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若干ふらふらする足取りとボーっとする頭をなんとかごまかしながら電車を乗り継ぎ、やっとの思いで比叡山坂本駅に辿り着いた。
コバくんには回らない頭を駆使しながらこんなメールを送っておいた。
残業大変やなぁ。
私の体調は…まぁまぁかなぁ。
コバくんには申し訳ないんやけど、何日間かちょっと一人で過ごしたいんだ。
どうしても誰かがいると気を使ってしまう自分がおるんよ。
体調が悪くてもどうしても無理してしまうから、ちょっとの間だけ一人で過ごしたいんだ。
いいかな?
今日はとりあえず実家に帰ってくれる?
ごめんやで。
お仕事がんばって。
お疲れさま。
これを読んだらコバくんは相当なショックを受けるだろうと思いながらも送ってしまった。
返事はまだない。
仕事が忙しくてまだ読んでいないのか、それともなんて返事を書いたらいいかわからず迷っているのか…。
もっと気の利いた文面を考えればよかったのかもしれないけど、今の私はこれが精一杯だった。
途中に平和堂に立ち寄り、これから数日間の買い物をしようと思い立つ。
ただふらふらなのでたくさんの荷物は持てない。
どうしようかと考えながら買い物をする私。
目の前がぼんやりとする。
人がまばらな店内がとても寒々しい。
あぁ…
私は何を買えばいいんだろう…
ふらふらと平和堂をさまよいながら、結局私はお水とポカリスエットとビールをカゴに入れた。
お腹…は…空いていない。
でも後でお腹が空いたらどうしよう。
家に何かあっただろうか。
ふらふらともう一度さまよい、私はおにぎりを2個カゴに入れた。
レジでお金を払い、袋に詰める。
重い…
買った荷物を持つと、結構な重さに感じた。
普段だったらどうってことない重さなのに。
ふらっとした足元をふと見る。
なんで私は今日もヒールを履いているんだろう。
中絶手術に行くにもヒールを履いてしまう自分に嫌気がさした。
ふらふらと歩きながらなんとか部屋に着き、ドアを開ける。
すぐにソファーに倒れこみたい衝動を抑え、買って来た水やポカリスエットやビールを律儀に冷蔵庫に入れる自分がとても嫌だ。
レジ袋をくるくると丸め、ギュッと結ぶ。
コートを脱ぎ、ハンガーにかける。
洋服を脱いでタイツを脱ぎ、部屋着に着替える。
洗濯カゴに服とタイツを入れ、カバンをいつもの場所に置く。
早く寝っ転がりたいのに、早くバタンと倒れこみたいくらいしんどいのに、それをやらない自分。
もっとぐっちゃぐちゃなままバターンと倒れこみたいと思っているのにやらない自分。
淡々といつものような動きをしている自分が嫌で嫌でたまらないのにやめない自分がいた。
嫌だ。
嫌いだ。
こんな私を私はとても嫌いだ。
「ふぅーーー…」
私はやっとソファーにバタンと倒れこんだ。
天井を見上げる。
右手をおでこの上に乗せる。
下腹の鈍い痛みともいえない不思議な感覚が私を襲う。
さっきまで私はどこにいたんだろう。
そして何が行われていたんだろう。
頭がボーっとしてとろとろとした眠気が私の瞼を閉じようとしている。
お布団で眠りたい。
私はベッドにノソノソと向かい、もぐりこんだ。
ベッドに入ってすぐにとろとろとした眠気に負け、私はまた眠ってしまった。
どれくらい時間が経っただろう。
目ざめて時計を見ると、夜中の3時だった。
私はふらふらとトイレに行き、おしっこをして部屋に戻った。
キッチンの辺りでもう一度ベッドに戻ろうかソファーで過ごそうか迷っている時、ふいに私の中に“何か”が起こった。
う…
お腹から喉にかけて、ひどく締め付けるような“何か”がこみ上げる。
うぅ…
胸を締め付けるような“何か”。
うううぅぅ…
私はキッチンの前の床でしゃがみ込んだ。
「うううう…ううぅぅぅぅ…うわーーーーーー!!」
自分でも驚くような嗚咽が部屋に響く。
「うーーーー!!うわーーーー!!うわーーーーーー!!ああーーー!」
気付くと私は声をあげて泣いていた。
「うわーーーー!!うわーーーー!わーーーーー!!」
胸の辺りを掻き毟りながら床にぺたりと座り込み、私は泣き叫んでいた。
別に悲しいなんて思っていない。
別に傷ついてなんかいない。
どうってことない出来事だ。
ただちょっと身体がしんどいだけ。
そう思っていたはずなのに、私は気付いたらありえないほどの嗚咽をあげて泣いていた。
泣きながら床に寝っ転がる私。
嗚咽が治まり、仰向けになって余韻の涙を流す。
「うぅ…う…うぅーー…」
ボロボロとながれる涙をわざと拭わず、ぐちゃぐちゃなままにする。
私、なんでこんなに泣いているんだろう。
何が私に涙を流させるんだろう。
悲しいとも思っていないし、辛いとも感じていない。
中絶手術をしたことを悔やんでもいない。
なのに私の目からはボロボロと涙がこぼれて止まらない。
「はぁーーーー!!」
大きなため息をつき、起き上がってソファーに移動する。
そしてソファーにゴロンと寝っ転がった。
あ。と気づき、涙が止まらないまま携帯のメールをチェックする。
コバくんからの返信。
「ふぅ…」とため息をつきながらメールを開けた。
ゆきえ。
大丈夫か?
俺がいるといろんなことやらなきゃいけないもんなぁ。
俺ゆきえみたいにできひんし。
すっごく心配やけど、ゆきえがそれのほうがゆっくりできるなら実家にしばらくおるよ。
でも約束してほしいんやけど、必ず毎日連絡してや。
俺からも連絡していいって言うて。
これ約束してほしい。
あと助けてほしいことあったらちゃんと言うてや。
俺すぐに飛んで行くから。
あ、『飛んで』は無理やった。
めっちゃ淋しいけど、ゆきえの言う通りにする。
ゆっくり休んではよ元気になってな。
明日連絡するわ。
電話していい?
電話出れんかったら…淋しいけどええから。
俺、ゆきえのことめっちゃ好きやねん。
だから、えーと…
それだけ!!
また明日。
おやすみ。
コバくんのメールを読んで私はまた涙がボロボロこぼれた。
「う…うぅ…」
この人のことを心から好きになれたらどんなにいいだろう。
この人と同じくらい、素直に人を好きになれたらどんなにいいだろう。
私にはできない。
お腹にやどった赤ちゃんでさえ愛しいと思えない私。
中絶するのに何の躊躇もなかった私。
こんなに優しくしてくれる男性に嘘をつきまくる私。
家族になんの連絡もとらずソープ嬢になって、もしかするともうすぐ死んでしまうかもしれない私。
食事を普通に摂れない私。
私が大嫌いな私。
「はぁーーー…」
また大きなため息をついて、右手をおでこに当てる。
このまま無くなってしまいたい。
私は私から逃げたい。
「うぅ…」
ボロボロと涙を流しながら、私は夜が明けるまでソファーで寝っ転がりながら天井を見つめ続けた。
コバくんからの電話がいつかかってくるかが気になる。
電話に出れなくなるから眠ってはいけないような気がして、結局いてもいなくても私は気を使うことになるのかと嫌な気持ちになった。
今日からの数日間、仕事にも行けずこの部屋で休まなればいけないことに怖さを感じていた。
つづく。
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