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お客さんを帰し、「はぁー疲れたぁー」と独り言を言いながら控室の前に行くと何やら不穏な空気が流れていた。
私はなんかおかしいな…と思いながら控室のドアを開けた。
「上がりましたー」
そう言いながら控室に入ると乙葉さんが座椅子に座ったままカラダをよじらせて苦しそうにしている。
「ちょっと…乙葉ちゃん大丈夫なん?」
「あ…ちょっとヤバいな…」
「富永さん呼んだ方がええな…」
杏理さん、理奈さん、あきらさんがその姿を見ながらざわつき始めているところだった。
「ぬはっ!!はぁ!はぁ!はぁ!はぁーーーー!!!」
身をよじらせて苦しむ乙葉さん。
「え?!ちょっと!!どうしたん?!乙葉さん!!横になって!!」
私はその姿を見て乙葉さんに駆け寄る。
「理奈さん!富永さん呼んで!!杏理さん!冷たいタオル持ってきて!!あきらさんは紙袋かビニール袋!!」
私は何がなんだかわからないままいつの間にか3人に指示を出していた。
「むはぁ!!はぁ!はぁ!はぁ!はぁーーーっ!!!」
すごく苦しそうだった。
身をよじりながら苦しそうにしている乙葉さんは死んでしまうんじゃないかと思うくらいの状態に見えた。
「どうした?!乙葉!!おいっ?!」
富永さんが乙葉さんの上半身を抱きかかえる。
「過呼吸やな。口に袋当てて。」
「はいっ!」
富永さんがすぐに冷静になって対応する。
私は急いであきらさんに用意してもらった紙袋を乙葉さんの口に当てた。
「杏理さん!濡れたタオルで顔拭いてあげて!」
苦しそうにしている乙葉さんは汗でびっしょりになっていた。
「うん。わかった。」
杏理さんがサッと近づき乙葉さんの顔を優しく拭く。
身体をよじっていることで履いているスカートがはだけていることに気付いた理奈さんが、ブランケットを持ってきて乙葉さんの腰に巻き付けた。
あきらさんはお水のペットボトルを開け、どこかから見つけてきたストローを指して「ここに水あるから!」と大きな声で言った。
私は身をよじる乙葉さんの口から袋が離れないように必死になった。
「乙葉さん!!ゆっくりー!吐いてーー!!吸わなくていいから!吐いてーー!」
必死になって声をかける。
「んはぁっ!!はぁ!はぁ!はぁ!はぁーーーーー!!!」
乙葉さんのすごく苦しそうな、今にも死んでしまいそうな感じが全く変わらない。
「富永さん!救急車は?!呼んだほうがいいって!!」
私は富永さんに向かって大きな声で言った。
「うん。そうやな。それのがええな。おーーい!上田!救急車呼んでくれ!!」
控室のドアの前で立っていた上田さんに向かって富永さんが叫ぶ。
「はい!!」
上田さんが慌ててフロントに向かった。
「はぁ!はぁ!はぁ!はぁ!んはぁーーー!!!」
「吐いてーー!吸わなくても大丈夫やから!吐いてーー!」
「ゆっくりーー!落ち着いてー!」
「乙葉ちゃーん!みんないるから大丈夫やからー!」
「ゆっくりーーー!!吐いてーー!」
みんなで必死になって声をかける。
「過呼吸で死ぬことはないから。もうすぐ落ち着くやろ。乙葉ー、落ち着けー。」
富永さんがわざと冷静な口調で淡々と言う。
そんな時間が数十分続いた時、裏口からタンカーを抱えた救急隊員の男性が3人控室に入ってきた。
「失礼します!ちょっと場所空けてください!」
「はい!お願いします。」
私たちはサッと場所を空け、説明は富永さんに任せた。
救急隊員の男性の1人が「大丈夫ですかーー?!」と乙葉さんに声をかけている。
もう1人の男性が富永さんに詳細を聞いていた。
もう1人の男性は何か書き留めたり、どこかと連絡をとったりしていた。
私たち4人はその光景をただただ見つめるしかできなかった。
「わかりました。じゃ急いで病院に連れて行きますので。付き添いできる方かいらっしゃいますか?」
1人の男性が見回しながら声をかける。
2人の救急隊員がタンカーをバッと広げ、「せーのっ!」の掛け声とともに乙葉さんをそこに寝かせた。
「わしは行かれないしな。どないしようか。」
富永さんが困った顔をしている。
「私行きます!」
私が手を挙げてそう言った。
付いていきたい!
ほんとにそう思った。
「いや、お前は仕事せぇ。クマさんに連絡するわ。あっちの店におるやろ。」
私の挙手は瞬時に却下された。
「なんで…?私行きますよ!」
私はクマさんに任せるのが嫌だった。
この状況を見ていない人に付き添いをさせるなんて嫌だった。
「いや。お前は仕事せんならん。それがお前のやることやろ?」
富永さんは冷静な口調でそう言うとクマさんを呼ぶためにフロントへ向かった。
「じゃとりあえず救急車に運びます。大丈夫ですからね。」
救急隊員の方が私に向かってそう言った。
「…お…お願いします!!」
「よろしくお願いします。」
4人とも口々にそう言った。
「はい。行くぞー!」
「はい。せーのっ!」
タンカーを持ち上げ店の正面入り口に向かう。
「乙葉さん。大丈夫やからね。」
タンカーの上で身をよじっている乙葉さんの手を軽く握り私はそう言った。
「うん…はぁ…はぁ…ありがとう…」
乙葉さんの「ありがとう」は消え入りそうなほど小さな声だった。
「はぁ…」
「なんか…すごかったな…」
「大丈夫かな…」
「怖かったな…」
乙葉さんが運ばれて行った後の控室は驚くほどシーンと静まり返っていた。
4人でしばらく呆然としていると、富永さんが戻ってきた。
「今病院行ったから。もう大丈夫やからな。びっくりしたやろうけどみんなは仕事してくれ。またなんかわかったら教えるから。な。お疲れさま。」
富永さんはずっと冷静だった。
それはわざとなんだろうと思うけど、その冷静さに少しだけ腹が立つ自分がいた。
「クマさんが付き添ったんですか?」
その腹立ちを隠して淡々とした口調で私は聞いた。
「おう。そうやで。」
その返事になんかムッとした。
「なんで私を行かせてくれなかったんですか?私…別に今日稼げなくてもいいのに。乙葉さんのあの様子のほうが心配だし。」
富永さんの目を見て真剣に言った。
本心だった。
「有里がすることやないやろ?これは店の責任であり店の問題や。お前の責任はどこにある?お前のやることへの責任は?なんや?」
富永さんは怒るでもなく、極めて冷静にそう言った。
「…お客さんに…つくこと…」
「うん。そうやな。お前が稼がなくていいと思ったとしてもお前はここで働いている娘ぉやろ。店は困るし待ってるお客さんも残念な気持ちになるやろ。乙葉にお前が付いて行ったって何ができるわけやないやろ?」
その通りだった。
私はさっきのあの乙葉さんの様子を見てパニックになってるだけだった。
そんな私が付いていったって何ができるわけじゃない。
「…はい…そうですね…すいません…」
悔しかった。
子どもが駄々をこねるようなことを言ってしまった自分が悔しかった。
「でもそれだけ心配できる有里は優しいな。みんなもありがとうな。」
富永さんはそう言うとサッと踵を返してフロントのほうに向かって行った。
「…有里ちゃんすごかったな。有里ちゃんの指示があったから私たち動けたんやで。なぁ?」
理奈さんが私の様子を気づかって話しかけてくれた。
「そうやで。私たちだけやったらただボーっと見てるだけやったで。」
「うんうん。そうやで。」
杏理さんもあきらさんも私に向かって優しい言葉をかけてくれた。
「…うん。なんかごめん。…ちょっとびっくりしちゃって…。富永さんに変なこと言っちゃった。えへへへ…。もう大丈夫。ありがとう。」
私が3人に向かってそう言うと「うんうん」「よぉやったよ」「偉かったなぁ」と口々に言ってくれた。
私は自分の子供っぽさが恥ずかしかった。
みんなは自分の今おかれてる立場がわかってるんだ。
あんな駄々をこねるようなことを言うなんて私はまだまだ子供だ。
そしてそのことでみんなに気を使わせるなんて。
…乙葉さん…大丈夫かなぁ…
さっきの今にも死んでしまうんじゃないかと思うような乙葉さんの姿が脳裏に浮かぶ。
…怖かった。
私…怖かったんだ。
さっきは必死すぎて気付かなかったけど思い出すと胸がバクバクする。
「こ…怖かったなぁ…」
座椅子に座りながら誰に言うでもなく呟く。
「え…?うん…怖かったなぁ…」
そのつぶやきを聞いた理奈さんが答える。
「怖かったなぁ…。」
「うん。怖かった。」
もう一度2人で呟く。
「そんな中、よぉやったな。」
気付くと理奈さんが私の背中をさすってくれていた。
「…ありがとう…」
こういう時背中をさすってもらうのってこんなにホッとするんだ…
そんなことを改めて感じる。
数時間後、富永さんが控室にやってきた。
「乙葉な、落ち着いたみたいでもう家に帰ったで。大丈夫や。」
…よかった…
富永さんのその言葉を聞いてホッとした。
「で?店にはいつから来るんですか?すぐには働けないでしょ?」
私はホッとした後、すぐに不安になった。
乙葉さんのことだからすぐに仕事に来てまた無理をしてしまうんじゃないかと思って。
「そうやな。乙葉もちょっと休ませてほしい言うてたから少し休むと思うわ。様子見やな。」
…あぁ…よかった…
「ま、そういうことやから。しばらく4人や。頼むな。」
少しでも休んでほしい。
あんなになるまで働いてしまうんだから。
きっと復帰したらまためちゃくちゃ働いてしまうんだから。
きっと乙葉さんはそうじゃなきゃいられなくなってしまうんだから。
私は乙葉さんのバランスの悪さを感じ、胸が切なくなった。
バランスの悪さは私も同じだったから。
私は常につきまとう過食嘔吐の症状。
私も乙葉さんも同じだ。
私は休むことができない。
常に頭も心も身体もリラックスすることができない。
それはきっと乙葉さんも同じなような気がして、自分が出来ないくせに「ちょっとでもゆっくりしてほしい」と思ってしまう。
なんでそうなっちゃうのかなぁ…
そんなことを考えていた。
復帰はいつだろうと思っていた日々が続いたある日。
乙葉さんはあれから一回も店に顔を出さずシャトークイーンを辞めていた。
つづく。
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