⑮
忍さんへの講義?を終え、詩織さんは若干疲れた顔でこう言った。
「んーと…洗うとかお風呂入るとか大丈夫やと思うから…マットをお互いやりあいっこしてもらおうか。」
えっ?!と忍さんと顔を見合わせる。
忍さんは詩織さんのマットを受けた後で、顔が少し赤くなっていた。
「じゃ、有里ちゃんからやってみて。」
「は、はい!!」
私は脳裏に焼き付けたことを一生懸命反芻していた。
マットを用意する。
コンドームを忍ばせる。
ローションの準備。
なるべく熱いお湯でマットを温める。
枕部分にタオルを敷く。
ローションをマットにトロリと流す。
さあ!
いくぞ!
スルーン!
ローションをマットにのばすため、私はマットに滑り込んだ。
さっき詩織さんの動きを細部に渡ってみていたから、手の置き所、足の蹴り方のコツがなんとなくわかっていた。
スルスルー
スルスルー
軽快に…とまではいかないけど、なんとなくの形はとれたことに喜んでいた。
忍さんにうつ伏せになってもらう。
いよいよだ。
背中にローションを塗り、マットスタート。
忍さんが重くないように手と膝で踏ん張る。
マットの溝をうまく使わないと即座にツルンと滑り落ちてしまう。
手、、手が…プルプルする…。
ぎこちない動き。
余分なところに力が入ってるのが自分でもわかる。
く、悔しい…。
私は脳裏に焼き付けている詩織さんの姿とはまるで違う動きをする自分が悔しくてたまらなかった。
なんとか必死で一通り終えることができた。
「有里ちゃん、よく一回で覚えたなぁ。すごいわ。あとはもう“慣れ”やなぁ。
慣れてるお客さんなら教えてくれたりもするから、どんどんお客さんに聞いちゃった方がええで。大丈夫。」
詩織さんが優しく言ってくれた。
でも…。
こんなんでお客さんに入っていいのだろうか…。
腕がまだプルプルとしている。
悔しい。
出来ないことがこんなに悔しいなんて。
私は詩織さんの優しい言葉に反応することができなかった。
今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「はい…。でも…。こんなんでほんとに大丈夫なのか…。悔しくて…。」
詩織さんは目を見開き、びっくりした様子で
「有里ちゃんは真面目やなぁ~!そんなこと言う子おらへんで!あはははは!
そんな風に言えるなら絶対大丈夫やって。」
と大きな声で言った。
その言葉を聞き、隣にいた忍さんが大きく「うんうん。」と頷いていた。
「じゃ、次忍ちゃん。」
私が今度はうつ伏せになり、忍さんのマットを受ける番だ。
忍さんはぎこちない動きで、全てにおいて自信なさげなマットを披露してくれた。
おぉ…。
こんなにも違うものなのか…。
詩織さんのマットとはまるで違う感触。
なによりも安心感がない。
そして包まれ感も、ない。
私は忍さんのマットを受けることで、何が大切なのか一つ分かった気がした。
「はい!お疲れさま!じゃあ研修はこれで終わりやで。二人ともこの後お客さん入るんやろ?」
詩織さんは「今日晩ごはん食べるんやろ?」みたいに聞いてきた。
「えーと…、はい。多分そうなると思います。」
私はバクバクの心臓の音を悟られないように、なるべく普通に返そうとしていた。
「最初は優しいお客さんにつけてくれるから大丈夫やって。新人さんにはみんな優しいから。甘えてなんでも聞いた方がええよ。私もお客さんにたくさん教えてもらったんやで。がんばってや!」
お客さんに教えてもらう…
甘える…
そんなことが私にできるんだろうか。
「はい。ありがとうございました!」
「ありがとう…ございました…。」
忍さんから憂鬱オーラが全開で出ていた。
コンコン!
ドアのノックと共に広田さんの大きな声が聞こえた。
「おーい。もう終わったかー?」
「うるさいわ。もう終わったでー。」
広田さんはニコニコと笑いながら入ってきた。
「おう。お疲れさまやなー。どやった?大丈夫か?ん?」
上機嫌の広田さんに連れられ、控室に戻る。
「ほなら、ちゃんと女の子たちに紹介しような。」
控室には7人の女性が座っていた。
「えーと、今日からの新人やで。有里と忍や。で、こっちから、瑞樹、原、美紀、紀子、裕美、たまき、で、ここにいるのが今のナンバーワンの明穂や。」
いっぺんに名前を言われたのと極度の緊張で、全く名前が頭に入ってこなかった。
が、ナンバーワンの言葉には敏感に反応する自分がいた。
明穂さん。
へぇ…。
この人がナンバーワンかぁ…。
「やめてやぁ。今たまたまやねんから。よろしくね。」
小柄な女性。明るい茶色の髪。ふんわりと軽くパーマをかけているようなボブヘアー。
顔は決して美人ではないけれど、小動物のような可愛らしさがある感じ。
歳は…多分30代半ばか後半くらいに感じた。
へぇ…。
割と歳いってそうだなぁ…。
小娘の私はそんなことを思っていた。
明穂さんの最大の特徴は声だった。
いわゆるアニメ声。
小柄の身体と小動物のような顔立ちにぴったりな感じだった。
「有里ちゃんと忍ちゃんはいくつなん?まだ若いやんなぁ?」
可愛いアニメ声で明穂さんが聞いてきた。
「あ、はい。21です。」
私が答えると控室の女性が一斉に
「えぇー!若いわぁ~!」
「ほんまぁ!ええなぁー!」
「若いとは思ったけど21!!そうかぁ~」
と騒ぎ出した。
くるりと見渡す。
おぉ…。
そこには見事に「おばさん」ばかりの顔ぶれがあった。
「もう部屋の準備はしたんか?わかった?」
酒焼けのようなガラガラの声で優しく聞いてきてくれたのは美紀さん。
「あ、はい。詩織さんに教えてもらいました。ありがとうございます!」
緊張しながら一生懸命答える。
美紀さんは一瞬だけ眉間にしわを寄せた。
「詩織さんか。どやった?大丈夫やった?」
美紀さんは「いまどきそれ?」な聖子ちゃんカットだった。
昔は可愛かったのかもなぁと思わせる化粧っ気のない顔、ボコボコに出たお腹、
それに趣味の悪いパツパツのスーツを着ていた。
こ、この人は、、需要があるのだろうか…
の思いと同時に、この人の半生を知りたくなっていた。
「はい!優しく教えてくださいました。でも…できるかどうかは…わかりません。へへ。」
美紀さんの酒焼け声と気さくな雰囲気に少し気が緩む。
「大丈夫やって。すぐ慣れるわ!わからんことあったらなんでも聞くんやで!」
「最初はそりゃ緊張するわなぁ。」
「私も最初はさぁ~…」
「そうやったねぇ。もうどんだけ昔の話しやのって感じやけどなぁ。わっははは!」
ひゃ、百戦錬磨の方たちの話しっぷりだ…
そこの女性たちはみんな優しそうな、頼りになりそうな方たちばかりだった。
ひときわ優しい声で話してくれたのは裕美さん。
しっとり落ち着いた雰囲気を醸し出す女性。
少し薄くなった髪を綺麗に整えている。
薄く化粧をしている顔は地味だけど愛らしさがある。
「有里ちゃん、忍ちゃん、お客さんに嫌なことや乱暴なことされたらすぐにボーイさんに言うんやで。断っちゃったってええんやからな。自分の身は自分で守らなきゃやからな。」
や、優しい…。
「はい!ありがとうございます!!」
緊張しながらも女性たちとお話をしているとスピーカーからマイクでアナウンスが聞こえてきた。
控室には受付とつながっているスピーカーがある。
そのスピーカーで女の子の名前を呼び出す仕組みになっていた。
お客さんがきた合図だ。
「有里さん。有里さん。お客様です。」
えっ?!
ザワザワザワ…
控室がザワつく。
「有里ちゃん、来たな!」
「落ち着いてや。」
「大丈夫やって。」
「わからんことあったらお客さんに聞けばええんやからな。」
先輩たちがみんなで優しく応援してくれている。
「は、はい!」
すっくと立ちあがると広田さんが控室にひょこっと顔を出した。
「じゃ、有里。いこうか。優しいお客さんやから大丈夫!いこかー!」
小娘有里のデビュー戦、始まる。
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