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大晦日は22時の最後までお客さんに付きっぱなしで、思ったよりも忙しくて驚いた。
「ヤリ納めや。わはは!」というお客さんが数人いて心の中で苦笑いをした。
大晦日の夜と元旦はなんとなくそれっぽい料理を作り、コバくんとお酒を飲んだ。
コバくんはしばらくお正月休みで2日は実家に帰ると言っていた。
今年初出勤の2日の日も割とお客さんは多かった。
「姫はじめや。わはは!」というお客さんが数人いて、また心の中で苦笑いをしていた。
年末年始くらい家にいろよ…と思っていたのは内緒だ。
1月3日。
出勤すると冨永さんがにやにやしながら私にこう言った。
「有里。さっそくおっさん来てるで。口の周りになんかつけてな。わはは。もう1時間も前から待っとるで。頼むな。」
…ガーン…
おっさんとはあいつだ。
中島らも似の中島さん。
↓中島さんとのエピソードはここから読めます。
中島さんはあれからちょくちょく来ていて、来るたびに『切り返し』を何度もして帰っていく。
4時間半は必ず一緒にいることになり、前回は6時間も個室にいた。
その時中島さんは一回だけSEXをして、私に10万5千円を払って帰って行った。
特に無茶なことをいうわけではない。
特に意地悪なことをするわけではない。
カラダを乱暴に扱うわけではない。
見ようによってはとても扱いやすい、お金もたくさん落としていってくれるいいお客さんなのかもしれない。
でも私にとってはとても苦痛で、前回は富永さんにその辛さを泣きながら訴えた。
でも富永さんは「なんでや?おもろいおっさんやないか。それに上客やんかぁ。頑張れ。な?」と全く聞いてくれなかった。
「ずっと酒飲んで待っとるで。相当有里のこと気に入ってるんやなぁ。今日はこの後まだ予約入ってないから切り返しできるで。頑張れ。な?」
富永さんは私の気も知らずニヤニヤと笑いながらそう言った。
「嫌やぁー。ほんまに嫌やぁー。えー…ほんまに嫌やねん。うー…嫌やぁ。」
嫌すぎて涙が出てきた。
お客さんに付く前にこんなに駄々をこねたのは初めてだ
しかも泣きながら。
「…珍しいな、有里がそこまで言うなんて。そんなに嫌なんか?」
やっと気づいたか。富永よ。
「ずっと嫌やって言うてるやんかぁ。うー…嫌やぁ。お店にとってもいいお客さんなのはわかってるで。私にとってもいいんやろな。きっと。でもほんまに嫌やねん。ごめん。ほんまに嫌や。うー…どないしよぉ…」
私は働かせてもらってる身だ。
できるだけお店にも貢献したいし頂いているお金以上のことはしたいといつも思っている。
それぐらいしか私に出来ることはないから。
女の子の中には何人もお客さんにNGを出している子もいると聞いた。
(NGとはそのお客さんには入らないとお店に言って予約をとらせないということ。)
特に売れっ子になってくるとお客さんを選ぶようになる子もいるらしい。
あの理奈さんも数人のお客さんを出禁にしていると言っていた。
でも私はまだまだそんな立場ではない。
私がお客さんを選べるような立場ではないことを自分が一番知っている。
だから今までどんなお客さんだってなんとか対応してきた。
でも今回だけはどうもダメそうだった。
「…そんなにアカンか?あのおっさん。」
困ったな…の顔で私を見る富永さん。
「…うん。アカンわ。ちょっと今回だけはアカンわ。ほんまごめんなさい。」
涙を拭きながら謝る私。
「…そうか…。もうこれだけ待たせてしまったから帰すわけにはいかんから…。1本だけ入ってくれ。な?切り返し言われたら一回フロントにTEL入れてくれ。それから断ってくれればええから。」
富永さんは90分だけ相手をしろと言ってきた。
切り返しは断っていいからと。
ほんとは1本も入りたくなかった。
でもそんなことを言うのは富永さんに悪いし、長い時間待ってくれていた中島さんにも申し訳ない。
それにこれは私のワガママだ。
「…はい。わかりました。ほんとにすいません。」
私は深々と頭を下げて準備に向かった。
「おう。頼むな。」
富永さんは小さな声で私に向かってそう言った。
これから始まる時間を思うと泣けてくる。
でも90分で終わるかと思うとちょっと気が楽だ。
「…何がそんなに嫌なんだろう…」
中島さんの嫌さ加減が自分でもわからない。
とにかく一緒にいる時間が苦痛でならない。
「準備終わりました。もう良いですよ。」
階段横のカーテンの陰から顔を出し、上田さんに声をかける。
「おう。アリンコ、あのおっさん嫌なんか?」
カーテンの中に入ってきた上田さんが私に聞く。
「…うん。めっちゃ嫌やねん。ほんまは1本も入りたくないくらい。」
下を向いてごにょごにょ言う私。
「アリンコがそんなこと言うの初めてやないか?珍しいなぁ。90分、頑張れ。終わったら褒めたるから。あ、そうや。これやるから。」
上田さんは私の頭をポンポンと撫で、黒いベストのポッケからなにやら取り出して私の手の平の上に乗せた。
「え?アメちゃん?」
いつも待合室のテーブルに置いてあるアメが1個、手のひらの上に乗っかっていた。
「おう。これやるから頑張れ。な?」
上田さんは目を泳がせながら、ちょっと身体を不自然に動かしながら私を励ました。
「あはははは!ありがとう。アメちゃん…なんか嬉しいわ。」
貰おうと思えばいつでも貰えるアメ。
それをこうやって貰うとこんなに嬉しいなんて。
「じゃ呼ぶで。ええか?」
「うん。お願いします。」
上田さんからチケットを受け取りカーテンの外に出る。
跪き顔を伏せる。
「お待たせしましたー。どうぞ。」
待合室の中から上田さんの声が聞こえる。
ドキドキドキドキ…
これから始まる90分が嫌で仕方がない。
どんな時間になるのか。
絨毯を踏む静かな足音。
視界にスリッパを履いた足が見えた。
「いらっしゃいませ!お待たせしました。」
顔を上げて笑顔を見せる。
「おう。」
中島さんは私の顔も見ずに階段の方に向かった。
いつものことだ。
私は急いで中島さんについて行く。
「こっちですよ。お部屋こっちです。」
「おう。こっちか。」
フラフラとした足取りでぶっきらぼうに答える中島さん。
相変わらず口の周りに“何か”がついている。
見ようによっては面白いおっさんなんだけどなぁ…
うっすらとそんなことを考える。
でも嫌なものは嫌だ。
「よろしくお願いします。」
一応三つ指で挨拶をする。
「酒頼んでくれ。ビールかな。有里はビールでええか?」
さすがに名前は覚えてくれた。
でも挨拶はまるで見てくれていない。
「はい。ビールでいいです。今頼みますね。」
「おう。なんかつまみないか?」
「えーっと…ないですね。フロントに聞いてみます。」
「用意してへんのか?そりゃあかんわ。今度から用意しておいてくれ。」
フルフルと震える手で「あかんわ」と言いながら手を振る中島さん。
震えが前よりもひどくなっている気がする。
「すいません。今聞きますね。」
笑顔で答える私。
もう嫌な時間は始まっていた。
なんとかフロントで簡単なつまみを用意してもらい、ビールとともに運んでもらう。
「飲むか。ほら、有里も飲め。」
中島さんは気持ち悪い笑顔で私にビールを勧めた。
私は「ありがとうございます。」と言いながらビールを飲み干した。
今日は90分だけだ。
今日はたった90分だけ。
もう今回で終わりにしてもいいし、嫌われてもいい。
いつも私は中島さんの言いなりだったけど今回は違うパターンでいってみよう。
そんなことを考えていた。
中島さんとの90分はまだ始まったばかりだ。
つづく。
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