解がわからない。
誰も“私の正解”を知らないんだ。
さっきまで自分の人生が終わると思っていたのに、今私は『これからの自分の人生』を決めていかなくてはならない辛い事実に直面していた。
下のラウンジでK氏が待っている。
この後私はどんな時間を過ごし、どんな答えをだしていくんだろうか。
何もわからないまま、私は化粧を直している。
つづく。
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