156
コバくんから衝撃的な話しを聞いてショックを受けた私は、その次の日から3日間ほど寝込んだ。
熱が出て吐き気が止まらなかった。
仕事も2日間休んでしまった。
コバくんはただの風邪だと思っていた。
「ゆきえ…大丈夫か?俺、仕事休もうか?」
そんなことを言ってきたけど私はすぐに断った。
1人になりたかったから。
3日間私は何度も泣いた。
胸が押しつぶされそうになり、気分がずっとすぐれなかった。
そしてそんな自分が嫌で仕方がなかった。
偽善者。
私は偽善者だ。
コバくんから話しを聞く前からそんな事実はずっとあったんだ。
私がただ知らなかっただけでその歴史はずっと続いていたんだ。
私はそれを知って、ここでただ寝込んで泣いているだけの気持ち悪い女だ。
「もう!!何泣いてんの…」
自分がいかに気持ち悪いことをしているのか私が一番良く知っている。
なのに動けない。
ここで私が泣いたって寝込んだって何が変わるわけでもなく、何かが変わることがいいことだともいえないこともわかっている。
同じところをぐるぐるとひたすら周り続けた3日間が過ぎ、私はやっと起き上がって仕事に行こうと思えた。
「ゆきえ。大丈夫か?仕事行くんか?」
コバくんが心配そうに聞いた。
「うん。いつまでも寝込んでられないからね。お金稼がなきゃ。もう3か月しかないもんな。」
私は自分に言い聞かせるようにそう言い、それを聞いたコバくんは「あぁ…うん。」と目を逸らした。
私は私のことをやらなければ。
寝込んでる場合じゃない。
もし3月以降生きてることがあれば『部落』や『差別』についてもっと知りたいと思った。
実際にその場所に行って話しを聞いてみたいと思った。
でもそれも『もし生きていたら』の話し。
今はこれをやるしかないんだ。
「…無理せんとな。もし途中で具合悪なったら帰ってくんねんで。な?」
コバくんはそう言って仕事に行き、私は出勤時間までの間盛大な食べ吐きをした。
なんとか自分を立たせようとしているけど心はぐらぐらのままだ。
そして食べ吐きをしていないとぐるぐるとまた同じことを考えてしまう。
何も考えたくない。
その手段として食べ吐きをしているのかもしれない。
ぐちゃぐちゃになった顔を洗って「ふぅ~…」と息を吐く。
何事もなかったかのように化粧をして綺麗な服を着る。
「有里。もう平気か?お客さん待っとるで。」
マンションの下まで迎えに来てくれた富永さんが車の窓から私に向かって言う。
「うん。ごめんなさい。お休みしちゃって。もう平気やで。今日からまた頑張る。」
さっきまで食べ吐きをしていたから頭がボーっとする。
ほんとに平気なのか?私。
「おう。頼むわな。今日は行ったらすぐ予約入ってるわ。○○さん。よぉ来てくれるなぁ。この人は。」
「そうやね。ありがたいなぁ。」
何事もなかったかのような会話。
差別も部落も食べ吐きもないような会話。
「有里。今月で部屋持ちになれるな。」
12月の指名数はすでに40本を超えていて、私は来月から部屋持ちになることが決まった。
「そうですねぇ。はい。」
「嬉しいやろ?」
「まぁ…そうですねぇ。」
部屋持ちになれることは素直に嬉しい。
でも別に飛び上がるほど嬉しいわけでもない。
いつ部屋持ちじゃなくなるかもわからないし、
追い立てられるような気持が増しただけのような気がする。
部屋持ちになりたいと思っている時が一番いいんだろうなぁ…
私はそんなことを思っていた。
一回でも指名が40本を切ってしまったら部屋持ちではなくなる。
来月はまたどうなるかなんてわからない。
「もう年末やなぁ。有里は正月はどうするんや?店に出てくれるんやろ?」
富永さんが運転しながら私に聞いた。
「あぁ。はい。大晦日とか元旦て店はどういう感じなん?」
コバくんは大みそかと元旦は一緒に過ごしたいと言っていたけど私は別にどっちでもよくて、今まで富永さんに聞いてなかった。
「大みそかはちょっとだけ早く店を閉めるんや。22時までやな。元旦は休みで2日から店開けるで。」
「そうですかぁ。」
「出てくれるか?実家…は帰らへんわな。」
「あはは。帰りませんよ。仕事します。」
「助かるわ。頼むな。」
私には大みそかも元旦も関係ない。
なんとなく気分が味わえればそれでいい。
「おはようございまーす!」
控室に元気に入る。
「あ!有里ちゃん!おはよう。もう平気か?風邪か?」
先に来ていた理奈さんが私にむかって笑顔で言った。
理奈さんの顔を見るとなんだかホッとする。
「もう平気やで。熱出てしまってなぁ。ほんま辛かったわ。」
「そうやろぉ。無理せんとな。」
今日もここはいつも通りだ。
私を迎え入れてくれている。
「うん。ありがとう。そうや。理奈さんお正月っていつもどないしてるん?」
理奈さんは1人暮らし。
彼氏がいるわけではない。
元旦にもし1人なら一緒に過ごしてはどうかと考える。
「あー。私毎年大晦日からハワイ行くねん。」
えぇ?!
ハワイ?!
「え?!一人で?誰と?」
理奈さんは友達がいない。
いつも1人で行動している。
その人がハワイ?
「お客さんが毎年連れて行ってくれるんや。川口さんなんやけどな。」
川口さんはお店の常連さんで、私も理奈さんがお休みの日に入ったことがある。
40代のおじさんで独身で無口な人だった。
「えぇ?!川口さんとハワイ?!しんどくないん?」
正直一緒に旅行に行くなんて私には考えられないような人だ。
「めっちゃ楽やで。あはは。全部私の言うなりやからな。お金も全部出してくれはるねん。チケットもホテルも全部決めてくれるしな。楽やで。」
理奈さんはなんにも悪びれる様子なく、無邪気にそう言った。
「SEXは?求めてけぇへんの?」
旅行期間は1週間だと言った。
1週間も一緒にいたらSEXを求めくるのが普通なんじゃないかと思う。
「求めて来たらめっちゃ怒るわ。前に1回あったんや。そろそろぉ~っと手ぇだしてきてな。あははは。でもめっちゃ怒ったらそれからは絶対してきぃひんな。ええ子やろ?あははは。」
すげー…
理奈さんすげー…
「このバックも川口さんが買うてくれたんよ。ええやろ?」
いつも持っているヴィトンの大きなバック。
それも川口さんが買ってくれたと言った。
「川口さんすごいなぁ。ていうか理奈さんがすごいわ。」
「あはは。そうか?そうかなぁ。」
毛玉のついた黒いニットにグレーの細身のスウェット。
化粧もしてない顔。
カバンからおもむろにだした『梅しば』をぽりぽりと食べる理奈さん。
この人…すごいな…
毎月70本以上の指名をとる。
今月は多分もう80本いくんじゃないかと思う勢いだった。
毎月200万以上のお金を稼いでいる理奈さん。
その理奈さんが体育座りで『梅しば』をポリポリ食べる。
毛玉のついたニットを着て。
「有里ちゃん。ハワイから帰ってきたら温泉行かん?私あそこ行きたいねん。下呂温泉。」
一緒に旅行に行こうと誘われてから一向に話しが進まなかった。
私から話しを進めるのもどうかと思っていたから。
「うん!行こう行こう!下呂ね。ガイドブック買おうか!」
コバくんにデートを誘われるよりよっぽどワクワクする。
「うん。一緒に決めような。」
理奈さんは私の頭をなでなでしながらそう言った。
「あはは。うん!決める決める!」
まるで飼いならされた子犬だ。
理奈さんに頭を撫でられただけでこんなに嬉しいなんて。
「じゃ、今日もぼちぼちやろっかぁ。」
「よいしょっと」と言いながら立ち上がり、「個室準備するわ。有里ちゃんも行くやろ?」と私を誘う。
「うん。そやな。すぐお客さんつくん?」
「うん。有里ちゃんは?」
「私もすぐやって。」
「来てすぐつくの嫌やなことない?私は嫌や。ちょっと寝たいやろ?あはは。」
「うん。もう少し遅く来てほしいやんなぁ。15時とかがベストやな。」
「わかるわかる!12時に来るんやめてほしいわぁー。」
「あははは。」
2人で笑いながら階段を上り個室に向かう。
「ほなな。また後で。」
理奈さんは自分の1号室にドアを開けて私に向かって笑顔で言う。
「うん。また後で。」
私はお気に入りの3号室のドアを開けて理奈さんに言う。
「有里ちゃん、自分の部屋そこにするやろ?3号室ええもんな。」
ドアを開けたまま、ふいに理奈さんがそんなことを言った。
「え?うん。そうやな。ここにするやろな。」
「来月から楽ちんやな。よかったな。有里ちゃんがんばったもんな。ほなな。」
ニコッと笑いながら個室に入りドアを閉める理奈さん。
パタン。
『よかったな。有里ちゃんがんばったもんな。』
何気なく言った理奈さんの言葉が私に刺さる。
「…ほなね。」
小さく呟き個室に入る。
何故か胸がジーンとする。
…がんばったのか?
私がんばったのか?
見慣れた個室。
何度も繰り返した準備。
黙々とシーツを綺麗に敷く私。
黙々と綺麗にタオルをくるくると巻く私。
ローションの残りをチェックしてコンドームの数をチェックする。
持ってきた数組の下着の中からどれがいいか選ぶ。
今日は綺麗なブルーのTバックにしよう。
最近のお気に入りだ。
裸になり下着を付ける。
上半身しか映らない鏡に向かって自分の姿を映す。
…もう少しスタイルをなんとかしなければ…
毎度のことながら自分の姿を映しては落胆する。
よくこれでお客さんがつくな。
指名している人は何がよくて私になんてつくんだろう。
そんなことを思いながら持ってきた仕事用のワンピースを纏う。
「さ。行こう。」
髪型を整え、化粧のチェックをして個室を出る。
今日も私は緊張しながらお客さんを迎える。
部落のことも差別のことも食べ吐きのこともどこかに追いやって、何事もなかったかのようにお客さんと会話して笑ってSEXをするんだ。
世間では年末だけど、私には何も変わらない毎日。
この毎日がいつまでも続くとは思っていないけど、なんとなく続くんじゃないかと錯覚している自分がいる。
「よろしくおねがいしまーす。」
フロント横のカーテンを開けて、私は明るく笑顔でそう言った。
つづく。
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