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さつきさんが店に来なくなって数日したある日。
富永さんが控室にやってきた。
その時居たのは私、理奈さん、杏理さん。
今日は奈々ちゃんが出勤する日なのに姿が見えない。
「ちょっとええか?」
富永さんが控室のドアから顔を覗かせる。
「なに?どないしたん?」
理奈さんが富永さんに聞いた。
私と杏理さんも富永さんの方を向いて「何ー?」と言う。
富永さんは細い目をさらに細くして「いやぁ…参ったことがあってのぉ」と頭をかいた。
「なによ?どないしたん?入ったらええやん。」
杏理さんが富永さんにいつもどおり冷めた口調で言った。
「いや、ここでええわ。」
富永さんは控室のドアの前で立ったままでいる。
富永さんは女の子の控室に絶対に入ろうとしない。
ズカズカと入ってくるのはクマさんぐらいだ。
前に富永さんに聞いた話しだと、女の子の控室には足を踏み入れてはいけないという雄琴ソープランド内での“掟”みたいなものがあるみたいだった。
前にいた『花』では田之倉さんも広田さんも割と控室に入ってきていたけど、ここシャトークイーンではクマさん以外の男性が入って来ることはなかった。
「別にええやんか。入ったらええやん。座って話ししたらええやんか。」
富永さんの様子を見て、理奈さんが声をかけた。
ほんと。
入って落ち着いて話せばいいのに。
「いや。ええわ。ここでええわ。」
富永さんは忠実に“掟”を守っている人だ。
「まぁええわ。そんで?何よ?どないしたん?」
理奈さんが笑いながら聞いた。
「いや、あのな、奈々が体調不良を理由に長期で休むことになってな…。」
富永さんは頭をかきながら申し訳なさそうにそう言った。
え?
奈々ちゃんが?
「えー?!奈々ちゃんが?休むん?!長期で?」
「体調不良って…どこが悪いん?」
「TELでなんか言ってました?」
控室がざわつく。
この間さつきさんがいなくなってしまったばかりなのに…。
「詳しくは言うてくれへんのや。でもなんや精神安定剤とかは元々飲んでたらしくてなぁ。動かれへん言うてたから、まぁ…あれやな。精神的なあれなんじゃろ。」
前に奈々ちゃんから「眠れないから睡眠薬をたまに飲む」という話しは聞いていた。
でも精神安定剤を飲んでいるという話しは聞いていなかった。
睡眠薬や精神安定剤の中には食欲が異常にでてしまう種類の薬があると聞いたことがある。
あの食欲はそれかもしれない。
動けないって…
大丈夫なのかな…
泣いていた奈々ちゃんの顔を思い出す。
「…あとな…」
私たちが口々に「奈々ちゃん大丈夫なんかなぁ…」と言い合っているとき、富永さんがまた口を開いた。
「え?まだなんかあるん?」
杏理さんがつっけんどんにそう言うと、富永さんは「まぁそう言うなや」と頭をさらにかきながらこう言った。
「高橋が辞めたわ。」
おー。
辞めてしまったんだ…。
高橋さんは体調不良を理由にずっと店に来ていなかった。
杏理さんは「あれ、絶対逃げたんやで」と言っていたけど、私はまた戻って来るんだろうと思っていた。
高橋さんが来ていない間、富永さんが店長代理のような感じで店をまわしていた。
新しいボーイさんも気さくなよく働く人で、上田さんも相変わらずマイペースではあるもののちゃんと働いていた。
店は特になんの支障もなくまわっている様子で、高橋さんがいないことで困ることは何もない毎日だった。
「へー。そうなんやぁ。まぁ別にそれはええんちゃう?」
杏理さんがまた冷たい口調で言い放つ。
「あははは。まぁそうやな。それは別にええんちゃう?富永さんが大変になるんかな?」
理奈さんが笑いながら同意した。
高橋さん…
辛いのぉ。
まぁ私も同意見だけど。
「まぁ…特になんの支障もないんやけどな。まぁ…そういうことで今日からまたわしが店長になったから。よろしく頼むわ。」
富永さんがドアの前に突っ立ったままペコっと頭を下げた。
「おー。やったやんかぁ!富永さん、やったなぁ。」
「おー!ええやんええやん。よかったなぁー。」
「わー!よかったー!富永さんが店長のほうがええよー!」
3人でパチパチと拍手をした。
「おー…そうか。ありがとう。頑張るでー!なんとかみんなを稼がせてやりたいしのぉ。」
富永さんは小さく拳を握って「頑張るでぇ」ともう一回言った。
「でもな。今はこれじゃ。」
控室の3人をぐるっと見ながらつぶやく。
あ…
あれ…?
もしかして…
「うわ!また3人になってしまったやんか!」
杏理さんが声を上げた。
「ほんまや!また3人や!あはははは!」
理奈さんが笑った。
「…ほんまですねぇ…3人って…あはははは!」
私も笑ってしまった。
もともと個室が7つしかない小型の店だけど、そこのいるソープ嬢が3人だけって…
そしてそのうちの一人が雄琴内でも有名なずっとナンバー1の理奈さんって…
「笑いごとちゃうでー!これはもう…なんとかせんならん。」
富永さんが真剣な顔でまた拳を握る。
「あははは!ほんまやなぁー!こんなに人数が少ない期間が長いの初めてやもんなぁ。」
「前は結構いたんやで。有里ちゃん。」
私が入ってきたときは私を含めて4人。
すぐにまどかさんがいなくなってしまって3人になった。
やっとさつきさんと奈々ちゃんが入って5人にまでなったのにまた3人…
「ほんまに有里には申し訳ないなぁ…。こんなんやなかったんやで。のぉ、理奈。」
富永さんは私に申し訳ないと言った。
でも私は特になんとも思っていなかった。
理奈さんと杏理さんがいてくれたら楽しいし、お客さんだってすごく少ないわけでもなく感じていたし。
でもきっと女の子がもっとたくさんいたら活気が出て、今以上に忙しくなったりするんだろう。
そしてそんな活気溢れる時期があったんだと思う。
私はそれを知らないし、このゆったりした感じがシャトークイーンの良さのような気がしていた。
お客さんの数が多ければ指名をとる率も高くなるだろうし、結果稼げるのかもしれない。
でも私はその『忙しさ』や『活気』を求めてはいなかった。
「いや、別に…全然大丈夫です。」
私がそう答えると理奈さんが「そうやんなぁ。有里ちゃんはなんとも思ってないんやんなぁ」と笑いながら言った。
それを受けて杏理さんが「そうやで。有里ちゃんはなんとも思ってないで。そんなこと不満に思う娘ぉやないしな。なぁ?」とハスキーな声で私に聞いた。
「そうですよ。すごく居心地いいですし、めっちゃいい店だと思ってます。富永さんが店長に戻ってますます良かったと思ってますよ。」
本心だった。
富永さんがなんで申し訳なく感じているのかもわからないほど、私は今の状況にすごく満足していた。
「そうかぁ…?有里がそう言うてくれるならいいんやけどなぁ…。女の子が少ないからお客さんの数が少ないんや!稼げん!言うて怒ってしまう娘ぉが多いんやで。有里やったらもっと稼げるのになぁ。でも待っとってや!わしがなんとかしていくからな。」
「そうやなぁ。そういう不満を持つ娘ぉが多いんやろなぁ。」
理奈さんがしみじみとそう言った。
「そうやな。私も若いころは稼げん言う理由で店移ってたわ。」
杏理さんがボソッと呟く。
そうなんだ…
そんなことに不満を持って怒ってしまう女の子がいるんだ。
そして杏理さんみたいに『稼げない』という理由で店を移る女の子がたくさんいるんだ。
私にはまるでない発想だったことに驚く。
「ちゃんと稼げてますよ。それにみんなが優しいから。ほんまにありがたい思ってますよ。
だから…辞めてしまう人がいるのがなんか辛いですねぇ…。」
私はシャトークイーンの他に『花』しか知らない。
風俗だってソープランドしか知らない。
しかもここ『雄琴村』しか知らない。
もしかしたらもっと他にいい場所があるのかも知れない。
もっと稼げてもっと待遇のいい店があるのかもしれない。
でも私は「こんな私にこんなに優しくしてくれる場所があるんだ」と思っているし、『花』の時もそう思っていた。
こんなに何もできない、卑怯な逃げ方をしてきた私に。
自分がなぜ今ここにいるのかよくわからない。
自分がなぜ今ソープ嬢になっているのかよくわからない。
自分が選択しているようで、まるで選択していなかったことに気付く。
気付いたら“ここ”にいた。
気付いたら必死になってソープランドという場所で働いていて、『素晴しいソープ嬢とは?』という自分への問の答を真剣に出そうとしていた。
私はこの仕事を通して、そしてこの場所で、『自分』がどこまで何を出来るのかを思って生きている。明日死ぬかもしれないと思いながら。
稼ぎが…とか、女の子が少ないから…とか、私にはまったく関係なかった。
「有里がそう言うてくれるのはありがたいわ。じゃ、そういうことで理奈も杏理も頼むわ。な?」
富永さんは私たち3人に丁寧に頭を下げた。
「なんやのそれー。改まってなんや気持ち悪いわ。なぁ?杏理ちゃん。」
理奈さんが「あはは」と笑いながら杏理さんにそう言った。
「ほんまやで。私も頑張るわ。」
杏理さんは小さな声でそう答えた。
「そうか。うん。」
富永さんが小さく頷く。
そしてその後にこう言った。
「まだわからんけどな、もしかしたら新しい娘ぉが2人入るかもしれん。まだまったくわからんけどな。もし入ったらよろしく頼むわ。」
「へー!よかったなー。はーい!」
「いつ?いつ頃?」
「どんな娘ぉですか?」
私たち3人の問いかけに富永さんは若干困った顔で「いや、まだ入るかわかれへんで。」と小さく答えた。
「…まぁ決まったら言うわ。」
…何かおかしい。
富永さんの様子がちょっと変だった。
「はーい!楽しみにしてるわぁ。」
「どんな娘ぉやろなぁ。」
理奈さんと杏理さんは富永さんの様子に気付くことなく喜んでいる。
「…じゃ今日もよろしくな。頑張ろう。」
富永さんはそう言いながら控室を後にした。
パタンと閉まるドアの隙間から見た富永さんの表情がどこか変だった。
…新しい娘か…
私はその富永さんの表情が忘れられず、なんとなく胸騒ぎがしていた。
つづく。
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