私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

私の自叙伝です。雄琴ソープ嬢だった過去をできるだけ赤裸々に書いてます。

これから始める私のお話しのメイン部分は21歳から22歳までの体験です。

滋賀県雄琴という土地にある、雄琴村とよばれているソープランド街でのお話し。

ただ、そのメインのお話に行く前に、私の生い立ちに触れて行きたいと思います。

どうしてソープ嬢になったのか。

どうして滋賀県雄琴という場所に行ったのか。

そこにはどんな思いがあったのか。

ドキドキするようなお話に入る前に、少しだけ私の生い立ちにお付き合い下さいませ。

 

 

私は東京都の町田市というところで生まれました。

姉と兄がいる3人兄弟の末っ子。

姉とは10歳の歳の差。兄は7歳上。

かなりの歳の差で生まれた末っ子なのでそりゃまぁ可愛がられました。

家の両親はものすごく子煩悩で、めちゃめちゃ子供を可愛がります。

母は特に。

父はいわゆる昭和な男で、亭主関白。

でもめちゃくちゃ家族好きで自分の子供大好き。

私は愛情一杯に育った…んでしょうねぇ。

きっと。

 

物心ついた時から私はいわゆる目に見えないものが見えるヤツでした。

幽霊らしきヤツや、宇宙人らしきヤツ、精霊らしきヤツや動物霊らしきヤツラら…

いろんな声や音も聞こえちゃう子でした。

私の家は大きな山を削ってできた、大きな団地街の一室。

そこはとても地場が悪い土地だったらしく、いっぱいいっぱいいろんなヤツらがいたんです。

(だいぶ経ってから知りましたが、その土地は祠や神社やお稲荷さんが尋常ではない数あるんですよ。)

 

裕福ではない家だったので私は幼稚園からカギッ子でした。

母親がパートに出てたのですが、幼稚園から帰ってきて少しの間お家で

1人お留守番をしていることがよくありました。

そんなときは必ずといっていいほど幽霊?らしきヤツがいたずらを仕掛けてきてました。

トイレから母親の声で『おかえりーー!』って聞こえるんです。

え?お母さん帰ってきてるの?と嬉しく思い『ただいまーー!!』と元気に応える。

でも、いくら待ってもトイレから出てこないんですよ。

で、ドアを開けてみると…

だれもいない。

こんなコトはしょっちゅう。

幽霊?的なヤツらって、いたずらするんだなーと5~6歳の時に知りました。

 

そんなこんなの幼稚園時代。

やたら泣き虫で

毎日兄にからかわれて、毎日兄の期待どうり泣いてました。笑

近所のお友達にもなぜか意地悪されて、これも期待どうり毎回泣いてました。笑

なのに誘われるとまた遊びに行く。で、また意地悪される。期待どおり泣く。笑

でもね、こんな泣き虫の弱虫なのに

 

『あぁ…私、今この場所にいるんだなぁ…私、今ここに生まれてここにいるんだなぁ…』

 

なんて砂場とかで空を見上げて考えてたりするんです。

泣き虫の私とは違う感覚で、なんだか達観しているような

別の自分がいるような感じ。

今でも鮮明に覚えています。

幼稚園や公園の砂場で空を見上げながらしょっちゅうそんなコト思っていたこと。

(↑何故か砂場。)

 

この不思議な感覚はこの後も常にずーーっとあり続けます。

幽霊的なものを見るのも気配を感じるのも割とずーーっと続きます。

 

そんな私は、小学校3年位から急激に太り始めます。

まーぶくぶくぶくぶくと。

小児肥満ってやつです。

小学校5年生くらいで多分65キロくらいあったんじゃないかなぁ?

割とな肥満です。

でも当の本人はあまり気にしてなく、あっけらかんとしたものでした。

そりゃたまに『デブーー!』とからかわれて凹んだり、

身体測定の前にかーなーりな憂鬱におちいったりもしましたがね。

でも、とくに肥満でいじめられるコトもなく(小学校1年生くらいには近所の子にいじめられることもなくなってました。なんでだろ?笑)

お友達もたくさんいて、割と楽しい小学校時代を送っていた記憶です。

が…がですよ。

小学校6年生になった頃、親戚のおばさんが私の肥満体を心配して

なのか?その時自分がやっていた商売だったのか?のどちらかは定かではないけど

健康食品的なものを持って家に訪れたのです。

アメリカの一食置き換え食品&サプリメントのセットでした。

説明を聞いてるとどんどん夢が膨らんで『へー(*_*)これで痩せられるんだーーやってみたいーー!』と思えてきちゃってねぇ。

父親も母親も私がぶくぶく太っているのが不憫だった&身体が心配だったってのもあり

『どーする?やってみる?』と割と高価なソレを買ってくれたんです。

 

さて、私はこの後の人生、ずーーーっとひどい自己否定感に悩まされるのですが…

多分ここが私の自己否定感の確立点。

『お母さんは太っている私が嫌なんだ。』

『お父さんは太っている私が醜くて嫌なんだ。』

そうインプットされたんだと思う。

これはだいぶ経ってから気付くんだけどね。

 

そこからわたしのダイエット人生がはじまります。

まー過酷です。

そりゃそうです。

『痩せてなきゃ愛されない』

『太ってて醜い私は愛されない』

と思い込んでしまったから。

 

そのダイエット食品を夕飯置き換えでやりはじめ、

みるみる痩せていったんです。

そりゃ元がちょー肥満児ですからすぐある程度は痩せますよ。

でもね、それが嬉しくて面白くて…

カロリー表を熟読して、どんな食品のカロリーもだいたい言えるような

中学1年生でした。

 

でもね…

 

食べたいんですよ!!

もともと食べるのだーい好きですから。

それに成長期。

我慢にも限界があります。

『食べたい!!でも痩せたい!!』

『これ食べたら○○キロカロリーだから…あーー!また太るっ!!』

『痩せてなきゃ醜い!!太ってたら愛されないっ!!』

もう無限ループ。

つらいっす。

 

そんなこんなですからね、摂食障害に至るまでそう時間はかかりませんでした。

 

少しずつ精神崩壊していってたんですね。

 

まずやってきたのは拒食。

食べたら太る。太るとますます醜くなる。

醜いと愛されない。

じゃ食べない。食べられない。

これでガクンと痩せました。

とはいっても、元が調肥満児。

そのうえ元々ガタイがいい方だし

やたら丈夫にできてるので

ガリガリにはなりませんでしたけどね。(;´∀`)

それに元々食べるコトが大好きだったので

この期間はそう長くありませんでした。

 

次にきたのが過食。

今まで食べられなかった反動で

食べて食べて食べまくる。

尋常じゃない量です。

お腹がパンパンになるまで食べまくって眠る。

で、太る。

自己嫌悪。

 

その後。

過食おう吐。

食べて食べて食べまくって…

その後すぐおう吐。

そうすれば太らないから。

 

この過食おう吐。

その後15年ほど続きます。

地獄。

ほんとに地獄の毎日でした。

 

 

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