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「え…?!え…?!」
身体を起こして開いたドアの方を見る。
ドンッドンッ!
知らない男の人が大きな足音を立てて控室に上がってきた。
「え?!…え…?!」
誰?!
身体が硬直して動かない。
控室には私1人だし、まだお店の開店時間には早すぎて誰も来ていないかもしれない。
控室の隣にある部屋に新人のボーイさんが寝泊まりをしているけど今いるかどうかもわからない。
その見知らぬ男性は控室のドアを開けると、すぐ目の前にあるロッカーの扉をガンガン開け始めた。
ロッカーは全部で8個。
上4つ、下4つの上下に分かれている。
そのロッカーを上からガンガン開けている。
鍵がかかってるロッカーがあると「おいっ!!」とすごい剣幕で怒っている。
ひょろひょろの細い身体、ジャラジャラと音を立てているネックレス、てろてろのチェックのシャツ、だぶだぶのチノパン。
ロッカーをガンガン開けているその顔は『ヤバい』と感じさせるものだった。
「ここだ!…通帳…通帳…3千万円…通帳…どこやぁ…どこやぁ…」
一番左下のロッカーを開けてその男性はブツブツしゃべっている。
そしてロッカーの中身をガンガン出している。
全身から焦りを感じる。
目の焦点が合っていない。
私はその姿を見て「あ」と思った。
加奈さんの…
「ない…ない…どこや…3千万…どこいったんや…」
ブツブツ言いながらロッカーの中をぐちゃぐちゃにしている男性。
私は炬燵から起き上がったまま硬直状態でその一部始終を見ていた。
男性のその様子は尋常じゃなく、このままでいたらもしかしたら私は刺されてしまうかもしれないと感じていた。
どきどきどきどきどきどき…
鼓動が激しくなる。
怖い。
怖い。
どうしよう。
頭ではそんなことを考えているのになぜか口が勝手に開いてしまった。
「ちょ…何してるんですか?!」
はっ!!
ちょっと!
私何言ってんの?!
パッと男性が私の方を向く。
坊主頭に近い髪型。
痩せこけた顔。
鼻と唇にピアスが光っている。
ぎょろぎょろとした目をこちらに向けて私を見た。
こ…怖い。
刺されるかも。
刺されたらきっと痛いんだろうな。
やだ。
やだ。
刺されるの嫌だ。
私は何故か刺されると思っていた。
「通帳があるはずなんだよ…3千万入ってるんだ。知ってるか?どこにあるか。ロッカーはここだろ?加奈のロッカーはここだよな?通帳持っていきやがったんだ。どこにあるか聞いてるか?知ってるか?…俺のなんだよ。俺の通帳なんだよ。加奈から聞いてるか?」
男性は唾を唇の端に溜めながら一気にそう言った。
目を見開き、どこを見てるかわからないほど瞳孔を開かせて。
「…知りません…」
「ない…ない…俺の通帳…3千万入ってるんだ…俺の…俺の…ちくしょう…あいつ…」
私の言葉なんてまるで聞いていない。
男性はまた狂ったようにロッカーの中をぐちゃぐちゃにしながら通帳を探している。
「ちょっと…止めてください。なに勝手に入ってきてるんですか?警察呼びます。」
私の口がまた勝手に開いた。
ちょっと!
私何言ってんの?!
鼓動がまた激しくなる。
「え…?いや…俺の通帳なんだよ…あいつが勝手に持っていくから…俺のなんだ…」
私が『警察を呼ぶ』と言ったらすぐにたじろんだ。
でもこうなったときこそ怖い。
何をしてくるかわからない。
私はやっとの思いで立ち上がり、外に逃げ出そうと身構えた。
と、その途端、男性がバッと控室からすごいスピードで出て行った。
え?!
私はしばらく何が起こったのかよくわからず立ちすくんだ。
あ!
今だ。
すぐにそう思い直し、控室を飛び出して隣の部屋のドアをノックした。
「ねぇ!いる?!ちょっと!!」
ガンガンとドアをノックする。
返事がない。
「なんでいないの!!」
そう言った時、お店の入口の方で声が聞こえた。
「おい!!何やってるんだ!!お前誰だ!!」
ボーイさんの声だ。
「ひぃーー!通帳!通帳があるんやぁ!!ここに絶対あるんやぁ!だから探しにきただけやぁ!」
男性の声が響く。
はっ…
捕まえたんだ…
「アリンコー。いるかー?」
上田さんが廊下のカーテンをバッと開けて入ってきた。
私は控室の前の廊下で立ち尽くしていた。
「ちょ…今のなんやったん?!ねぇ?!今の何?!大丈夫なん?!あれ何?!」
上田さんの顔を見て急に安心して感情が溢れだす。
「おう。怖かったやろぉ。もう大丈夫やで。今警察くるから。何もされへんかったか?」
上田さんは私の頭をポンポンと優しく撫でた。
「うぅ…うーーー!!怖かったぁーーー!!」
安堵した私は上田さんの前で泣いてしまった。
「そりゃ怖かったやろぉ。うん。そうやな。もう平気やから、控室であったかくして休みぃ。もう絶対ここにはあいつは来んから。」
上田さんはバスタオルを持ってきて私に優しく巻き付けた。
「う…うん…ほんまにびっくりしたぁ…」
私は控室の隅っこに小さく丸まった。
まだ胸がどきどきしている。
男性のあの目が脳裏に焼き付いて離れない。
「3千万…」
そんなお金、あるわけない。
加奈さんが店にいたあのわずかな時間でそんなお金になるはずがない。
「怖かったぁ…」
1人で呟きながら身を縮こませる。
コンコン…
控室のドアをノックする音がする。
どきっ!!
身体が強張る。
「誰っ!!」
怖い。
身体が震える。
「有里ー。わしや。」
ドアの隙間から顔を出したのは富永さんだった。
「はぁ~…なんやぁ…富永さんかぁ…」
ボーイさんから連絡をもらって慌てて店に来たらしい。
「大丈夫か?怖かったやろぉ?」
「もーーー!!めっちゃ怖かったよぉーーー!!なんなん?!あれなに?!何しに来たん?!ていうか、なんで店に入れたん?私裏口の鍵閉めたで!」
富永さんの顔を見てさらに安心した私は怖さを怒りに変えて富永さんにぶつけた。
「おー。加奈が逃げたんやてな。通帳持っていきやがったって何度も言うとったわ。
鍵なぁ。これで開けたらしいわ。」
富永さんは私の怒りをスルッとかわし、淡々と話した。
「こんなんでほんまに開くんやなぁ」と富永さんは手に持っている針金を私に見せた。
は…針金…
「えー…そうなんやぁ…」
針金を使ってでもドアを開けて探し出そうとする男性。
私はその事実に『人間の怖さ』をひしひしと感じた。
「もう警察に連れていかれたから大丈夫やで。」
「そう…かぁ。よかった…。」
「おう。ところで有里。加奈からなんか聞いとるか?」
はっ!
そうだ!
加奈さんが逃げ出したことを言わなきゃ。
「さっきTELがあったで。これから逃げるって。富永さんに謝っといてほしいって。
落ち着いたらこっちからまた連絡するっていうとったけど、今はもう携帯の解約するし居場所がわかってしまうのも困るから私から伝えておいてほしいって言うとったわ。」
「そうかぁ…。店としては困るわなぁ…。うーん…」
富永さんは複雑な顔をしていた。
「さっきのTELで彼がお店に行って迷惑かけてしまうかもしれんけどって言うとってなぁ。まさかこんなにすぐ来ると思わんかったわ。しかもあの登場の仕方ある?!」
「店にとっては大迷惑やな。まぁでもあのスカウトと関わったのはわしや。店とこんないざこざ起こしたんやからあいつはもうこの辺では仕事できひんな。
加奈もあんな奴と離れられたのはよかったんやろなぁ。」
雄琴村ではすぐに噂が広まる。
富永さんはきっと意図的にあの男性の話しをするだろうし、上田さんや新人ボーイさんもトキやどこかの飲み屋で今日の出来事を話すんだろう。
あの男性は雄琴村ではどこからも相手にされなくなる。
きっとまたどこかの歓楽街で“仕事”をするんだろう。
“商品”を見つけて。
「有里。今日仕事できるか?大丈夫か?」
優しく心配してくれる富永さん。
「え?休んでええの?!」
だいぶ落ち着いた私はふざけて富永さんにそう言った。
「あかんよ。そりゃあかんでぇ。」
「あははは!そりゃそうやんな。できるで!」
「おう。もう少し休めや。それとも一回帰るか?」
「あー…そうやね。着替えたいし帰ろうかなぁ。」
「送って行くで。車出すか?」
「え?!やったー!お願いします!」
富永さんは車の中で今まであったいろんなエピソードを話してくれた。
店のソープ嬢を好きになってしまい自殺してしまったボーイさんの話し、店に殴り込みに来たお客さんの奥さんの話し、女の子のお兄さんが突然店に来て無理やり女の子を連れて帰ってしまった話し…
どれもこれも話しの内容が濃すぎて「うはー!」と言うしかなかった。
そんな富永さんが
「今日のはまたすごい出来事やったなぁ。有里もすごいことに遭遇してしまったなぁ。」
と笑いながら言った。
「ほんま…すごかったぁ…あんなことがあるんやねぇ…」
たまたま控室に泊まった日にあんなことがあるなんて。
「無事でよかったなぁ。有里。」
富永さんがポロッと言った一言が刺さる。
「ほんま…そう…ですよねぇ。」
あそこで何がどうなってもおかしくない出来事だった。
もしかしたら…なことが脳裏をかすめてぞくっとする。
「じゃまた後でな、ちゃんと来いよ。」
「はーい!ちゃんと行きますよ!」
私は部屋に戻りシャワーを浴びた。
コバくんがちゃんと自分のコーヒーカップを洗って出て行ったことに「よし」と思う。
ソファーにごろんと横になり、ボーっとしているとさっきの出来事がまた頭のなかで繰り返される。
「…あれはなんだったんだろう…」
お金、SEX、女、男、生活、恋愛、人生、人間…
私はなんでここにいるんだろう。
一体毎日何をやってるんだろう。
答えの出ない考えにまたぐるぐると埋没する。
「さ。行こう。」
準備を淡々と終え、私はまたヒールを履いて店に向かう。
「シャトークイーンまでお願いします。ご存知ですか?」
タクシーの運転手さんに行先を告げて。
今日は何人の男性と肌を重ねるんだろう。
そして何枚のお札をこの手に持つんだろう。
今日も私の1日は淡々と始まっている。
つづく。
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