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「お疲れさまでしたー!お掃除ごめんなさい!」
控室に挨拶をしながら入るとみんなが一斉にこっちを見た。
そしてにこにこ笑いながら「有里ちゃーん!お疲れさまー!」と言ってくれた。
「とうとう終わってしまったなぁー。」
「明日からも来てええんやで。」
「今日送別会でごちそうだけ食べて、明日また普通に『おはようございまーす!』言うて来てもええやんかぁ。あはは。」
「そうですよぉ。明日また来て『辞めるの嘘やったんやぁー』って言いながら来てくださいよぉ!」
「それは怒られるやろぉー!あははは!」
賑やかな控室。
今の女の子たちは驚くほどみんな仲良しだ。
ねねさんも小雪さんも気さくでとても明るい。
ななちゃんは2人が入ってきてくれたお陰でなんだか明るくなった。
理奈さんも小雪さんやねねさんととても仲が良い。
私は最後のメンバーがこの人たちでほんとによかったと思っていた。
「じゃあ早く個室の掃除終えて有里ちゃんの送別会行こー!」
理奈さんがそう言う。
「そうやそうや!はよしよー!」
「そうやったそうやった!」
「じゃちゃっちゃとやっちゃいますよー!」
ねねさんと小雪さんとななちゃんが控室から急いで出て、個室に向かう。
控室には私と理奈さんだけになった。
「有里ちゃん。ほんまお疲れさんやったなぁ。今日忙しかったやろ?疲れてへん?」
理奈さんが相変わらずのニコニコ顔で私に聞く。
「うん。大丈夫。ありがとう。」
私も笑顔で答える。
「終わってしまったなぁ。ほんまに。」
笑い顔のまま、理奈さんが言う。
「なぁ。ほんまに終ってしまったわぁ。」
私も笑ったままで言う。
「あ!そうや。みんなの前で渡すの嫌やから今渡すわ。これ。私からのプレゼント。」
理奈さんは見慣れたヴィトンの大きなバッグから包みを出し、私に差し出した。
「え?!何?!なんで?!」
今日は驚いてばかりだ。
なんでみんなこんなことをするんだろう。
「ほんまにたいしたもんやないで。気持ちやから。な?気持ち!」
理奈さんの笑顔が可愛すぎてジッと見てしまう。
私はこの笑顔が大好きだ。
「えー…なんやそんなこと言われたら受け取るしかないやんかぁ…」
「そうやろ?私の気持ち、受け取ってくれんの?ひどい!あははは。」
「あー…理奈さんからそう言われたらなぁ…ほんまにありがとう。ほんま、申し訳ないわぁ。ありがとう。」
「なんで申し訳ないねん。私もありがとう。あ、まずいわ。泣いてしまうやんか。あーでもあれやんな。辞めたって会えるやろ?な?そやから泣く必要ないやんな?そうやろ?」
理奈さんは泣くのを回避するためにわざと早口でそう言った。
その姿を見て私が泣きそうになる。
「そうやそうや!辞めたってお別れやないから!また会えるからな。泣く必要なんてないわ。なー?あははは。」
私も泣きそうなのを隠して早口そう言いながら笑う。
生きてたらまた会おうね。絶対ね。
「じゃ私たちもはよ掃除しよ。な?」
「そうやった!忘れとったわ!あはは。」
私たちは笑い合いながら個室へと駆け上がり、「じゃ後で!」と言いながら1号室と3号室のドアをそれぞれに開け、バタンと扉を閉めた。
理奈さんは1号室。
私は3号室。
真ん中の2号室を境に、私たちは二手に別れる。
それぞれの個室のドアをちょっとだけ開けて、個室の中から少し顔を出して見合わせて笑ったことが何度あっただろう。
小さな隙間から小さく手を振ったことが何度あっただろう。
私は掃除前の少し乱れた個室に立ち尽くし、そんなことを思いだしていた。
ぐるりと個室を見回す。
初めてシャトークイーンの個室を見た時はとても驚いた。
『花』と比べてあまりにも広くて豪華で怖気づいたことを思いだす。
浴槽があまりにも広くて「潜望鏡はどうやってやるんだろう?」と真剣に考えた。
私はここで何人の男性と会ったのだろう。
何人の男性とお風呂に入ったのだろう。
何人の男性とカラダを重ねたのだろう。
どれだけの会話をしてきたのだろう。
今までの思い出がすごい勢いで私の脳裏に浮かんでは流れる。
私はその脳裏に浮かんでは流れる思い出を「はぁ」と息を吐きながら確認しつつ、ベッドのシーツをガバッと外して掃除を始めた。
ぐるぐると浮かんでは流れる今までの出来事。
ぐるぐるぐるぐるぐる…
ここで起こった辛かったことも苦しかったことも悲しかったことも、もうおしまい。
おっぱいを強く握られて痛かったことも何度も挿入されて擦り切れてしまったアソコのヒリヒリも『自尊心』という言葉がカチ割られるような出来事も、流れていく。
私はまた出てきてしまった涙を知らんふりしてテキパキと個室を綺麗に整えていった。
コンコン…
ドアをノックする音が聞こる。
「はい?」
ドアをちょっとだけ開けると上田さんがひょこっと顔をだして「今ええか?」と言った。
「あ、うん。ええよ。なに?」
「あ、片づけ大丈夫か?備品とか整理するやろ?手伝うで。」
上田さんはぶっきらぼうにそう言うと個室に上がってきた。
「あー。ありがとう。じゃあ頼むわ。」
「おう。」
上田さんは個室のテーブルの上のカゴの中にある大量のタバコを指差し、「これはどうする?」と聞いた。
そして「これは?どうする?」と次々に備品を指差し、私の指示を仰いだ。
私は「これはいらん。お店にあげるわ。」「それもお店で使ってくれる?」と言いながら、ほとんどの物をお店に寄付した。
あまりにも私が全てのものをお店にあげてしまうのを見て、上田さんがこんなことを言った。
「アリンコ。お前、ほんまにこの世界に戻ってくる気ぃないんやなぁ。」
私はその上田さんの言葉にちょっとだけ驚く。
「え…うん。そうやで。なんで?」
私は備品の整理の手を止めることなく上田さんに言う。
「いや…ほんまにいなくなってしまうんやなぁと思ってな。アリンコはすごいなぁ。こんなに潔く辞めていく子ぉは知らんわ。寂しくなるなぁ。はは。」
いつもふざけているけど、不器用さがにじみ出てしまう上田さん。
照れ屋なゆえにいつもふざけているのがまるわかりの上田さん。
その上田さんが「淋しくなるなぁ」と多少ふざけながら言っている。
「ほんまぁ?そんなこと思ってへんやろぉー?まぁたすぐそうやってからかうんやからぁー!あはは。」
私はいつも通りふざけて返した。
上田さんとはそうやってお別れしたかったから。
「ほんまやって!まぁ明日から忘れるんやけどな!ははは!」
「ほら!そうやろうと思ったわー!ひどいわぁ!あははは。」
上田さんは私のいつの間にか増えていったたくさんの備品を段ボールに詰め、「じゃこれほんまに貰ってしまうでー」と言った。
「うん。もらってもらって。新人さんが来たらあげてよ。すぐ使えるものばかりだから。」
「おう。助かるわ。じゃ、あとで送別会で。」
上田さんは重そうな段ボールを抱えながら個室のドアを身体で開けて出て行こうとした。
「あードア閉めるからええで!じゃ後でなー!」
そう言いながら私は個室のドアを閉めるために立ち上がり、段ボールを抱えた上田さんんに笑いかけた。
その時。
「アリンコー。ありがとうな。」
上田さんが照れながら私の目を見てそう言った。
私は急に言われたお礼に戸惑う。
「え?なんで?なんでありがとう?」
閉めようとしたドアの取っ手に手をかけながら戸惑う私。
「え…?いや…まぁ、ありがとうな。」
上田さんはバツが悪そうな顔で私にもう一度お礼を言った。
「え?えーと…うん。こちらこそ。ありがとう。ほんまにありがとう。」
キョトンとした顔のまま、私も上田さんにお礼を言う。
「うん…。ほな。あとでな。」
上田さんはそう言うといつものようにひょうひょうとした様子で段ボールを抱えて廊下を歩いていった。
「ふふっ…」
個室のドアを閉めて笑う。
今のやりとりはなんだろう。
「ふふ…」
ガランとした個室で1人笑う。
「ふふふ。今のなんやったん?」
独り言を言いながら、仕事着から普段の洋服に着替える。
自分の荷物をまとめて、籐のハンガーラックの引き出しに無造作に入れてある今日の売り上げ金を取り出す。
1万円札がたくさん出てくる。
いや、厳密にいえば『1万円と書いてある紙』がたくさん出てきた。
私は引き出しから『1万円と書いてある紙』を手に取り、またまじまじとそれを見つめた。
私はコレを貯めるためにここで働き、そして大量のコレを明後日にはK氏に渡しに行く。
コレは一体なんだろう?
私がずっと考えていること。
この紙は一体なんだろう?
しばらくソレを見つめてから、私は自分のお財布にソレをしまった。
「有里ちゃーん!どう?仕度できたー?もうタクシー呼んでしまってええのー?」
個室のドアの前で理奈さんが私に話しかける。
「あー!ごめーん!もう行くわー!」
私は我に返り、理奈さんの問いかけに答えた。
私はもう一度ぐるりと個室を見回し、「ありがとうございました」と頭を下げ、パタンと扉を閉めた。
もうこの個室に入ることは二度と、ない。
つづく。
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