150
12月の半ばのある日。
私は悶々としたまま仕事をこなしていた。
ソープ嬢ってなんだろう?
この仕事ってなんだろう?
お客さんは何を求めているんだろう?
プロってどういうことだろう?
そんなことばかり考えていた。
「有里さん。有里さん。」
控室のスピーカーから私の名前が聞こえるとビクッと反応してしまう。
私は今までにも増してお客さんに入るのが怖くなっていた。
「はーい。」
怖さを隠して元気に返事をする。
私がお客さんにつくのをこんなに怖がっていることを知る人は誰もいない。
「お客様です。スタンバイお願いします。」
指名じゃないんだ…
フリーのお客さんだと知るとますます怖さが増す。
こんな中途半端な私がつくなんてかわいそうに…
なんとか満足して帰ってもらわなければ…
そんなことを思う。
「いらっしゃいませ!お2階です!どうぞ♡」
精一杯の笑顔を向けてお出迎えする。
「お?おう。」
その時ついたお客さんは私の方をチラッと見てぶっきらぼうに返事をした後、とっとと2階へ上がって行ってしまった。
あー…気に入ってもらえなかったかも…
このお出迎えの時の反応も私にとってすごく重要なものだった。
なんとか個室で巻き返さなければ。
もう気の抜けない90分間は始まっている。
「有里です。よろしくお願いいたします。」
いつも通り丁寧に三つ指をついて挨拶をする。
「お?あり?えぇ?あり?ありってあれか?アリンコの蟻か?」
この返し、ソープ嬢になって何回聞いただろう。
私はその度に「あはは!もー違いますよぉー!」と笑う。
本気で面白くないけど。
「もー!違いますよー!そんなわけないやないですかぁ!あはは。」
今日もがんばる。
「おっかしな名前やなー!なんでそんな名前にしたん?本名?なわけないやろ?」
そのお客さんは終始笑わず、淡々と突っ込むように話していた。
ダウンタウンの松ちゃんの顎を少し長くしてしゃくれさせたような顔立ち。
しゃべり方も松ちゃんそっくりだった。
「本名やないですよ。お客さんは本名ですか?チケットには『山本さん』って書いてありますけど?」
「は?本名なわけないやろがー。本名で来るヤツおるか?ソープに。」
松ちゃんそっくり。
言い方も声も。
「いますよー!私はなんで偽名使うのかわからないですよ。なんでです?」
ちょっとずつ間合いを気にしながら話す。
ちょっとずつ座ってる場所を近づけながら。
「そりゃバレたら困るからやろー!どこで漏れるかわからんやろ?」
「へー!そうなんですか?!バレたらなんで困るんですか?」
私は本気でそう思っていた。
なんでバレたら困るんだろう?
何が困るんだろう?
あ!
奥さんにバレたら困るってこと?
「あ!奥さんにってことですか?」
松ちゃんに聞いてみた。
「え?いや…奥さんはおらへん。」
松ちゃんはみたところ40代半ばくらいだろう。
私が「奥さん」と言ったら口淀んだ。
ここは突っ込みどころだ。
「独身ですか?じゃあいいやないですか。バレたって。」
私はお茶を汲み、グラスをテーブルに置いて松ちゃんのすぐ近くの床にペタンと座った。
松ちゃんの膝に軽く手を置くのを忘れずに。
「まぁ…でもアレや。困るんや。」
松ちゃんが何かを言い淀む。
「え?なんでです?」
なんとなくどぎまぎしている松ちゃんが可愛く感じる。
とっつきにくい印象の人だけどグッと責めればなんとかなりそうだ。
その時、松ちゃんがびっくりする話しをし始める。
「今日ここが3軒目なんや。」
松ちゃんは恥ずかしさを隠すためか、吐き捨てる様にそんな言葉を口にした。
「ええ?!3軒目?!え?!今日?!今日ですよね?!」
私はびっくりして大きな声を出してしまった。
「そうや!3軒目!しゃーないやろぉ。満足しぃひんかったんやから。」
松ちゃんはまた吐き捨てる様にそう言った。
1日に3軒も行く人に初めて会った…
ソープランドのハシゴなんて聞いたことがない。
「うわぁ…ソープランドのハシゴってすごいですねぇ。つっよいんですねー!」
私はニヤニヤしながら松ちゃんの横っ腹を指をでつんつんとさした。
「なんやぁ!有里ー!…ちゃうわ。そんなんちゃうわ。今日1回もイってへんわ。」
えぇ?!
2軒のソープで何やってたんだよ!!
「いつも指名してる子ぉが休んでてな。トライアングルの子ぉなんやけどな。ほやから違う子ぉ薦められて入ったんやけどあかんくてなぁ。文句言うて出てきたんや。酒だけ飲んでな。」
トライアングルは川沿いの通りにある高級店よりの中級店。
シャトークイーンと値段がほぼ変わりないお店。
そこが1軒目だったと松ちゃんは言った。
「次の店は仲のいいボーイがいる鎌倉に行ったんや。ええ子がおるって前から聞いてたからな。」
鎌倉は中級店。
それでも入浴料込みで総額3万円はする。
「鎌倉はどうやったんですか?」
私は驚きながらも面白い話が聞けそうだと思っていた。
「あかんかったわー。ありゃあかんわ。」
松ちゃんは呆れたような顔でそう言った。
そんなにあかん子ってどんな子なんだろう?
「なにがあかんかったんですか?鎌倉レベルでそんなにあかん子っていてます?さっきのトライアングルやって結構高い店やないですか。そんなにあかん子ぉっていてます?」
この人が言うあかん子ってどんな子なんだろう?
「もう会話が成り立たんのや。そりゃ可愛らしいし綺麗やで。そこそこな。でもそれだけじゃあかんて。ありゃあかんて。」
松ちゃんは手を顔の前でブンブン振って「あかんあかん」と何度も言った。
「へー…そうなんですかぁ。会話が成り立たないってどういうことやろぉ?よくわからないなぁ。」
私は本心を口にした。
会話が成り立たなくてこの仕事が出来るんだろうか。
「わしのことが気にくわなかったんちゃう?トライアングルの子ぉはわしと目ぇも合わさんのや。何言うても『はぁ』とか『うん』とかばっかりや。腹立ったからわしも途中からなんも話さんかったんや。だまーって酒飲んで帰ってきたわ。」
えーーーー?!!
「え?!なんも話さんと?ずっとですか?!」
「そうや。まぁ途中で帰ったけどな。90分もいられんやろ。」
「お金は?返してもらったりとかしたんですか?」
「そんなんするわけないやろ!ちゃんと払ろたわ!けったくそ悪い。ほんまに。」
2人でずっと黙っている何十分間…
地獄だ。
「鎌倉の子ぉはまだ話しができたんやけどあかんかったわ。わしのことバカにしたような話し方したからな。なんでわしがお前にバカにされなあかんねんっちゅうてな。ほんまに。」
「バカにされた?どうしてですか?」
「…まぁわしが酒飲んで調子乗ってベラベラと自分の話しをしたからやろなぁ。」
松ちゃんがまた言い淀む。
これはなんかある。
「どんな?どんな話です?私も聞きたいです。」
私は松ちゃんの膝の上にまたそっと手を置いた。
「え?!お前…そんなん言うならお茶なんか出すなやぁ!」
松ちゃんは私の手をチラッと見て恥ずかしそうにそう言った。
「あー!ごめんなさい!!話しに夢中になっちゃって!面白いんですもん!あははは。」
私は「ビールですか?水割り?」と聞いた。
松ちゃんは「水割りでええわ。ビールやと女の子が払うことになるんやろ?」と気遣いを見せた。
まぁビール代を払ってくれればいい話しなんだけど。
「それで?どんな話なんです?」
乾杯をして水割りを飲みながら松ちゃんの話しを聞き出す。
松ちゃんもまんざらでもない様子だ。
「えぇ?!言うんか?ほんまに言うんか?」
「言うてくださいよぉー。鎌倉の子ぉだけ聞いて私が聞けないなんてなんか嫌やわぁ。今日お休みだったお気に入りの子ぉやって知ってる話しなんでしょう?」
私は焼いてもいないヤキモチを焼いたふりをした。
この人は淋しがり屋だ。
女の子で取り合うという構図がきっと好きなはず。
「まぁ…そりゃそうやな。でもなぁ…聞いたら引くで。ほんまに引くで。それでも言うんか?」
「引くかもしれへんけど聞きたいわぁ。あはは。」
「引くんかい!まぁええわ。わしな…」
松ちゃんが衝撃的なことを口にする。
「わしな、ソープ通いで借金をぎょうさん作ってしまったんや。それでな、その借金返すために親が田んぼと畑を半分くらい売ったんや。わしの家農家やねんけど、ぎょうさん田んぼも畑もあるんや。それを半分くらい売って返してくれてな。」
松ちゃんは相変わらず吐き捨てるような口調で自分の話しをし始めた。
まるで「しゃーないやんか!」と開き直っているような口調だ。
「ソープに通うために借金したんですか?いくらくらい?」
「まぁ…1千万以上ちゃう?引くやろ?」
い…1せんまんえん…
ソープランドに…
「それはすごい…で?で?返してくれたのにまたハシゴしてるんですか?!」
驚きを正直に口にした。
鎌倉の子がバカにした口調になるのもわからなくもない。
「おう。あかんな。あかんとは思うで。ちゃんと思ってるで。でも有里はこれでお金が手に入るんやろ?それでええやんか。なぁ?バカにすることないやろ?」
これは中毒だ。
『ソープランド依存症』だ。
「まぁ…確かにそうですよねぇ。でもあれですよね。借金がとりあえずなくなったから安心してまた来たくなっちゃったってことですよね?」
親が借金を返してくれてしばらくは反省したんだろう。
でももう縛られるものがとりあえずなくなったことでまたムクムクと行きたい気持ちが勝ってしまったんだと感じた。
そして寂しさに負けてしまったんだと。
「まぁ…そうやな。滋賀県にこんなんがあるからあかんねん。なぁ?ほんっまに。」
松ちゃんは雄琴のこの場所に悪態をつき始めた。
「なんで?なんで来ちゃうんですか?どんな気持ちで来ちゃうんですか?」
私は松ちゃんの心理が知りたくなっていた。
どうしても足が向いてしまう心理。
親に相当泣かれたと言っているのにまた来てしまう気持ち。
「わからん。最初は家でおとなしく酒飲んでるんや。でもそうしてると気づいたらこっちに向かって運転してるんや。家族にはパチンコに行く言うてな。最初はほんまにパチンコに行こうと思ってるんやで。ほんまに。でも気づいたら雄琴におるんや。」
吐き捨てるように話す松ちゃんが切なく見える。
どうしようもない寂しさがきっとあるんだろうなぁと感じる。
「なんか…聞いてると切ないですねぇ…」
水割りを口にしながら呟く。
「うっさいわ。しゃーないやろ。わしにもなんともならん。」
松ちゃんは私に触れようとしない。
私のことが気に入らないのかもしれない。
きっとまた酒だけ飲んで帰るんだろうなぁと思っていた。
もしそうなら聞けるだけ話しを聞いてやれと質問を続けた。
「そのトライアングルのお気に入りの女の子はどこがいいんですか?どこがお気に入りポイントなんですか?」
私はもうヤキモチを焼いてる風を装うのをやめた。
こうなったら素で話をしようと思っていた。
どうせお気に入りがいるんだし、このまま話して帰るだけなんだから。
「お前…淡々とおもろいこと聞くなぁ。今お前素やろ?お前から商売の匂いが全然せぇへん。」
だてにソープに通い詰めてない発言。
「バレました?あはは。だって聞いておきたいやないですか。どこが良くて通うのかなぁって。」
「有里、お前おもろい奴やな。そやなぁ。まぁお前みたいな感じや。話してておもろいんや。気ぃつかいやしな。そこがお前とはちゃうか。」
「はぁ?!私やて気ぃつかいやでぇ。あははは。」
「どこがやねん。あほか。」
松ちゃんがニヤッと笑う。
「お風呂入ろかな。」
松ちゃんが呟く。
「え?入ります?」
お風呂に入らないで帰るとばっかり思っていた私はその呟きを聞いて正直『めんどくさいなぁ』と思う。
「おう。入るわ。」
「え?SEXもします?」
正直に聞いてしまう私。
「お前…あからさまに言い過ぎや!何しにここに来てるんや!お前あほやな。」
「あー。あははは。そうかぁ。」
「お前とするわ。したくなってきた。」
「へー!私、気に入られたってことですか?」
笑いながら聞く私。
「…それはわからん。」
照れくさそうな顔をしながらそっぽを向く松ちゃん。
あれ?
思ってたのと違う展開になってきたぞ。
「あらー。じゃお風呂入れ直しますね。待っとって。」
冷めてしまったお風呂を入れ直す。
この後どうなるかなぁ…
ちょっとだけワクワクしている自分がいた。
が、この後もっと思ってもいないような展開になっていく。
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