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ふく田の店長さんに何度もありがとうを伝え、店を後にした。
「有里ちゃん。辞めても店に来てな。待ってるから。応援してるからね。」
何度もそう言う店長さんに「うん。うん。また来るから。」と言った。
生きてたらまた来るね。と心の中で思いながら。
二次会は雄琴の入口付近にある、カラオケスナックの『ピカソ』。
「今ピカソの店長に連絡入れといたから。個室にしてもらったわ。朝まで歌おうや。のぉ?有里。」
富永さんは歌う気満々だ。
「南にも連絡いれたがぁ。あいつは有里の大ファンやからのぉ。すぐ行くー!言うとったわ。わはは。」
南さんとは『トキ』で一緒に飲んだ後、数回一緒に飲みに行っていた。
南さんはその度に「有里ちゃんが大好きやぁー。」と言い、「いつまでもそのままでいてねぇ。」と何度も言っていた。
私は南さんの優しい雰囲気が好きで、いつしか『南パパ』と呼ぶようになっていた。
「あ!南パパ来るん?へー!」
「おう。すぐ飛んでくる言うとったで。あいつ、今日は泣くやろなぁ。」
「あははは。泣くかなぁー。」
「そりゃ泣くわ。わしかてほんまは泣きそうなんやで?知っとるか?」
「知らんわ!」
「有里は冷たいのぉー。」
「あははは。」
タクシーの中まで楽しい。
私はたまに泣きそうになるものの、かなりの時間ずっと笑い転げていた。
「あー!有里ちゃーん!!」
ピカソに着くと南さんが私を見て駆け寄ってきた。
「南パパー!来てくれたんやぁー!」
「ほんまに飛んできたんやないやのぉ?こりゃ飛んで来たでぇ。」
富永さんがとぼけた口調で南さんをからかう。
「ほんまに飛んできたわー。会いたかったぁー。」
南パパは優しい笑顔で私にそう言った。
「あはは。ありがとう。」
「もう今日は有里ちゃんのとなりから離れへんから!絶対となりに座るから!」
南さんがそう言うと富永さんと理奈さんがすかさず返す。
「有里はわしのとなりじゃあ。何をいうとるんやぁ。」
「私のとなりが有里ちゃんやでー。なぁ?有里ちゃん!」
ちょっと。
私、大人気じゃん。
嬉しいんですけど。
「あはは。みんなありがとう。人気者になったみたいで勘違いしそうやわぁー。あははは。」
みんなでワーワー騒ぎながらピカソの個室に入る。
THE・昭和!な店内。
薄暗い照明に変な花柄の壁紙。
薄汚れた茶色のビロード地のソファーにちょっとガタガタするテーブル。
タバコの匂いとエアコンの埃が混ざったような匂い。
一段高くなっている場所がステージのようになっていて、その頭上には小さなミラーボールがぶら下がっていた。
私はこういう場所が割と好きだ。
なんだかワクワクする。
「じゃ歌うかー!」
富永さんはノリノリでサブちゃんの歌を入れている。
南さんは私のとなりにぴったり座り、「お疲れさま。で?ほんまに辞めちゃうの?」と聞いてくる。
富永さんがステージに立って歌いだすと、みんなは盛り上がりながら自分の歌う歌を探し出した。
「あはは。ほんまやで。最初から決めてたからな。」
みんなが盛り上がってるのを笑いながら見つつ、南さんと話す。
「ちゃんと決めてた通りにするんやなぁ。有里ちゃんはすごいなぁ。ぼくはね、有里ちゃんのそういうところを尊敬するんや。だから大ファンなんやぁ。がんばってな。ぼくはね、ずっと有里ちゃんのファンやから。また連絡してくれるかな?あ!いやいや。そんなこと言うたらあかんな。それはあかんな。ごめん。」
南さんはバツが悪そうな顔で水割りを飲んだ。
「え?なんで謝るん?あはは。おかしいなぁ。南パパー。」
私は南さんの肩を叩きながら笑った。
「いやいや。ファンとしてあるまじきことを言うてしまった。ほんまはまた会いたいで。ほんまはな。そりゃそうやろ。ファンやねんから。でもな、有里ちゃんはこの世界の人とは関わらんほうがええやろ。すっぱり辞めるんやから。関わりは持たんほうがええとぼくは思う。…さびしいけどなぁ。」
南さんは優しいトーンで話す。
この世界に長く居る人の言葉。
優しいトーンだけど、なんだか強い。
南さんにそう言わせるだけの“何か”があるのがこの世界なのかもしれない。
「ありがとう。でも…私は理奈さんとも富永さんともふく田の店長さんとも付き合いは続けていきたいと思ってるで。相手が望んでくれるならやけどな。あはは。だから南パパとも関わりを持たん!なんて決めないつもりやで。あかん?」
もしかしたら南さんの言ってることは正しいのかもしれない。
ソープランドの世界は特殊といえばそりゃそうだし、何かやっかいなことに巻き込まれてしまう可能性も高いのかもしれない。
私はこの世界から『足を洗う』立場になるのだから、南さんはまっとうなことを言ってるんだろう。
でも…と私は思う。
どの場所にいたってやっかいなことに巻き込まれる時は巻き込まれるし、いわゆる『普通の世界』で生活してようと『ソープランドの世界』で生活してようと、そこにはただ『自分の日常』があるだけだ。
『関わりを絶つ』と決めるのもいい。
でも『関わりを絶つなんて決めない』もいいと思う。
まぁそれも私が『生きていたら』の話しなんだけれど。
「有里ちゃん…。ほんまにええ子やなぁ。泣けてくるわ。うぅ…。」
南さんがふいに泣いた。
きっと酔っぱらってたからだ。
「お?!なんじゃ?泣いとるんか!南が泣きよるが!どないしたん?!まだ早かろうがぁ。はははは。のぉ?有里。言うたやろ?南は泣きよるよー言うたやろ?のぉ。ははは。」
歌い終わった富永さんが南さんの隣に座って笑っている。
「泣いてしもうたわー。泣かんとー!なぁ?パパー。あははは。」
南さんの肩をポンポンと叩く私。
「有里ちゃん泣かしたん?なんで?あははは。」
理奈さんが私の隣で言う。
「うぅ…。有里ちゃん…うー…あかん。なんか歌うわ!泣いてる場合ちゃうな。なんか歌う!」
「そうやそうや!なんか歌いやー!」
理奈さんがはやし立てる。
ステージでは上田さんが小さな声でボソボソと暗い演歌を歌っている。
「上田さーん!聞こえへんわー!」
「聞こえんわー!あははは!」
「暗いわー!」
「南ー!歌入れろー!」
「小雪!お前も歌え!」
「ねねさんは?何歌うん?」
「ななちゃんは歌うの?」
「有里ちゃーん!なんか歌ってー!」
「わしは次何を歌ったらええが?サブちゃんの何を聞きたい?のぉ?有里。」
「理沙さんは歌わへんのやろ?」
「私は音痴やからえーねん。恥ずかしいしなぁ。」
「上田さーん!聞こえへんわー!」
「あー甘いお酒頼んでもええ?ねぇ富永さーん!」
ピカソでの二次会は朝の5時まで続いた。
その間、寝てしまう人もいれば泣き出してしまう人もいればずっと歌ってる人もいた。
(ずっと歌ってたのは富永さんだけど。)
だけど誰一人として帰ろうとしなかった。
「はぁー…。飲んだなぁ…。」
理奈さんが眠そうな顔で言う。
「そうやなぁ…。もう朝やで。」
笑いながら私が答える。
「おもろかったな。あはは。」
「そうやな。おもろかったな。あはは。」
南さんと富永さんは歌いながらステージの近くでじゃれ合っている。
小雪さんもねねさんもななちゃんもソファーで寝てしまった。
上田さんともう一人のボーイさんもはじっこで寝ている。
「こんな送別会、もうないと思うわ。今までもこんなことなかったしな。」
理奈さんがポツンと呟く。
「え?そうなん?」
小さく返す私。
「ないわ。こんなこと。有里ちゃんやからやろぉ。おもろかったわ。奇跡やな。こんなん。あはは。」
ソファーにもたれかかりながら笑う理奈さん。
「ありがたいなぁ…。そうなんやなぁ。あはは。雄琴に来てよかったわ。ほんまに。」
隣で水割りをちょっと飲みながら言う私。
「そうかぁ?来てよかった?」
「うん。来てよかったし、この店でよかった。楽しかった。ほんまに。」
「そうかぁ。ならよかった。」
「うん。理奈さんに会えてよかった。」
「あはは。そりゃ私もやで。有里ちゃんが来てくれてよかった。」
「あ!これからもよろしくな。」
「ほんまやでー。私はずっと有里ちゃんとなかよぉしたいと思ってるんやで。有里ちゃんはしらんけどな。」
「アホか。私かてそう思ってるわ。あはは。」
「あはは。ならよかったわ。…有里ちゃん。」
「ん?」
「…ほんまにお疲れさま。よぉやったなぁ。偉いわぁ。」
お酒のせいだ。
絶対お酒のせい。
ガマンしていた涙がぶわっと流れたのは。
「…アホか。そんなん言わんといてぇや。」
「…ごめん。あはは…泣いてもうた。」
泣きながら理奈さんを見ると、理奈さんも涙をぽろぽろと流していた。
「…おもろかったなぁ。」
「うん…おもろかった。」
2人で「あはは」と笑いながら泣いた。
「お?泣きよるんかー?」
ステージの上から富永さんが声をかける。
「泣いてもうたー!」
私は泣きながら富永さんに向かって言った。
「わしも泣きたいわー!」
「あはは。泣けるもんなら泣いてみぃー!」
「泣けんから歌うわー!」
「ずっと歌っときー!あはは。」
おもろかったなぁ。
ここで過ごした時間。
おもろかったな。
私と理奈さんはひとしきり泣いて、ぽつぽつ話して、また泣いた。
「そろそろ帰るかー。」
富永さんが声をかけた。
もう6時だ。
「みんな帰るでー!」
寝てしまったみんなを起こす。
「えぇ…今何時ぃ?」
「帰る?どこに?」
「え?ここどこやったっけ?」
みんな寝ぼけている。
その姿を見て私は「はは」と笑う。
みんなでふらふらと店を出ると太陽が眩しかった。
早朝の雄琴は静かだ。
「店に泊まりたいやつはおるか?」
富永さんが聞く。
「あ、私このまま店で寝るわ。」
「あー…私もいいですかぁー?」
「あ、私も店で寝るー」
ねねさんを除いた女の子たち全員が店にこのまま泊まると言った。
「そうか。じゃあ…有里とはここでお別れやな…」
「あ…うん。そうやね。」
「お客さんからもらったお花とかプレゼントは今日にでも届けるから。おるやろ?家に。」
「え?ええの?」
「そりゃええが。上田が届けるから。のぉ?」
「おう。届けるわ。」
「ありがとう。」
「おう。」
「ほな。有里ちゃん。またな。」
「うん。理奈さん。またね。」
「有里ちゃん。ほなね。」
「うん。」
「アリンコ。じゃ後で。」
「うん。そうやね。」
「有里ちゃん。また店に遊びに来てや。」
「うん。わかった。」
「有里ちゃん…。またね。」
「うん。またね。」
「おやすみ。おつかれさん。」
「うん。おやすみ。おつかれさまでした。」
「ほなねー!」
「ほな!またねー!」
1人タクシーに乗り込み、みんながシャトークイーンの方に向かっていく姿を見る。
ぞろぞろと歩くみんなの後ろ姿。
私1人だけ反対方向に向かって進んでいく。
あそこに混ざりたい。
みんなと一緒にあっちの方向に行きたい。
雄琴村の中に吸い込まれて行くように、みんなの姿が見えなくなる。
「あ…」
タクシーの後ろの窓からその様子を見ていた私は声をあげてしまった。
みんなの姿が見えなくなった。
みんなは向こうに行って私だけこっち。
「あぁ…うぅ…うー…」
淋しい。
胸がえぐられるような淋しさ。
私はもうあっち側に歩いて行くことはできないんだ。
「うぅ…うぅ…」
タクシーの後部座席で泣いてしまう。
「…大丈夫?ティッシュありますよ。」
運転手さんに気を使わせてしまう。
「う…ありがとうございます…」
戻りたい。
あっちに戻りたい。
でも戻ってもどうにもならないことを知っている。
今だけだ。
こんなに悲しくて淋しいのは今だけだ。
「うぅ…うー…うぅー…」
えぐられたような痛みを放つ胸を押さえながら私は泣いた。
『ソープ嬢の有里ちゃん』が終わってしまった。
自分で決めた通り、終わってしまった。
進むしかない。
それしかないんだ。
いつだって進んでいくしかないんだから。
「うわ…うぅ…うー…」
私は家に着くまでずっと泣き続けていた。
つづく。
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