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仕事を辞めるまでの数日間、毎日お客さんが花やプレゼントを持って店に来てくれた。
その中の1人のお客さんはティファニーのブレスレットを私に渡しながら「ほんとは指輪を送りたかったんだけど…きっと有里ちゃんはそんなことをしたら引くと思ってこれにしたんや。」と言っていた。
そのお客さんは今の奥さんと離婚して私と結婚したいという希望を持っていた。
私はその都度「私は誰とも結婚する気はない」と言って断り続けていた。
それはほんとのことで、私なんかが結婚なんてできるわけがないし、そして死んでしまうかもしれないんだから。
「今はブレスレットだけど、今度は指輪を送らせてほしい。店を辞めても会ってほしい。」とそのお客さんは言った。
私はどうせ死んでしまうかもしれないし、今後のことなんてわからないから「じゃあこっちから連絡するから連絡先教えて。」と言ってそのお客さんの電話番号を書き留めた。
ここに連絡ができたら私は無事だったってことなんだなぁとなんとなく思いながら。
ダウンタウンの松ちゃん似の、私にプロポーズをした彼も私が辞めると知って予約を入れてくれていた。
「ほら!これ。」と言いながら私の好きな日本酒をぶっきらぼうに手渡す松ちゃん。
「お前は俺の気持ちを受け入れなかったひどい女や!どこにでも行ってしまえや。」
そんな言葉を「ケッ!」と言いながら吐く松ちゃん。
なんだか「ふふ」と笑ってしまう。
「笑いごとちゃうで!ほんまに。」とブツブツ言いながら水割りを舐める。
そんな松ちゃんは個室を出る時小さな声でこう言った。
「まぁ…あれや。がんばれよ。お前ならどこでもやっていけるやろ。」
私は松ちゃんのその言葉を聞いて、また「ふふ」と笑った。
そして「ありがとう」と抱き着いて伝えた。
最終日。
私は仕事に行く前に、コバくんに「今日予約入れてたやろ?」と聞いた。
それまでそのことに触れずに毎日を過ごしていた。
向こうから言い出さないかと思いながら。
でもコバくんサプライズのつもりだったらしく、私にそのことを言ってはこなかった。
「え?!なんで?!なんで知ってるん?!」
驚くコバくん。
その顔を見て私は笑った。
「あははは。バレてないと思ったやろ?実は数日前から知っとったんよ。最後に予約入れてくれたんやな。ありがとう。」
私はモヤモヤした気持ちをどこかに押しやってお礼を言った。
コバくんの精一杯の気遣いだと思ったから。
「…うん。俺、どうしても最後に予約入れたかったんや。最後にお疲れさまって俺が言いたかったんや。誰にも譲りたくなかったんや。…ごめん。」
コバくんが私に謝った。
下を向いて謝った。
「なんで?なんで謝るん?」
「…いや、他のお客さんも最後に入りたかったやろうなぁと思って。俺はゆきえと一緒にいられるのに、それなのに有里ちゃんの最後まで俺がとっちゃって…。ゆきえも嫌がるかもしれんと思いながら、でも俺がどうしても最後は入りたかったから。」
コバくんもコバくんなりに葛藤があったんだな。
私はそれを聞いてちょっとだけモヤモヤが治まっていることに気付いた。
「そうかぁ。いろいろ考えてくれてありがとう。ありがとうな。」
こんな私のことをいろいろ考えてくれる人がいる。
お客さんもこの人もお店のみんなもほんとに優しい。
「…ゆきえ、怒ってへん?」
コバくんがまた子犬のような顔で私に言う。
「え?怒ってへんよ。なんで怒るん?嬉しいよ。ほんまに。」
「ほんま?ならよかった!俺、今日最後にいっぱいお疲れさま!って言うから!心からお疲れさまって言うから!待っとって!」
コバくんが子どもみたいな顔で嬉しそうにしている。
「あははは。うん。待っとくわ。気ぃつけてきてな。」
「うん!ゆきえ。今日が最後やな。頑張って。楽しんでな。な?」
「うん。そうやな。がんばってくるわ。」
コバくんは「大好きやで!」と言いながら仕事に出かけた。
私は部屋の掃除をしてコーヒーを飲んだ。
ボーっとしながら今までのことを振り返る。
そして今日が終わったら…と明日以降のことを考える。
私は私の決めたとおりのことを実行し、そして完了しようとしている。
雄琴に来て過ごした時間はとても大変で辛くもあったけれど、ワクワクドキドキしたことばかりだった。
死ぬ覚悟で飛び込んだ世界は思ってたものよりも優しくて、そして刺激的だった。
死んだように生きるより、死ぬ気で生きる方が伸びやかなんだということを知った。
明日以降どうなるかなんてわからない。
でも私は私が決めたように進むだけだ。
それがたとえ『死』を招こうとも。
今日でお店でのお仕事を終える。
『ソープ嬢の有里ちゃん』として生きるのは今日が最後。
「…はぁ~」
コーヒーを飲んで息を吐く。
私は今ここにいるんだなぁ…
幼いころの一番最初の記憶と同じことを思う。
私の幼いころの最初の記憶は砂場で遊んでいて空を見上げた時、『あぁ…私は今ここにいるんだなぁ』と思ったことだ。
私はどこにいても『あぁ…私は今ここにいるのかぁ…』と思う。
まるで他人事みたいに。
そして『どうしてここにいるんだろう?私はなんでここにいるんだろう?』と小さく首を傾げる。
私は今ここに居て、そしてどこへ行くんだろう。
「よし。仕度するか。」
ボーっとそんなことを考えていた私は意識を『自分』に戻す。
化粧をして綺麗な洋服を身に着ける。
玄関に置いてある姿見で全身をチェックし、自分が『有里ちゃん』になっていることを確認する。
「行くか。」
『有里ちゃん』になった私は背筋をスッと伸ばし、カツカツとヒールを鳴らして部屋を出た。
「おはようございまーす。」
いつもと変わらない挨拶。
いつもと変わらない控室。
いつもと変わらないお店。
全ていつもと変わらないのに、全てが違って見える。
「有里。最後やな。最後まで頑張れ。」
富永さんが拳を握って私に言う。
「うん。がんばるね。あはは。」
いつも通りでいこう。
笑いながら、いつも通りの有里ちゃんでいこう。
今日は予約がパンパンに詰まっている。
最初から最後まで予約でいっぱいだ。
今日来てくれる6人のお客さんに『いつも通りの有里ちゃん』で接して、そしていつも通りに感謝を伝えよう。
これから有里ちゃん最後の日が始まる。
つづく。
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