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「え?え?え?そうなんですか?!」
私は原さんの「結婚することになってん」の言葉にかなり驚いていた。
だって…ずーーっと風俗嬢やってたわけでしょ?
もちろん原さんは優しい女性だし、可愛らしいし、素敵な彼がいたっておかしくないし…。
でもさ、ずーーっと風俗嬢をやっていた女性と『結婚』をする男性って…いるんですか…?
もう自分も風俗嬢になっているくせにそんなことを思っていた。
「まぁなぁ…。そういうことになってんなぁ。」
タバコを吸いながら照れくさそうにつぶやく原さん。
なんだか幸せそうだ。
「おめでとうございます!!で?誰なんですか?お相手!」
私は顔を原さんの方に近づけてニヤニヤしながら聞いた。
「あはは…えーとな…龍宮御殿のボーイやねん…あはは…」
あー…前の店のボーイさん…
「えー!そうなんですか!だから龍宮辞めたんですか?」
「まぁなぁ。やっぱり同じ店にいるっていうのもなぁ。」
「まぁそうですよねぇ。」
原さんとそのボーイさんがお付き合いを始めたのは5年前。
付き合いだしてすぐに、原さんが住んでいる光営マンションで一緒に暮らし始めたらしい。
「もう6年目やし、私ももう雄琴は飽きてきたしなぁ。そんなことを思ってたらな…
むこうから言ってきたんや。」
「ん?で?なんて言ってきたんですかぁ?」
私はわざとはやし立てるように聞いた。
「もう!有里ちゃん!…まぁ普通にな…『結婚しようか』ってな…あはは…」
嬉しかったんだろうなぁ…
その光景が目に浮かぶもん。
「ひえーーー!!すごーーーい!幸せですねぇ!」
「いやいやいや…そんなん…そうでもないでぇ!」
照れまくる原さん。
可愛い。
「え?あれ?それで…これからどうするんですか?」
原さんの「雄琴にも飽きてきたし…」が急に引っかかる。
嫌な予感がする。
「んー…北海道に帰ろうかと思ってるんや…」
え?!
原さんがいなくなっちゃう!!
え?!やだ。やだ。やだ。
「…えー…あ…そう…なん…ですかぁ…」
私は言葉がでなくなった。
原さんが雄琴からいなくなっちゃう。
急に不安が押し寄せる。
「まぁ、すぐすぐやないけどな。相方も出身が北海道なんよ。」
原さんがいなくなっちゃうことはすごく淋しいけど、こんなに幸せそうなんだから黙ってちゃだめだ。
「そうなんですねぇ。よかった!ほんと、よかった!」
私は「うんうん」と頷きながら言った。
「ありがとう…。そうや、有里ちゃん。寮を出るかもしれないんやろ?部屋は?どう?」
原さんはちょっとだけ潤んだ目で私に聞いてきた。
「あー…はい。まだお部屋は決まってないんですけど…でもなんとかなりそうです。たまきさんが紹介してくれたんです。」
「よかったなぁ!でな…家のもので有里ちゃんが使えそうなものがあったら持って行ってくれていいからな。冷蔵庫とか炊飯器とかトースターとかもあるで。あとはなんやろ?電子レンジか!あとはぁ…タンスとか棚とかももし良かったら使ってほしいねんけど…あ!有里ちゃんが嫌じゃなかったらやで!」
え?
なんで?
私は何も持っていない。
一人暮らしを始めるにはどれだけのものを用意しなきゃいけないのかと、ちょっと途方にくれていたのも事実だ。
そこに原さんのこの提案。
「えー…すごい…いいんですか…?あ!でも新婚生活に必要じゃないですか!」
「いやいや…ええねん。北海道に送ろうとするとめちゃくちゃ高いねん。だったら向こうで少しづつ揃えた方がええやろ?だから、使ってくれたら嬉しいねんけど…」
原さんはもう北海道へ行く準備を心の中で進めているんだ。
次の場所に行く準備を始めてるんだ。
「まだ少し先になるかもやから、有里ちゃんの引っ越しが私より先だったら自分で揃えちゃってもええから。タイミングが合ったらやけどなぁ。」
「はい!ありがとうございます!嬉しいです。」
ぺこりと頭を下げる。
原さんはニコニコしながらタバコを吸っていた。
「はい、お待たせー。」
店長さんが桂花陳酒のボトルと水割りセットを持って入ってきた。
「ありがとう!おー!まだこのボトルあったんやなー!」
ボトルには「美咲♡」と書いてあった。
「そりゃあそうですよぉ。とっておきますよー。美咲ちゃんまだこないなぁっていつも思ってましたよぉ。」
物腰柔らかな店長さんがにこやかに言う。
「またぁー!ほんまそういうことばっかり言うんやからなー。有里ちゃん、騙されたらあかんで。店長はすぐこういうこと言うからなぁ。あははは!」
「ほんとですよぉ。有里ちゃん、食べてる?どうですか?」
「あ!食べてます!すっごく美味しいです!ほんと!」
にこやかに店長さんが頷いた。
「そう。よかったぁ。有里ちゃんのお顔は観音様みたいやなぁ。おでこがピカピカやなぁ。」
また言われた。
「観音様って…あはは…そんないいもんじゃないですよー。おでこ?あー…ただテカってるだけですよぉー!」
恥ずかしかった。
店長さんは「いやぁ~有里ちゃんのおでこ、触りたいなぁー」と小さい声で笑いながら言っていた。
「そうや、店長。今日富さん来てる?」
原さんが店長さんに言った。
「ん?いや、まだ来てないなぁ。今日は遅いね。違うとこで飲んでるのかなぁ。」
「あーそうかぁ…あのな、有里ちゃんを富さんに紹介しようと思っててな。」
富さんとはどうやら「シャトークイーン」の店長さんのことらしかった。
「あーそう!今女の子少ないって言ってたから…有里ちゃんなら喜ぶんやないかなぁ。うんうん。じゃあ来たら声かけるわなぁ。」
「うん。お願いします。ありがとう。」
私はぺこりと頭を下げて「お願いします」と小さな声で言った。
桂花陳酒の水割りを作り、原さんに渡す。
「有里ちゃんも飲んで!これ美味しいから。」
「はい」と言いながら自分の分も作る。
「じゃ、乾杯。」
「はい、乾杯。」
原さんが結婚して北海道に行ってしまう。
私は寮から出ようとしている。
そして、もしかしたら「花」からも出るかもしれない。
「有里ちゃん。『花』には長く居んほうがええ。あそこには勉強になる人なんていないから。みんないい人やで。それは認める。でもな…みんな諦めちゃってるやろ?」
原さんは今まで見てきたすごい風俗嬢たちの話をしてくれた。
毎日指名で埋まる人がどこの店にも一人や二人はいるもんだと教えてくれた。
「有里ちゃん。染まったらあかん。『花』に染まったらあかんよ。期限決めたんやろ?
目標決めたんやろ?守りや。そうやないと…私みたいになるで。ほんま。あはは…」
原さんの言葉にグッと胸が詰まる。
今までどんなことがあったんだろう?
涙が出そうになった。
「…決めた期限…ちゃんと守ります。」
私は正座をして桂花陳酒をグッと飲んだ。
それから私たちはボトルを追加して一本空けた。
二人ともいい感じに酔っぱらっていた。
「でな、雄琴には伝説の人が三人おんねん。それはな…」
「毎年何人か自殺者がでるねんなー雄琴村内でやで!まぁだいたいは…」
「広田さんは麗ちゃんに惚れとるって噂やねんけどな…」
「猿渡さんが一回美紀さんを口説いたらしくて…」
「私、昔SMクラブにおってな…」
「実は一回子どもおろしててなぁ…」
原さんから出てくる話し全てが面白かった。
私はずっと「へぇ!」とか「えーーー?!」とか「ぎゃははは!」とか言っていた。
深夜3時。
そろそろ帰ろうかーと言っていた時、店長さんがふすまを開けて入ってきた。
「富さん来たよー。もう寝るって言ってるけどどうする?」
ドキッ!!
急に緊張が走る。
「あ!行く行く!ちょっと待ってって言って!私が話があるって言って!」
原さんが慌てている。
「はいはい。わかったよー。言ってくるねぇ。」
店長さんが出ていくと原さんは私を急かした。
「有里ちゃん行こう!軽く挨拶して、それから帰ろう!」
急に酔いが醒めてきた。
どんな人なんだろう?
そして私はそこで働くことになるんだろうか?
私が大衆店以上のお店に入ることができるんだろうか?
ただの挨拶なのに私はガチガチに緊張していた。
つづく。
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