㊷
荷物を持ってふく田の個室を出る。
「有里ちゃん、お会計はあっちでしてもらうから。」
原さんはいそいそとしていた。
どうしても私を紹介したいらしい。
カウンターの右端に一人の恰幅の良い男性が座っている。
「あ!富さん!」
原さんが声をかける。
男性がくるりとこちらを向いた。
「おー…美咲やないかぁー。ひっさしぶりやのぉ~。」
太い眉、細い目、大きなだんごっ鼻。
四角い顔に河童みたいな口。
髪は角刈りで白いワイシャツに黒いスーツ。
そのおじさんはでっぷりと出たお腹をさすりながら原さんに挨拶をしていた。
「富さん、この子。有里ちゃん。」
カウンターの後ろに立ったまま、原さんは私を紹介した。
「あ…有里です。よろしくお願いします。」
緊張しながら挨拶をした。
「おー、有里ねぇー。おもしろい名前やなー。富永です。よろしく。」
富永さんはぺこっと頭を下げた。
「富さん、この子どう?シャートークイーンでどうかな?」
原さんはグイグイと話を進めようとしていた。
「女の子足りないんやろ?それで、どうかと思って。」
私は戸惑ってその様子を他人事のように見ていた。
「まぁ座ったらええやんか。なぁ?」
「うんうん。それで?どう思う?」
原さんは酔っぱらているからか、推しが強くなっていた。
「まだ『花』には言ってないんやろ?辞めるとか。有里?」
富永さんは私に聞いた。
「あ、はい。何にも言ってません。」
「私が急に富さんに紹介したいって言って連れてきちゃったんや。有里ちゃんを『花』
に置いておきたくなくてな。だから有里ちゃんはまだ辞めるもなにも、私がお節介で今話してるだけやでー。あははは!」
富永さんは腕を組みながら冷静に話をしてくれた。
「わしは今の時点ではなんも言えんわ。女の子が足りないのは事実やけど、ここで今『うちに来てくれー』ってわしが言ってしまったら引き抜いたことになってしまうやんか。『花』さんとの関係性が悪くなってしまうことは避けたいんや。」
雄琴村は小さいコミュニティだ。
お店同士の仲っていうのも大事にしなければならない。
女の子のことでお店同士が揉めることもたくさんあるんだと聞いた。
「そうやんなぁー。」
原さんは富永さんの方を見ながら「うんうん」と頷いた。
「でもさ、どうなの?有里ちゃんのこと。シャトークイーンに欲しいと思う?」
ドキッとした。
でも一番聞いて欲しいことだった。
「そりゃ欲しいわ!若いしなぁ。でも言えんわ。」
嬉しかった。
欲しいと言われたことがほんとに嬉しかった。
「有里。またここに来たらええよ。わしはほとんどここで飲んでるから、誰に見られてもなんともないしな。美咲と一緒にまたここに来たらええわ。話しはその時にまたしようか?」
富永さんは細い目をもっと細くしながら私に言った。
「はい。来ます。なにもわからないので色々聞かせてください。お願いします。」
私は『花』を辞めるつもりだとも『シャトークイーン』で働きたいとも言わなかった。
何も言わなかった。
何もわからなかったから。
私の周りで話がどんどん展開している。
その様子が不思議でならなかった。
「じゃ、帰ろうか。富さん、また近々ね!おやすみなさい。」
「おやすみなさい。」
お会計を済ませて、店長さんが呼んでくれていたタクシーに乗り込む。
お会計はまた原さんが払ってくれていた。
「有里ちゃん。富さんとこ行ったほうがええよ。またすぐここに一緒に来よう。」
原さんはポンポンと私の肩を叩きながら優しく言った。
それから私は休みごとに動きまくった。
マンションのオーナーさんに連絡を入れて内覧させてもらい、話を聞いた。
比叡山坂本駅近くの2DKのマンション。
家賃は7万5千円。
すごく綺麗で日当たりもいい。
一つだけ気になったのはユニットバスだということ。
でもそれ以外は何も不満はなかった。
私はそこの部屋に決め、手付金を支払った。
6月の頭には引っ越すことにし、それまでの間に必要な家電やらを揃えようと動いていた。
まずは引っ越して『花』から離れたら辞めるかどうしようか決めよう。
そんなことを考えていた。
5月の終わりのある日。
控室にいた私を広田さんが呼んだ。
「有里。ちょっとええか?」
広田さんは私をお客さんの上がり部屋に連れて行った。
「なんですか?」
私は自分が後ろめたいことをやっているような気がして、広田さんに呼ばれることにドキドキとしていた。
「有里。もうすぐ部屋持ちになれそうやで!今月は無理かもしれんけど、絶対来月はいけるやろうなぁー!このままナンバー1にもなれてしまうかもしれんでー。」
広田さんは嬉しそうニコニコしていた。
「え?そうなんですか?…部屋持ち…」
嬉しい。
けど…
複雑な気持ちだった。
「そうや!有里。部屋決まったんやろ?」
広田さんが急に不安そうに聞いてきた。
「あぁ…はい。決まりました。」
「寮を出ていくだけやんな?店は…辞めへんやんな?」
…グッ…
答えに困る。
でもここは嘘をつこう。
原さんにも富永さんにも迷惑がかかる。
「…辞めませんよー。せっかく慣れてきたのに!頑張りますよー!」
胸が痛い。
「そうやな!頑張ろうな!」
広田さんの顔が明るくなる。
「じゃ、話はそれだけや!戻ってええよ!」
控室に戻る。
おねえさん達が勢ぞろいだ。
ぐるりと見渡す。
原さんが言う通り、だれからもやる気が感じられなかった。
服装も毎日同じ。
化粧も髪型もさほど気にしてない様子だ。
何よりもみんなお腹がボコボコと出ていた。
ナンバーワンの明穂さんと上品な雰囲気の裕美さんだけが、かろうじてカラダにも気を使い身ぎれいにしている感じだった。
控室には忍さんもいた。
忍さんはいつの間にか『花』の雰囲気にどっぷりと染まっていた。
いつも同じワンピース、化粧もしない、お腹も出てきている。
そしてお客さんが来ないことを喜び、いつもゴロゴロしながらお菓子を食べていた。
私はその姿を見てゾッとした。
人はこんな風に変わっていってしまうんだと怖くなった。
ここに長くいてはいけない。
その時私はここ『花』を辞める決心をしていた。
つづく。
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