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さつきさんと奈々さんがお店に入って一ヶ月が経とうとしていた。
外はだんだん秋の気配が漂って来ている。
雄琴に来た時は春だったのにいつの間にか夏が過ぎ、秋になろうとしていることに少し驚く。
私の貯金も順調に貯まっていっている。
店から帰るとすぐにいつもの引き出しを開け、無造作に今日の稼ぎを突っ込む。
毎日それを繰り返し、休みの日はそこからお金を取り出して出掛けたりご飯を食べに行ったりお買い物をしたりしていた。
そしてなんとなく気付いた時に貯まったお金を郵便局に預けに行っていた。
ある日そろそろ郵便局に預けに行こうと思い、引き出しの中に入っているお金を取り出そうとしたら結構な量になっていてびっくりした。
ちょうどその時コバくんがいた時だったので「ちょっと!これ見てよ!」と声をかけて見せてしまった。
コバくんはそれを見て「え?!なんやこれ?!なんでこんなとこにこんなにお金いれてるんや?!」と驚いていた。
その時私は自慢したいわけでもなんでもなく、ただただいつの間にかそうなっていたことにびっくりしてつい見せてしまっただけだった。
引き出しからバラバラになっているお札を取り出し数えてみる。
「へー!110万円以上あるー!」
なんだか不思議な気分だった。
毎日特に切り詰めた生活をしているわけではない。
好きなものを食べ(食べ吐きも思う存分して)、洋服だってバックだって靴だってなんとなく買いたいものは買って、外食だってコバくんと一緒に行っている。
そしてもちろん家賃だって毎月ちゃんと払っている。
なのにこんなにお金が貯まってることにびっくりした。
バラバラだったお札をきちんと束ねて輪ゴムで留める。
そしてそれを手に持ってみる。
…紙だな…
大量のお金を目の当たりにすると毎回同じ気持ちになる。
この紙にみんな翻弄されているんだなぁ…と妙に冷静に考えてしまう。
お金ってなんなんだろう…。
22歳になったばかりの私は100万円以上の札束を片手に持って、そんなことを逡巡していた。
そしていつも考えていたことは「私ももうすでに翻弄されているんだろうか?」ということだった。
この世界に入るとお金の価値観がかわってしまうと先輩たちが言っていた。
私のお金の価値観はもう変わってしまったのだろうか?
この世界に溺れてしまう日がくるのだろうか?
もうその日がきてしまっているのだろうか?
それは気付かないうちにやってくるものなのだろうか?
そんなことをぐるぐると考えていた。
そんなとある日。
出勤すると一度仕事着に着替えていたはずのさつきさんが、また普段着に着替え直していた。
そしてなんとなくバタバタと慌ただしくしているような感じだった。
「あれ?さつきさん、どうしたん?」
控室の座椅子に座っていた理奈さんの聞いてみる。
「え?ほんまやな。どうしたんやろな。」
理奈さんもよくわからないようだった。
「なんやもうお客さん来てるみたいやで。」
杏理さんがそっけなくそう言った。
バタバタと荷物を用意しているさつきさん。
なにやってるんだろう?とその動きを見ていた。
「じゃ、行ってきます。」
さつきさんは小さなバックを抱え、かかとを潰して履いているスニーカーをつっかけて店の裏口からいそいそと出かけて行ってしまった。
「え?今行ってきますって言ったやんな?」
理奈さんがきょとんとした顔で裏口の方を見る。
「うん。言うたな。」
私も一緒に裏口の方を見る。
「どういうことやろ?なんかあったんかな。」
杏理さんも同じ方を見てそう言った。
その時、コンコンと控室のドアをノックする音がして、ガチャっと扉が開いた。
にゅっと顔を出したのは富永さんだった。
「おう。」
「あ、富永さん。」
「おう。今さつきが外出て行ったやろ?」
「うん。出て行ったな。どないしたん?」
理奈さんが聞いた。
「おう。お客さんがな、貸し切ったんや。」
富永さんは「くくく」と変な笑い方をしてそう言った。
「えー!貸し切り?!珍しいなぁ。最近その言葉聞かんかったわぁ。」
理奈さんがびっくりした顔で富永さんに言った。
「貸し切り?!ほんまぁ?!」
杏理さんも驚いた様子だった。
富永さんは「くくく」と笑いながら「おもろいやろぉ?」と言った。
「あんなかかと潰したきったないスニーカー履いてるような奴やでぇ。とぼけた顔して出かけて行ったやろ?くくく。あいつはすっとぼけてておもろいなぁ。そんなさつきが貸し切りやで!おもろいやろぉ。」
貸し切り?
さっきから何度も出てきた言葉を私は知らなかった。
「貸し切りってなんですか?」
私は「くくく」と笑っている富永さんに聞いてみた。
「お?そうか。有里はしらんのか。ソープ嬢を一日貸切るんじゃ。お店と女の子が承諾すれば外に連れ出すこともできるんじゃ。まぁ店公認でデートできるってことやな。」
え?!
一日貸し切り?!
「てことは…一日分のお金を払うってことですよね?」
「そうやでぇ。相当なお金やろ?90分で女の子に払うお金は3万5千円やろ?それが一日になるとぉ…」
12時から何時まで貸し切りにしたのかはわからない。
でも結構な額になるはずだ。
「貸し切り扱いになるのは6時間以上の予約からや。」
もし6時間の貸し切りだとしたら…
女の子に払う額だけでも14万円になる。
それにお店に払うお金とデート代と…
うわ…すごい…
「まぁそういうことやから。さつきが帰って来るのは多分夜やな。」
「はーい。わかりましたー。」
理奈さんと杏理さんが返事をした。
私はさつきさんが貸し切りになったことに驚いていた。
そして少しだけ嫉妬をしていた。
それだけの金額を出す男性がいることに嫉妬をしていた。
自分の方がさつきさんよりも女性としての質が悪いと確証されたような気がしていた。
気持ちが落ち着かない。
さつきさんがどんな接客をしていたのか気になって仕方がない。
「さつきちゃんすごいなぁ。」
理奈さんがあっけらかんとした様子でそう言った。
「うん。すごいなぁ…」
私は小さな声で同意した。
「でも私は貸し切りなんて嫌や。ずっと同じお客さんと一緒にいるなんて嫌やわぁ。外に出かけるなんて気ぃも使うし疲れるわ。」
理奈さんはテレビを観ながらそう言った。
私は理奈さんのその言葉を聞いて少し安心した。
そして「そうやんなぁ。気ぃ使って大変やろなぁ。」と同意した。
私はさつきさんを羨ましいと思っている自分の気持ちを隅っこにおいやり、「貸し切りなんてめんどくさくて嫌だ」という“いいわけ”を採用していた。
そうやって自分の気持ちを落ち着けようとしていた。
結局さつきさんは夜の9時に店に帰って来て「疲れました…」と言ってすぐに控室で横になって寝てしまった。
私はさつきさんのその姿を見て胸がモヤモヤしている自分に気付く。
やっぱりなんか気分が悪い。
さつきさんに対する嫉妬心がまたもやもやと湧きあがっていた。
つづく。
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