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「…あはは…まぁしゃーないわ。有里ちゃん、また連絡するわなー。じゃ。」
美紀さんはいそいそと帰ろうとする。
引きつった笑顔。
手には店で使っていた黒い低いヒールの靴を持っていた。
「ちょ…ちょっと待ってくださいよ!」
私は裏口から出ていこうとする美紀さんを追いかけた。
「…なんで?…どうしてこうなったんですか?」
何があったのかどうしても聞きたかった。
私にはどうすることもできないことはわかっていたけど。
「…あー…昨日な、個人面接?面談?みたいのがあってん。有里ちゃんはお客さんについてたんかなぁ。…でな、結構嫌味言われてなぁ…」
美紀さんの顔が暗く曇る。
結構な嫌味…
どんなことを言われたんだろう…
「…えー…なにそれ…それで?どうしたんですか?」
私は美紀さんに近づき腕を掴んだ。
「…なんかな、あんまり嫌味言うから怒ってしまってなぁ…喧嘩したんよ。…あはは…そしたら…クビやって…あはは…」
喧嘩になってクビ?!
どういうこと?
「え?!なんですか?それ?!喧嘩したってクビにする必要はないじゃないですか?!」
私は憤っていた。
お店側のやり方に腹が立っていた。
「…まぁもともとクビにするために個人面接をやったんやろうなぁ…」
…なにそれ…
…なんだよそれ…
「…で…美紀さん…これからどうするんですか…」
目の前の美紀さんは化粧もせずTシャツにジーパン姿だ。
シミだらけの顔、垂れ下がったホッペの肉、ボコボコのお腹…
この姿で他の店が雇ってくれるのか…
「…まぁ…『恋』に知り合いがいるから連絡してみるつもりやけどなぁ。
でも、とりあえずゆっくりするわぁ。」
「恋」は雄琴村内でも最下級に属するお店だった。
「花」よりも金額は下のお店だ。
「…そうですか…うん。そうですね。ゆっくりするのがいいですよ。」
私は喉を詰まらせながらそう言った。
私にはどうすることもできないんだ。
「…ありがとな。有里ちゃん。変な男にだまされたらあかんよ。はよ足洗いや!な?」
私は「…はい」と言って掴んでいた美紀さんの腕を離した。
「ほなな!また飲もうな!」
笑いながらタクシーに乗り込む美紀さん。
…もう会えないんだろうなぁ…
美紀さんは私とはもう会わないんだろうなぁ…
私はそんなことを感じ、寂しさと虚しさが胸にこみ上げていた。
瑞樹さんと美紀さんがクビになった。
控室で一番ピリピリしていた瑞樹さんがいなくなったお陰で、少し控室の雰囲気が柔らかくなっていた。
原さんは休み明けにその出来事を聞いて、ただただ「…まぁしゃーないわなぁ…」と言っていた。
私は…
…相変わらず、ただ目の前のお客さんに満足してもらえるように全力を尽くすしかなかった。
6月の二週目の日曜日。
私はフル回転でお客さんについていた。
店が終わり、へとへとになりながら個室の掃除をしていると「コンコン」とドアをノックする音が聞こえた。
「はい。」
ドアを開けると原さんが立っていた。
「有里ちゃん。ちょっといい?」
私は掃除の手を止め、原さんを部屋に入れた。
「明日…行こうと思ってるんや。」
…え?
へとへとすぎて何を言ってるのかわからなかった。
「…どこに…ですか…?」
聞きながら泣きそうだった。
「んふふ。…行くわ。北海道。」
気付いたらボロボロと涙が出ていた。
「…そう…ですかぁ…」
引き止めることなんて出来ない。
「泣かんといてよぉー。もう。」
原さんも涙ぐんでいた。
「…すいません…」
「…うん。」
二人で少し泣いた。
落ち着いたころ、原さんが口を開く。
「…でな…明日私たちが部屋を出たら郵便受けに鍵入れておくから。
しばらく部屋かりてあるし、有里ちゃんの都合いい時に入って必要な荷物運び出してな。終ったらまた郵便受けに鍵入れといてくれたらいいから。な?」
最後までこうやって私の面倒を見てくれるんだ。
どうして?
「…いいんですか?…ありがとうございます。」
「うん。私たち、ほとんど荷物置いてくから、必要なものはなんでも持って行ってええからね。お部屋、ごちゃごちゃのまま出て言ってええから。後はマンション側がやってくれるようになってるから。」
私は原さんに何をしてあげられるだろう?
あの部屋にある冷蔵庫もレンジもオーブントースターもタンスも棚も…
多分、全部原さんがこのソープという場所で稼いだお金で買ったものだ。
それを頂いてもいいのか…
「ありがとうございます。…あの…原さん、掃除終わったら控室で待っててもらってもいいですか?」
今日で会うのは最後なんだ。
明日にはこの人はいなくなってしまうんだ。
「うん。わかった。待ってるわ。じゃあね。」
私は急いで掃除を終わらせ寮の自分の部屋に戻った。
一人暮らしの部屋を契約していながら、まだ私は寮に寝泊まりしていた。
まだあの部屋に住む気にならなかったから。
寮の部屋の片隅に本を一冊置いていた。
休みの日にまとめて郵便局に預けるまで、毎日の稼ぎはそこに挟んでいた。
本を開くとお金がバサバサと出てくる。
封筒を探すとなぜかリュックから出てきた。
「…これ…全部じゃ原さんが困るかな…」
お金をかき集める。
いくら渡したらいいのか…と考えた。
わかんない。
そんなのわかんない。
これから旅立とうとしている原さんに、いくら渡したらいいのかなんてわかんない。
私は考えてもわからないのにたくさん考えてからお金を封筒に入れた。
金額は10万円。
これがいいのか悪いのかなんてまったくわからなかった。
「原さん。ほんとにありがとうございました。感謝しきれません。北海道で頑張ってください。有里より。」
急いで拙い文章の手紙を書いた。
こんな言葉じゃないのに…言いたいのはこんな陳腐なことじゃないのに…
そう思いながら。
控室に戻ると原さんは肘をついてテレビを見ていた。
この姿を見るのもこれが最後だ。
「すいません!遅くなっちゃって!」
原さんはゆっくりとこっちを向いた。
「ええよー。どないしたん?」
ドキドキする。
胸がドキドキする。
「…あの…これ…」
おずおずと封筒を渡す。
「え?なに?これなに?」
原さんは困惑の表情を浮かべた。
「…いや…お手紙と…お礼です!」
原さんは「…えー…」と言いながら戸惑っていた。
「どうやってお礼したらいいかわからなくて!これしか思いつかなくて!それに…これでいいのかもわからなくて…でも、受け取ってください!」
原さんは私の目をジッと見た。
そして「…うん。…じゃあ…もらう。」と言って封筒を受け取った。
「有里ちゃん。ありがとう。…がんばりや。な?」
原さんは私の頭をポンポンと優しく触った。
私は泣かないように必死でこらえていた。
「…ありがとうございます!原さんも頑張ってください!お疲れさまでした!」
「うん。んふふふ。とりあえずがんばってみるわー。じゃ、行くね。」
原さんはあっさりと店の裏口から出て言った。
「また明日ね!」と言いそうなくらいあっさりと。
私は原さんが出て言った後、すぐに広田さんを探した。
「広田さん!」
まだ閉店作業が終わってなかった広田さんが廊下を歩いていた。
「お?なんや?有里。」
「私、明日お店が終わったら寮を出て行きたいんです。」
広田さんが驚いた顔をしていた。
つづく。
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