私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

私の自叙伝です。雄琴ソープ嬢だった過去をできるだけ赤裸々に書いてます。

206~最終話~

 

その日の夜。

コバくんは上機嫌で帰ってきた。

 

「ゆきえ。俺軽トラ借りよう思ってる。今度の部屋はここより狭いしゆきえの物だけになるやろ?そやからいらんもんは捨てて、俺のもんは持って帰るからそんなに荷物ないと思うんや。引っ越し屋さん頼むよりそっちのが安く上がるし、俺、ゆきえと2人でやりたいと思ってな。」

 

コバくんはそう言って引っ越しの計画を話し始めた。

すでに軽トラを借りるツテも見付けていて、もう従わざるおえないような状態になっている。

というよりも、やっぱり私は引っ越し自体が他人事で、コバくんの提案も「あ、うん。」としか言えないでいた。

 

「俺、全部頑張るから。ゆきえは重いもんとか持たんでええし。それでええかな?」

 

「あ、うん。でも…コバくん大変やん。ええの?」

 

「俺がそうしたいの。ゆきえと2人でやりたいんや。」

 

「うん…そうなんや。わかった。」

 

「じゃいつ引っ越すか決めよう。えーと、リフォームが終わるのが今の住居人が出て行ってから2日後くらいや言うてたから…俺の休みを利用して…」

 

コバくんはカレンダーを見ながら次々といろんなことを決めていく。

私は「あ、うん。」と言っているだけだ。

 

流れて行く。

私の目の前をいろんなことが流れていく。

 

「じゃ、ゆきえはここの部屋の解約日を大家さんに連絡しておいてくれる?」

 

上の空の私にコバくんが顔を近づけて聞いてきた。

 

「え?あ、うん。わかった。」

 

「ゆきえ?大丈夫?」

 

コバくんが私の顔を覗き込んで聞く。

 

大丈夫かって?

私が?

…そんなのわからないよ。

そもそも『大丈夫』ってなんだろう。

 

「うん。大丈夫やで。」

 

私はまた嘘をつく。

胸が痛い。

そして不安だ。

シャトークイーンに帰りたい。

もう一度有里ちゃんに戻りたい。

そう思う一方で、新しい暮らしをほんの少しだけ楽しみにしている自分がいる。

 

大きな変化が私に起こっていることがわかる。

でもこの変化は私が起こしているのではない。

滋賀県に来た時は『私が』やっていた。

でも今回は『私ではない誰か』がやっている。

それはコバくんなんだけれど。

 

誰かに動かされるという居心地の悪さと自分の無力感を味わい、私の思考は追いつけなくなっていた。

 

一度死んだ私がもう一度生きる。

そのための私の気力が追い付かない。

 

やりたかったことをやると決めたはずなのに、ルールも決めたはずなのに、私は有里ちゃんの残像を捨てきれない。

そして『生きる』がわからないままだ。

 

そんな私を知ってか知らずか、コバくんは私を置き去りにして話しをどんどん進めていた。

 

 

引っ越しの日取りを決めた後、コバくんはどんどん動いた。

使いづらいベッドを捨て、私が買った不要になったエアコンを友人に格安で売り、自分の荷物をほんの少しだけ残して実家に持ち帰った。

 

私は言われた通りに大家さんに連絡を入れ、段ボールをかき集めてガムテープを購入した。

 

 

新しい部屋の契約はすぐに終わり、部屋の内覧をしないまま引っ越し当日を迎えた。

 

「ゆきえ!これ運べる?」

「ゆきえはこれまとめて。俺はこれ運んじゃうから。」

「あ、これはもう捨てていいんちゃう?いる?」

「あー!これ持って帰るの忘れてたー!」

 

汗だくになりながら動き回るコバくん。

私はコバくんの指示通り荷物をまとめ、あまり重くないものを運んだ。

 

自分の部屋がどんどん殺風景になっていく。

 

2人で汗だくになりながら何度も往復して荷物を軽トラに積んでいく。

何も考えず、ただただ指示通りに動き、荷物を運ぶ。

 

何度往復しただろう。

私の部屋だった場所がいつの間にかガランとした空洞になっていた。

 

何もない。

カーテンすらない。

ただの空間。

 

私はかつて私の部屋だったその空間に立ちすくみ、ボーっと見回した。

 

「…あぁ…こんなに広かったんだぁ…」

 

1人でつぶやく。

コバくんは下で荷物を積み上げていてまだ戻って来ない。

 

この部屋を契約した時のことを思いだす。

あの時『花』のお姉さんが声をかけてくれなかったらこの部屋には住めなかったんだ。

そして『花』のボーイさんや田之倉さんが荷物を運んでくれたから、すぐにここで暮らせたんだ。

そして原さんが家具や調理器具を譲ってくれたからこの部屋が出来あがったんだ。

安いカーテンやソファーをとりあえず買い揃え、それから少しずつ荷物が増えていったんだ。

 

いろんなことが絡み合い、この部屋が出来あがり、そしてめちゃくちゃだったとはいえ『生活』が成り立ったんだ。

 

短い間だったけど、この部屋には濃密な思い出が詰まり過ぎている。

 

ガランとした空間を見つめ、私は溜息をついた。

 

「…ありがたかったなぁ…」

 

いろんな人に助けられ、ここまで来たんだと再確認する。

そして今もコバくんに助けられて私は移動していく。

 

「…ありがとうございました!」

 

私は何もない空間に深々と頭を下げて、お礼を言った。

 

「何してるん?」

 

その時コバくんが私の後ろで声をかけた。

 

「あ…なんかお礼が言いたくなって頭下げてた。あはは…恥ずかしいー!変なとこみられちゃったな。ははは…」

 

私は恥ずかしくて照れ隠しに笑った。

 

「…恥ずかしないわ。そうやな。俺もお礼言っとこう。俺もたくさんお世話になったから。ありがとうございましたー!!」

 

コバくんは私を笑うことなく一緒に頭を深々と下げた。

 

「写真撮っておこう。きっと数年後には懐かしく見てるで。」

 

コバくんはデジカメを取り出し写真を撮った。

いろんな角度からガランとした部屋を撮る。

 

「ゆきえも映ってー!ほら、こっち向いてー!」

 

 

ひとしきり写真を撮り、大家さんに鍵を渡して挨拶をする。

 

「綺麗に使ってくれてありがとうねぇ。」

 

大家さんはニコニコ笑いながら私にそう言った。

 

「そんな…お部屋を貸してくれてありがとうございました。ほんとにいい部屋でした。」

 

「そう?うれしいねぇ。今度はどこ行くの?」

 

「あ、兵庫県です。」

 

「そう。がんばって。まだ若いんやから。ねぇ。」

 

大家さんは私がソープ嬢だったということを知っているはずだ。

その人が「頑張って」と言っている。

 

「はい。ありがとございます。」

 

「うん。じゃ、ここは鍵かけんと行っていいから。私はこれで。ゆっくりお部屋とお別れして。な?」

 

大家さんはにこやかな笑顔でそう言うと、部屋を出て行った。

 

私とコバくんは顔を見合わせながら「じゃ、行こうか」と言い合った。

 

部屋のドアをパタンと閉めて、外の廊下の様子を写真に収める。

 

外の景色を目に焼き付け、廊下歩き階段をゆっくりと降りた。

何度ここを往復しただろう。

落胆して登ったり、うきうきしながら降りたり、泣きながら登ったり、仕事に行くのが嫌だと思いながら降りたり…

 

どこを見ても愛しかった。

ここに私の経験と体験のかけらがたくさん落ちている。

 

「ゆきえ?泣いてるん?」

 

「え…?うん。なんか泣けてきた。」

 

私は涙を流した。

あの時の“私”はもういないことが淋しくて泣けてきた。

もう二度と戻れないという事実が、こういうお別れのときに痛いほどわかってしまう。

 

 

「…よぉ頑張ったもんなぁ…」

 

泣きながら軽トラに乗り込み、運転席でコバくんがそう呟いた。

 

「…ううん…きっともっと頑張れたんだよ。私…もっと頑張ればよかった…うー…」

 

この期におよんで後悔している。

もっと頑張れたはずなんだ。

どこまでいっても私は怠け者でだらしない。

 

「そんなことないで。ゆきえはよぉやったよ。だから、これからはもっと楽しんでいいんやで。もっとゆっくりやったらええ。焦らんと、ゆっくり楽しんで。俺はそういうゆきえの姿がみたい。な?しばらくゆっくりしたらええよ。俺、近くにおるから。」

 

コバくんは私の頭をポンポンと撫でながら優しくそう言った。

 

「うぅ…ありがとう…。私…できるかな…生きられるかな…」

 

不安で押しつぶされそうだ。

K氏の元にも戻らない、有里ちゃんでもなくなった、私。

どうやったら生きていけるんだろう。

誰をお手本に生きていったらいいんだろう。

 

「できるって。ゆきえはすごい女なんやから。俺、知ってるで。ゆきえは言い出したら聞かないってこととか、めっちゃ強いってこととか、でも優しいってこととか。

だから大丈夫。ゆっくりやろう。」

 

コバくんは笑いながら、でも強い口調でそう言った。

 

「…うん。…そうやね。ゆっくりな。…それが一番苦手なんやけど。あはははは。ありがとう。」

 

「お!笑った!そうそう!笑いながら行こうや!ゆきえはすごいんやから!で、そのすごい女を好きになった俺もすごいんやから!なー?」

 

「あははは。そうやね。行こう行こう。」

 

「もうお別れせんでいいか?車、出していい?」

 

コバくんは優しい口調で私に聞いた。

 

「え?…ちょっと待って。」

 

私はもう一度軽トラから降り、周りの景色をぐるっと見回した。

そして息を一回吐き、軽トラの助手席に戻った。

 

「相変わらず田舎だった!あははは。」

 

涙の跡をそのままにしながら、私は笑いながらコバくんにそう言った。

 

「そうやな!田舎やな!あははは。」

 

「うん。でも…めっちゃいいとこだった!一生忘れられない場所になった!」

 

「そうやな。俺もやで。」

 

「じゃ、行こうか。しゅっぱーつ!」

 

「おう!しゅっぱーつ!!」

 

コバくんは軽トラのエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。

 

「ばいばーい!」

 

私は窓を全開にしてマンションに向かって大きく手を振った。

 

何もない国道を走る。

風が気持ちいい。

 

私は全開の窓から入ってくる風を受けながら、遠くなっていく見慣れた風景を眺めていた。

 

よかったな。

ここに来てよかったな。

 

これからどうなるかまるでわからないけど、今わかっているのは『ここに来てよかった』と思っていることだけだ。

きっと私はこれからのたうちまわるんだろう。

きっと私はこれから悩み、苦しむんだろう。

でも今はそんなことは忘れてこの時間を感じよう。

 

ここに来てよかったなぁ。

 

「…ふふ…」

 

全開の窓から顔を少し出し、思い出し笑いをする。

 

「なに笑ってるん?」

 

つられて笑いながらコバくんが聞く。

 

「ん?ふふ…面白いこと、たくさんあったなぁと思って。」

 

「え?…そうかぁ。」

 

「うん。…私、今軽トラ乗ってるんだねぇ。ふふふ。面白い。」

 

「うん?…そうやな。あはは。俺、なんで今軽トラ運転してるんやろ?あはは。」

 

「コバくんどうしたん?なんで軽トラ運転してるん?あはははは。面白いなぁ。」

 

「あははははは。」

 

「あははははは。」

 

 

軽トラの中、2人で笑う。

私を兵庫県に運びながら。

私をどこかに運びながら。

 

 

小娘有里は滋賀県雄琴と『有里』という名前に別れを告げて、次の場所で生きていく。

のたうち回りながら、悩みながら、これから『生きる』を学んでいくことになる。

 

小娘有里が『幸せ』を知ることになるのはここからもっともっと先の話し。

 

笑いながら次の場所に移動している小娘はきっとその場所でもたくさん笑う。

泣いても悩んでも、きっと笑うことになる。

それが『幸せ』へと続くキーポイントだということを全く知らないのに。

 

 

 

 

 

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