私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

私の自叙伝です。雄琴ソープ嬢だった過去をできるだけ赤裸々に書いてます。

188

 

2人とも無言のまま夜を過ごした。

私はベッドで眠り、コバくんはソファーで寝た。

その“ソファーで寝る”という選択をしたコバくんにちょっとだけ腹が立っていた。

 

朝が来て、隣の部屋でコバくんが起きた気配がする。

しばらくの間私は布団の中でどうしようかと考えていた。

このままベッドから出ず、会話のないまま仕事にいってもらおうか。

それとも言葉を交わそうか。

 

ごそごそと朝の支度を始めるコバくん。

息を詰める私。

 

さて、どうしようか。

 

居心地が悪い。

自分の部屋なのにすこぶる居心地が悪い。

 

このままコバくんが仕事に行ってしまったら、この居心地の悪い時間を引きずるのかと思うといたたまれなくなった。

 

「…おはよう…」

 

私は寝室のドアを開けてコバくんに挨拶をした。

 

「あ…おはよう…」

 

コバくんのバツの悪そうな顔。

こういう時間が私は嫌いだ。

 

「…コーヒー…どうする?」

 

もうスーツを着始めているコバくんに聞く。

 

「…あ…もらおうかな…」

 

「時間大丈夫?」

 

「あー…うん。大丈夫。」

 

ほんとは大丈夫じゃない時間。

コバくんが私とコーヒーを飲みながら話したがっているのがすぐわかる。

 

私はコーヒーを無言で淹れ、コバくんの目の前にコーヒーカップをコトンと置いた。

コバくんは小さな声で「ありがとう」と言い、2人ともしばらく無言でコーヒーを飲んだ。

 

 

「…ゆきえ…」

 

コバくんが下を向きながら口を開く。

 

「…うん?」

 

私は横目でチラッとコバくんを見て返事をした。

 

「…俺…今日もここに帰って来たい。…ええか?」

 

この人は何を言っているんだろう。

昨日の話しを聞いていなかったのだろうか。

私はK氏に心が揺らいで、コバくんとの未来がわからないと言ったのだ。

それなのにそんな私のところに今日も帰って来たいと言っている。

 

「…なんで?」

 

この「なんで?」にはいろんな「なんで?」が含まれている。

でも私の口から出た言葉はたった一言だった。

 

「…俺…どうなろうともゆきえのそばにおりたいねん。これからどうなろうと、ゆきえのこと見守りたいねん。…昨日はごめん…感情的になってもうた。ほんまにごめん。俺、自分のことしか考えてなかった。ゆきえがどれだけの決心でここに来たのか、どれだけのことがK氏との間にあったのか、いつも考えてるつもりだったけど…やっぱり昨日みたいにはっきり言われてしまったらショックで…。ほんまにごめん。」

 

コバくんが謝る必要なんて全然ないのに。

謝るべきは私の方だ。

「こんなめちゃくちゃな私でごめんなさい」という言葉はどんなにたくさん言っても足りないくらいだ。

それはコバくんだけにではなく、私の親や姉兄、そして知り合った全ての人に言って周りたいくらいだった。

 

 

「…コバくん…謝るのは私の方やで。ほんまにごめんな。付き合わせてしまったんやんなぁ。私のめちゃくちゃなことに。ほんまに悪いと思ってる。そやから…もうやめようか。私に付き合わんでええんねん。今までほんまにありがとう。めっちゃ感謝してる。ほんまに感謝しきれんくらい感謝してるで。…そやから…もうやめよう。」

 

気付くと私はコバくんに別れの言葉を言っていた。

もうこれ以上付き合わせてはいけないと思ったから。

もっと早くこれを言えればよかった。

私はとことんズルい。

 

「…嫌や。俺、そういう決心をしているゆきえを好きになったんや。こんな女他におらんと思ったからそばにおったんや。そやから俺が納得するまでそばにおらしてくれ。

ゆきえがK氏に心が揺らいでたってかまへん。ゆきえがK氏に会ってる間、俺ここでゆきえの帰りを待ちたいねん。見たいねん。ゆきえのこと。ずっと見たいねん。頼むわ。な?」

 

コバくんは半泣きの状態で私に懇願した。

この人はなんでこんなことを懇願するのだろう。

私の何を見たいというのだろう。

「この時間はなんだろう?」と冷め始めている自分に気が付き、さっさとこの時間を終わらせたくなっていた。

私はとことん酷い。

 

「…私はK氏に心が揺らいでいて、そして殺されるかもしれへんねんで。それでもいいって言うん?」

 

私はコバくんに冷たい言い方で問う。

もうどうなってもいい。

 

「…そうや。俺がそうしたいねん。」

 

コバくんが涙を引っ込め真剣な顔で私に言った。

 

「…コバくんがそうしたいならそれでええよ。帰ってきてもええ。でも、やっぱり無理やと思ったら遠慮なく言って。そして遠慮なく私から離れてくれてええから。」

 

私はコバくんの意思に任せようと思った。

私は私の決心通りに行動し、コバくんはコバくんの決心通りに生きればいいと思ったから。

 

「…ありがとう。うん。わかった。ゆきえ。ありがとう。」

 

私はコバくんが「ありがとう」という理由がわからない。

私が言われるような言葉ではない。

 

「…うん…まぁ…どうなるかわかれへんけど…なんとか決めたことはやり遂げるわ。」

 

私はコバくんにちょっとだけ笑いながらそう言った。

コバくんが私を見つめて「抱きしめてええか?」と聞いた。

 

「え…?うん…」

 

私は抱きしめたいなら抱きしめれば?と冷めた気持ちで「うん」と答える。

コバくんは私を強く抱きしめながら「好きやで。大好きや。」と何度も言った。

 

「…そろそろ行かないとあかんのちゃう?」

 

私はコバくんの「好きやで。大好きや。」の言葉が暑苦しく感じ、コバくんを仕事へと促した。

 

「あ!そうや!ヤバい!!ゆきえ、俺行くわ!そんで帰って来るから!な?!じゃ行ってきます!!ゆきえも頑張って!じゃー!!」

 

 

コバくんは私にキスをして、笑いながら仕事に出かけて行った。

 

私はさっきの『よくわらない時間』から解放された安堵で「ふぅ…」とため息をついた。

メロドラマのような時間が流れると私はどんどん冷静になる。

相手のいう事が演技じみて見えてくるとその時間から解放されたくなる。

そしてそんな自分を「冷たい酷い奴だ」と責める。

 

結局コバくんは変わらずここに帰ってくることになり、私は私の決めたことを遂行する。

後のことなんてわからない。

それはその時に考えよう。

 

疲れた。

昨日から今日にかけて、緊張と興奮、戸惑いと怒り、イラつきと困惑…ありとあらゆる感情が私を襲って来て疲れていた。

 

K氏との電話のやりとりを思い出す。

心がざわつく。

実際に会ったら私はどうするのだろう。

どんな感情が湧くのだろう。

 

あと1週間で仕事が終わる。

今はこの1週間の仕事に専念しなくては。

ちゃんと終わらせなければならない。

そうじゃなきゃ美しくないから。

食べ吐きをしまくり、毎日がぐちゃぐちゃな私は“美しさ”に固執する。

めちゃくちゃでぐちゃぐちゃな汚くて醜い私は“美しさ”に憧れる。

せめて仕事の終わり方くらいは、私の人生の終わり方くらいは、美しく在りたいといつも強く思っていた。

何が“美しい”のかなんてまるでわからないまま。

 

あと少し。

あと少しでこの仕事とお別れだ。

もしかしたら私の人生ともお別れになるかもしれない。

 

 

 

 

つづく。

 

 

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189 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

 

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はじめに。 - 私のコト

 

 

187

 

私はコバくんにK氏とのやりとりの内容を話した。

 

K氏はずっと私の居場所を知っていたこと。

お店の場所までわかっていたこと。

私からの連絡をずっと待っていたこと。

綾子さんがしばらく私を探し続けていてくれたこと。

そして「戻ってこい」と何度も言われたこと。

 

考えが、話が、まとまらないままポツポツと。

 

私のまとまらない話しをコバくんは黙って聞いていた。

下を向いたまま。

 

しばらく黙り込み、コバくんは言葉を詰まらせながらこう言った。

 

「…で…?ゆきえは…戻りたいって思うん?…K氏の元に…戻りたいって思ったん?」

 

私は“今起こった出来事”を話した。

コバくんはその私に“今の気持ち”を問いただした。

 

 

「……」

 

 

下を向いたまま黙り込む私。

 

なんて答えたらいいんだろう。

今さっき終ったばかりのK氏とのやりとり。

まだ気持ちが高揚していて自分の気持ちがわからない。

 

実際心が揺れ動いているのは確かだ。

思いがけずK氏から優しい言葉をかけられて浮足立っている。

K氏と過ごした優しい時間が蘇る。

“いい女”として扱われた夢のような時間を思い出す。

もう一度K氏のそばで過ごすのもいいのかもしれないとちょっとだけ思っている自分がいる。

 

でも、それをコバくんに伝えてもいいんだろうか。

 

 

「…黙ってるってことはそういう気持ちがあるってことやんな?」

 

コバくんが涙声で黙っている私に聞いた。

 

「…うん…ちょっとだけそう思ってる自分がいるんだ…」

 

答えてしまった。

黙っていられなくてそう答えてしまった。

 

「…う…うぅ…なんでやねん。ひどいこといっぱいされたんやで!ここまできてなんでやねん…なんでそんなこと思うねん…うぅ…」

 

コバくんが泣いている。

私が言っていることもやっていることもめちゃめちゃだからだ。

自分でも嫌になる。

“死”を覚悟してまでここまでやってきたのに、心が揺らぐんだから。

 

「…ごめん…ごめんな…K氏には4月2日に町田で会うことになってん。…でもな、その時に殺される可能性もあるんや。ほんまにK氏はわからん人やねん。今電話で優しい言葉をかけてきたけど、これも演技の可能性もあるんや。会って私がK氏の要望に答えなかったらなにされるかわからんねん。ほんまに。だから会ってお金を渡すまでどうなるかほんまにはわからんねん。」

 

これはほんとに懸念していることだった。

K氏は長年裏社会に精通していた、いや、今も精通している男性だ。

人を殺すことも多分いとわない。

K氏のことを近くでみていたから、私にはわかる。

彼は嘘を巧みにつき、相手の心を操作する天才だ。

私のこともどうするかはまるでわからないのだ。

 

「うぅ…でも…そうだとしても…K氏に心が動いているのは事実やろ…?」

 

コバくんが痛いところをつく。

その通りだ。

『殺されてもいいからちゃんと会いたい』と思っているこの感情はなんなんだろう?

これを『愛』と呼ぶ人もいるのかもしれないし、『恋』と感じる人もいるのかもしれない。

 

「…そうやね…でもな、K氏の元に戻っても絶対に上手くいかないって感じてる自分もおるんよ。私がまた壊れてしまうとも思ってるんよ。」

 

「…うん…そうなんや…」

 

「うん。だからもしK氏に会っても無事だったとしても、K氏の元に戻ることはないと思ってるんよ。」

 

「…うん…でも戻りたいと感じているゆきえもおる。そうやろ?」

 

「…うん…そうやな…そう思ってる自分もおる。でも戻らんとも思ってる。」

 

「…ふぅ…」

 

 

コバくんは泣きながらため息をついた。

私はそのコバくんの様子をジッと見つめた。

そして私も涙を流した。

 

「…なぁ?ゆきえ…」

 

コバくんがチラッと私を見ながら口を開く。

 

「ん…?なに…?」

 

「…ふぅ…」

 

コバくんがもう一度溜息をつく。

しばらくの沈黙の後、コバくんが私にこう尋ねた。

 

 

「…ゆきえの未来に俺は居る?」

 

 

「…え…?」

 

 

急な問に驚く。

私の未来?

私の?

未来?

 

「ゆきえのこれからの毎日に俺は居る?ゆきえの思い描く未来に俺は存在する?」

 

 

「…え…?」

 

 

私の思い描く未来…

私の…

これから…?

コバくんが居るかどうか…?

 

私はコバくんの質問に頭が混乱した。

“これからの毎日”なんて考えたこともなかったし、未来を思い描いたことなんてなかったから。

 

 

「…え…と…ごめん…ほんまにわからへん…ごめん…」

 

 

私は正直に答えた。

ほんとにわからなかったから。

 

そう答えた次の瞬間、。

コバくんがすごい勢いでこう言った。

 

「そうやろうな!!どうせゆきえは俺のことなんて好きやないもんな!!俺はどうせ“ただたまたま隣におった人”なんやもんな!!なんやねん…もう…なんやねん…俺知っとったで!ゆきえが俺のこと好きやないって!!でもな…それでもええと思っとったんや…でもな…俺、それでもええと思っとったんや…でもひどいわ…俺、ゆきえがおらんくなったらどうしたらええんや…もう…ゆきえ…ずるいわ…」

 

珍しく声を張りあげたコバくんに驚く。

そして最後の「ずるいわ…」に胸が痛む。

私は、ずるい。

 

コバくんの横で黙り込むことしかできない私。

黙り込む私に泣いて抗議することしかできないコバくん。

 

居心地の悪い時間がただただ流れた。

 

 

「…ごめん…もうそれしか言われへんわ…今日はお酒も飲んでしまったからこのままここで寝ていって。明日になったら出て行ってくれてもいいし、どうしたいか言うて。」

 

 

コバくんもこんな女と一緒にいたくないだろう。

そして私もこんな居心地が悪い時間を過ごすのは嫌だった。

 

「…そんなん言うなや…もう…俺かてどうしたらええかわからんねんから…」

 

コバくんはうなだれ続けた。

私はテーブルの上の食器を片づけ始め、無言のままの時間を過ごした。

 

 

 

 

つづく。

 

 

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188 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

 

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はじめに。 - 私のコト

186

 

「…おっまえ…」

 

K氏の大きな声。

私はその声で身体がますます強張った。

 

そりゃそうだ。

怒るに決まってる。

急に逃げ出したんだから。

私が提案した企画で新しい部署を作り、結構な経費をかけ、私にも結構なお金をかけて育てようとしてくれていたんだから。

 

「おっまえ…」

 

この後どんな言葉で私を罵るのか覚悟を決めたその時。

K氏がこんな言葉を私にかけた。

 

 

「…どれだけ心配したと思ってるんだよ。」

 

 

え…?

…心配?

私を?

 

優しい低い声。

 

私はその言葉を聞いて涙を流した。

 

「…す…すいません…」

 

「お前なぁ…みんなどれだけ心配したと思ってるんだよ。綾子なんかお前がいなくなってからしばらく何も食べられなくなったんだぞ。ずっと探し続けたんだぞ。」

 

優しい声で話し続けるK氏。

綾子さんとは私の直属の上司であり、K氏の秘書でもある女性。

厳しくも優しいその女性は私の憧れでもあり、どうやってもかなわない女性だった。

その綾子さんが私がいなくなった後そんなことになっていたとは思いもしなかった。

 

 

「ゆきえ。元気なのか?」

 

黙ってすすり泣く私にK氏が聞く。

 

「うぅ…はい…ほんとにすいませんでした…」

 

泣きながら謝る私。

謝ることしかできない。

 

「もうすいませんはいいよ。で?今どこにいるんだ?」

 

「え…」

 

急に居場所を聞かれて言葉に詰まる。

するとK氏が驚くことを告げる。

 

「まぁ…知ってるんだけどな。お前の居場所は。」

 

え?

知ってる?

私の居場所を知ってる?

 

「え…?」

 

滋賀県にいるだろ?」

 

え?

え?

え?

なんで?

 

「…なんで…?知ってるんですか?」

 

胸がドキドキする。

K氏は私の居場所を知っていながら連れ戻そうとも連絡を取ろうともしなかった。

どういうことだろう。

 

「お前な、俺の力を見くびるなよ。裏社会に精通してる男だぞ。ははは。雄琴の奥の方の店にいるんだろ?」

 

K氏はわざとなのか明るく笑いながらそう言った。

 

「…すごい…はい…その通りです…でもなんで…?」

 

 

私は居場所を知ってるのに何故ほっといたのかを知りたかった。

 

「お前のことだから、無理やり連れて帰ったとしてもまた逃げるだろ?気が済むまでやらないとダメだろ?俺はお前からの連絡を待ってたんだよ。お前はぜったい俺に連絡してくると思ってたんだよ。待ったぞー。ははは。」

 

私のことをお見通しだ。

私はK氏のこういうところにとても弱い。

何も言えなくなってしまう。

 

「あぁ…そうだったんですか…」

 

私はK氏の手のひらの上をぐるぐる回っていただけだったのかと思い、落胆した。

私がどれだけ逃げても、どれだけ決心をして何かをやったとしても、全てお見通しなのかと思うと情けなくなる。

でもその反面、待っててくれたのかと嬉しく感じている自分がいる。

 

 

「ゆきえ。戻ってこいよ。戻ってこい。俺のそばに戻ってこいよ。な?」

 

 

K氏が驚くような言葉を私に投げかける。

 

「え…?戻る…?私が…?」

 

まさかそんなことを言われると思っていなかった私は、ただただ戸惑った。

 

「俺はお前がいないと淋しいよ。お前はこれからもっといい女になっていく要素がある奴なんだよ。俺はお前を育てたいんだ。な?俺の元にいろよ。な?」

 

私がいないと淋しい?

私はいい女になっていく要素がある?

え?

え?

え?

 

戸惑いながらも喜んでいる。

私はK氏の声と言葉にときめいている。

この期に及んでときめいている。

 

知識が豊富でお話が上手くて物腰がスマート。

いつもおしゃれで女性のエスコートが上手い。

どんな場所でも馴染み、マナーを熟知している。

18歳で知り合ったときから、世間知らずの私はK氏に憧れている。

そんなK氏に「俺のそばにいて欲しい」と言われることがどれだけ嬉しいことか。

 

でもその反面、私はK氏の元にいると言いたいことが言えなくなる。

失敗すれば殴られ、蹴られる。

怒った時のK氏は尋常じゃない。

この舞い上がった状態でまたK氏の元に戻ったらビクビクしながらの毎日に戻ることになるんだ。

 

嬉しくてときめいている自分と冷静に判断しようとしている自分がせめぎ合う。

 

ここで「はい。」と答えてはいけない。

つい「はい。戻ります。」と言いそうになっている自分に気付き、グッとその言葉を飲み込む。

 

 

「…今は戻れません。ごめんなさい。」

 

 

グッとお腹に力を込めて、小さな声で言う。

 

「なんでだよ?なんでだ?俺のそばにいろよ。な?戻ってこいって。あ…男か?男がいるんだろ?そのことも帰ってきてから考えればいいだろ?もう一回俺のそばでやってみろよ。」

 

K氏は何度も私に戻ってこいと言った。

何がそこまでK氏にそう言わせるんだろう?

私は「戻ってこい」と言われれば言われるほどに冷静になっていった。

 

 

「…あの…直接お会いして謝罪したいんです。あとお渡ししたいものがあるんです。」

 

私はK氏の「戻ってこい」攻撃を遮って、なんとか自分の要望を伝えた。

K氏は少し黙り込み、そして冷静な声でこう答えた。

 

「…そうか。そうだな。一回会おう。会って話そう。俺もゆきえの顔見たいからな。

いつこっちに来る?俺はお前に合わせるよ。」

 

よかった。

私の要望が聞き入れられた。

 

気付くと胸の鼓動がさっきより小さくなっている。

気分は高揚しているけれど、鼓動は治まってきていた。

 

「3月いっぱいまでお仕事があるので4月2日はどうですか?

町田のホテルの一部屋を予約するので、そちらに来て頂いてもいいですか?」

 

「ちょっと待てよ。今スケジュール確認するから。…えーと…4月2日…」

 

電話の向こうでスケジュール帳をパラパラとめくる音がする。

私の意識はどんどんと冷静になっていく。

 

「…うん。わかった。4月2日な。だいたい何時ごろだ?」

 

「チェックインしたら連絡します。多分15時ころになると思います。大丈夫ですか?」

 

「おう。わかった。ゆきえの顔見られるの楽しみにしてる。あと、俺はあきらめないからな。お前は俺のそばにいた方がいいんだから。」

 

「…じゃあ…4月2日、よろしくお願いします。お時間とらせてすいません。ありがとうございます。」

 

私はK氏の言葉に反応をしなかった。

ちょっとでも反応してしまったらずるずると心を持っていかれそうだったから。

 

「おう。じゃあな。連絡ありがとうな。ゆきえ。」

 

優しい声と言葉に心がぐらぐらする。

 

「じゃあ、また。やすみなさい。」

 

「おう。おやすみ。」

 

 

電話を切って「…ふぅ…」と息を吐く。

床にぺたりと座り込み、宙を見つめる。

 

身体の力が入らない。

だらりと垂らした両腕。

ガクンと落とした肩。

放心している私。

 

連絡できた。

K氏に連絡することができた。

そして思ってもみないことを言われた。

 

あと少しだ。

あと少しで私の決めたことが達成できる。

 

 

コンコン…

 

 

放心しているとドアをノックする音が聞こえた。

 

あ…コバくん…

 

コバくんが隣の部屋で待っていることをすっかり忘れていた。

 

「はい…」

 

振り返り、返事をする。

 

「終わった?入ってもええか?」

 

ドアの向こうで小さな声で聞くコバくん。

 

「…うん。どうぞ。」

 

私は今の出来事をうまく話せる自信がなく、少し躊躇しながらドアを開けた。

 

「…どうやった?大丈夫か?」

 

心配そうな顔のコバくん。

私はこの期におよんでK氏にときめいている自分を恥ずかしく思い、そのことを伝えるべきなのか思い悩む。

まだ整理できていないまま、今のやりとりを話していいものなのかどうか思い悩む。

 

「…あ…うん…大丈夫…」

 

ちょっと下を向いてそう言うのが精一杯だった。

 

「…向こうの部屋…行く?」

 

コバくんはソファーに私を誘導した。

 

「ゆっくりでええから、話し聞かせてくれる?」

 

コバくんは私の様子を気づかい、優しい声でそう言った。

 

「…うん…わかった…」

 

「ビール飲む?」

 

「うん。飲もうかな。」

 

「俺持ってくる。ちょっと待ってて。」

 

「うん。ありがとう。」

 

 

私は目線が定まらないままコバくんにお礼を言った。

 

ビールをゴクゴクと飲み、「ふぅ~…」と息をつく。

 

「…で?K氏はなんて言ってた?」

 

コバくんが下を向きながら聞く。

 

「…うん…なんかね…」

 

いろんなことがまとまらないまま、私はぽつぽつとさっきの出来事をコバくんに話し始める。

話しの着地点がわからないまま、自分の気持ちがわからないまま、私は口を開き始めた。

この後自分の口からどんな言葉が出てくるのかわからないまま。

 

 

 

つづく。

 

 

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はじめに。 - 私のコト

 

185

 

思った通り映画を観てもまったく入り込めない。

ずっと今夜のことや、どうやって殺されるんだろうか?ばかり考えていた。

 

食欲もなく、映画が終わってからコーヒーを飲み、もってきた本を開く。

文字を追っているだけで内容がまったくわからない。

 

たくさん殴られるのだろうか。

それともどこかに売り飛ばされるのだろうか。

K氏の持っているピストルで撃たれるのだろうか。

ピストルで撃たれるのは痛いだろうか。

どこまで殴られたら気を失うことができるのだろうか。

 

そんなことばかり考えている。

 

緊張で身体がずっと強張っている。

呼吸が浅く、喉に何かが詰まっているような感じが続いていた。

 

私はパルコの中をぐるぐると周り、買いもしない雑貨や洋服を物色する。

 

じっとしてられない。

 

なんとか時間を潰し、比叡山坂本に帰り平和堂に立ち寄った。

こんな状況なのにコバくんの夕飯を気にして買い物をする。

帰って料理をしている方が気がまぎれそうだ。

 

部屋に帰り黙々と料理を始める。

時計を見ると17時半だった。

コバくんはだいたいいつも19時ころ帰って来る。

あと1時間半。

私は身体を強張らせて溜息をつく。

 

料理に没頭して、ふと時計を見て溜息をつく。を繰り返す。

私は気付くと何品もの料理を作り上げていた。

 

「これ…何人前だ?」

 

出来あがっていく料理のお皿が何皿にもなっていた。

 

その時。

 

 

ピンポーン

 

 

玄関のチャイムが鳴った。

 

ドキッ!!

 

コバくんが帰ってきた。

私はドアのカギを開け、コバくんを迎え入れた。

 

「おかえり。」

 

ニコッと笑って言う。

 

「うん。ただいま。」

 

コバくんも淋しそうな笑顔で答える。

 

「疲れた?」

 

部屋に入りながら聞く私。

 

「ううん。大丈夫。ゆきえは?」

 

靴を脱ぎながらコバくんが私に聞く。

 

「うん…まぁ…落ち着かへんかった。あはは。」

 

なぜか私は笑う。

 

「そうか。…実は俺も。あはは。」

 

なぜかコバくんも笑う。

 

部屋に入り、テーブルの上を見てコバくんが「うわぁ!」と声をあげる。

 

「どないしたん?このご馳走!なんで?パーティー?」

 

コバくんがそう言うのも無理ないほどの料理の数。

まさかこんなにたくさんになるとは私も思っていなかった。

 

「あはは…えと…なんかこうなってしまったんや。」

 

「めっちゃ美味そう!!俺、急いでシャワー浴びてくる!ええか?」

 

コバくんがはしゃいで言う。

 

「うん。ええよ。はよいっといで。」

 

「うん!ちょっとまっとって!」

 

コバくんがシャワーを浴びてる間、私は料理の仕上げをする。

冷めてしまったものは温めて、サラダは更に冷たくする。

綺麗なグラスを用意して、テーブルを整えた。

 

「お待たせ!早いやろ?」

 

コバくんは子どもみたいな顔をして帰ってきた。

 

「あはは。早かったなぁ。じゃ、食べようか。ビール飲むやろ?」

 

「うん!飲む飲む!ゆきえ。ありがとう!」

 

私たちは冷えたビールで乾杯をし、集中して作り上げた料理を2人で食べた。

 

「うまい!!全部うまい!!ゆきえの料理は全部うまい!!」

 

コバくんは顔をくしゃくしゃにしながらそう言った。

 

「あはは。ありがとう。落ち着いて食べぇや。焦らんと。」

 

私は自分で作った料理が美味しいのかどうかわからない。

ほぼ毎日作っていたけど、ずっと美味しいかどうかわからないでいた。

コバくんが美味しいと言っているんだからきっと美味しいんだろう。

 

「…ふぅ…」

 

ビールを飲んで一通り料理に箸をつけた時、私は小さく息を吐いた。

 

「…そろそろ…か?」

 

コバくんは私の小さく吐いた息を見逃さなかった。

箸を置いて不安そうな顔で私に聞く。

 

「…そうやな。そろそろやな。」

 

「そうか。俺、ここにおってええやろ?」

 

「うん。じゃ、隣の部屋で電話かけてくるわ。」

 

「うん。待っとるわ。」

 

「…よし。…じゃ行ってくる。」

 

「うん。…ゆきえ。俺、ゆきえの味方やから。なんでも言うてな。」

 

「…うん。ありがとう。」

 

 

私は携帯電話を持って隣の部屋に入った。

 

ドキドキドキドキドキドキ…

 

鼓動が激しくなる。

喉が詰まり、吐き気がする。

足がガクガク震え、携帯を持つ手もブルブルと震えていた。

 

「…ふぅ!!」

 

大きく息を吐き、携帯電話に登録してあるK氏の番号を表示させた。

今まで何度この番号を見つめただろう。

ここに連絡する日がいつかやってくるんだと思いながら過ごした日々。

とうとうその日がやってきてしまった。

 

これからどんな会話が繰り広げられるか全くわからない。

K氏が今どんな気持ちでいるのか全くわからない。

 

私はただ謝ろう。

急に逃げ出したことを。

そして返したいものがあると伝えよう。

K氏が私を罵倒しようとも、殺すと言おうとも、私はただ謝罪をして返したいものがあるんだと伝えよう。

会って謝罪したいと伝えよう。

 

「…よし。」

 

私はしばらくK氏の番号を見つめてからボタンを押した。

 

プルルルル…プルルルル…

 

呼び出し音が鳴る。

鼓動がますます高鳴る。

吐き気が増す。

逃げ出したい。

でも逃げたくない。

 

 

「…もしもし?」

 

 

ドキッ!!

 

聞き覚えのある懐かしい声が電話の向こうから聞こえる。

 

 

「……」

 

 

緊張が酷すぎて何も言えず黙り込む。

声が出ない。

息が苦しい。

 

「…もしもし?」

 

 

「……」

 

 

やっぱり何も言えない。

どうしよう。

このまま切ってしまおうか。

またかけ直したほうがいいかもしれない。

 

そう思っていた時、電話の向こうのK氏がこう言った。

 

 

「…ゆきえか?」

 

 

ハッと息をのむ。

緊張と共にK氏が私の名前を呼んだことに嬉しさを覚える。

 

 

「…はい。お久しぶりです…」

 

 

やっと声が出た。

この言葉が精一杯だった。

 

 

「…おっまえ…」

 

 

電話の向こうのK氏が大きな声で「おっまえ…」とい出した時、私は「あぁ…いよいよ始まってしまった…」と絶望的な気分を味わっていた。

 

 

 

 

つづく。

 

 

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184

 

3月。

今月で終わる。

 

富永さんは「淋しいのぉ。ほんとに辞めるんかのぉ。」とよく口にするようになった。

富永さんが上田さんにも今月いっぱいで辞めることを言ったようで、「アリンコ。なんで辞めるんや?ほんまに辞めるんか?」と聞いてくるようになった。

私はそろそろお客さんにも伝えていかなければと思っていた。

 

ずっと長い事通ってくれているお客さん数人には2月の時点で伝えていたのだけれど、ありがたいことにみんなが「残念やなぁ…」と淋しそうに言ってくれた。

私をずっと指名してくれてるお客さんは割と遊び慣れている人が多くて、「なんで辞めるんや?」と聞いてくるけど、深く聞こうとする人は1人もいなかった。

そして決まってこう言ってくれた。

 

「有里がいなくなってしまうのは淋しいけど、がんばりや。ずっと応援しとるで。有里ならどこでもやっていけるわ。」

 

私はこういう優しい言葉を聞くたび泣きそうになった。

でも接客中に泣くのが嫌だった私は、必死にこらえて「そりゃそうやろー!あはは。」と笑ってふざけていた。

 

そろそろK氏に連絡をとらなければと思う毎日が続く。

いつこちらから連絡をとるのがベストなのかわからない。

頭の中にいつも響く。

「そろそろ連絡しなければ」の言葉が。

 

正直K氏に連絡をするのが怖くて仕方がなかった。

K氏は私にどんな言葉をかけるだろう。

逃げ出した私に。

 

ある日コバくんが私にこんなことを言った。

 

「なぁゆきえ。…もうK氏に連絡するの止めたらええんちゃう?なんでゆきえがそのお金を返さなあかんの?返す必要なんてないやんか。」

 

私はその言葉を聞いて一瞬怒りを覚えた。

『お前に何がわかるんだ!』と。

でも次の瞬間心が揺らいだ。

 

『そういえばそうかも…』と。

 

私はK氏に連絡をするのが怖すぎて『そういえばそうかも…』と思い始める。

この期に及んで私の決心は鈍り始めていた。

 

このまま逃げ切ったら?

連絡なんかするの止めて、貯まった700万円で何かすればいいじゃん。

そもそも私が払わなければならない義務なんてないんだし。

勝手に罪に感じて、勝手に返さなければいけないと思い込んだだけなんだし。

 

「う…でも…それはできひんなぁ…」

 

私はコバくんのこの言葉にひるんでしまい、小さな声でしか返事をすることができなかった。

 

私はそれからグルグルと“そのこと”について考え始める。

『連絡をしなくてもいい理由』を考えている自分がいた。

 

私がこのままK氏に連絡をしなかったらどうなるんだろう?

どこかで捕まるのだろうか。

捕まったらどうなるんだろうか。

そして私はどうやって生きていくんだろうか。

 

私は3月いっぱいで殺されると思いながら生きていた。

そんな私が“これからのこと”を考えてみる。

 

私の“これから”があるとしたら、私はどうやって生きていきたいんだろうか。

 

そんなことを考えている時、私は“生きていく”ということがわからなすぎて泣きたくなった。

 

K氏に連絡をせず、逃げて生きていく方がいいのか。

今は怖いけれど、K氏に直接連絡をして真正面から話してお金を渡した後殺された方がいいのか。

 

私は考えて考えて考えた。

 

そして実感してしまった。

 

私のこの後ろめたさは消えることはないということを。

 

たとえ「そんな返す必要のないお金を返すなんてアホだ」と言われようとも、「後ろめたさを感じる必要なんてない」と言われようとも私の“これ”は絶対なくなることはない。

 

 

 「コバくん。私、やっぱりちゃんとK氏に会うわ。」

 

コバくんから「連絡するの止めたら?」と言われた数日後、私ははっきりとした声で、まっすぐにコバくんを見てそう言った。

 

コバくんは私のその姿を見て悲しい顔をした。

そしてその顔のまま「…そうやな。ゆきえがそう決めてここに来たんやもんな。」と言った。

 

私は毎日淡々とお仕事をこなし、少しずつお客さんにも今月で辞めると伝えた。

富永さんは私の送別会を企画しているから最終日の夜は空けておいてくれと言った。

理奈さんは毎日「ほんまに辞めるん?」と聞いてきて、上田さんは「アリンコー。辞めると淋しいぞー。」としょっちゅう言っていた。

日を追うごとにコバくんの笑顔はひきつり始め、無理してふざけているのがバレバレになった。

 

私は毎日「今日連絡する?」と自分に問いかけ、その度にガクガクと足が震える程の恐怖を味わっていた。

 

3月の終わり頃。

私はこの毎日の恐怖に耐えられなくなり、とうとう「今夜K氏に連絡するわ。」と仁王立ちの姿勢でコバくんに伝えた。

 

「…うん。そうか。俺がいる時間に連絡してや。ゆきえ1人でせんといて。こんな俺でも役に立つかもしれんやろ?1人でいるよりも俺がいた方が混乱せんかもしれんやろ?な?頼むわ。」

 

コバくんはどこかあきらめたような表情で私にそうお願いをした。

 

「…わかった。じゃあ今夜コバくんがいる時間に連絡するわ。」

 

「…おう。ありがとう。」

 

コバくんは優しく私を抱きしめ、私の頭にキスをした。

 

「じゃ、行ってくるわ。待っとって。」

 

「うん。いってらっしゃい。気をつけてね。待っとるわ。」

 

私はコバくんを会社に送り出し、洗濯をして掃除機をかけた。

今日は火曜日。

私のお休みの日だ。

今夜連絡をすると決めてしまった。

落ち着かない。

何かをしていないといられない。

今夜の私はどんな顔をしているだろう。

そしてどんな気持ちを味わっているのだろうか。

 

K氏はどんな言葉を私にかけるだろう。

 

もし罵倒を浴びせられたら私はどうなるんだろう。

もし「今から殺しに行く」と言われたらどうするだろう。

そして私はK氏にどんな言葉を言うのだろう。

 

 

「…映画でも行こうかな…」

 

私は雄琴に来たばかりの頃よく行っていた大津のパルコに行こうと思い立った。

『花』にいた時にはよく行っていた場所。

休みの日を持て余すのは今も変わっていないけど、『花』の上の寮にいた時はよく大津パルコで持て余した時間を潰していた。

 

思い出すとなんだか切ない。

まだ数ヶ月前のことなのに、だいぶ昔のことのようだった。

 

私は持て余しすぎていたたまれないこの時間をなんとかしようと身支度を整え始めた。

 

頭ではK氏のことを考えながら、身体は出かける準備をする。

きっと映画を観たってこの持て余した感じはなくならない。

それでもこの部屋にいるよりはマシだろう。

 

私は部屋が整っているかぐるっと確認をしてから部屋を出た。

 

今夜。

今夜だ。

早く夜になってほしい気持ちと、永遠に夜になってほしくない気持ちがない交ぜになっている。

 

「はぁ。」

 

私は小さく息を吐いて外に広がる景色を眺めた。

 

私の“これから”が今夜なんとなくわかるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

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185 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

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