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シャトークイーンでの一週間はあっという間に過ぎた。
理奈さん達と一緒に飲んだ次の日の日曜日はなかなかに忙しく、月曜日はうって変わってかなりのんびりな一日だった。
まどかさんは富永さんがフロントに座ることを条件に渋々お店に出ていた。
杏理さんはあれから特に文句も言わず、淡々としている様子だった。
のんびりとした月曜日が終わり、明日は火曜日。
私のお休みの日だ。
相変わらず出勤前に毎日TELをかけてくる小林さんには、明日のことを少しだけ説明しておいた。
「明日の昼間な、お客さんと出かけることになってしまってん。」
この言葉を聞いて小林さんは「へー…」と言った。
戸惑っている。
どう答えたらいいか戸惑っているのが伝わってくる。
「それでな、もしかしたら小林さんが来たときにまだ帰ってないかもしれないから、郵便受けに鍵いれておくから。もしそうやったら先に入って待っててくれる?」
私は小林さんの戸惑いを気にせず話を進めた。
「…あー…うん…。わかった。うー…言うていい?」
小林さんは戸惑いながら、迷いながら「言うていい?」と聞いてきた。
「うん。いいよ。」
私は意地悪な気持ちになっていた。
出かける相手を「お客さん」とだけ言い、他の説明は一切しなかった。
そう言ったらどんな反応をするのか知りたかったから。
「…お客さんって…大丈夫なん?どこに行くん?」
小林さんは遠慮しながら聞いてきた。
お前もお客さんだけどな!とツッコミを入れたくなったけど、それは言わずに返事をする。
「そのお客さんな、おじいちゃんやで。信楽に連れて行ってくれるんやて。」
小林さんは私のその答えを聞いて「ふーん…そうなんや…」と言った。
「おじいちゃんやから大丈夫やと思うで。心配せんでも。私が信楽焼きを見たいって言ったら案内してくれるって言うたんや。ただそれだけやで。」
小林さんが何を心配してるのかはわかる。
ソープ嬢だしね。
「…おじいちゃんいうたって…ゆきえのこと気に入ってるお客さんなんやろ?…心配やな…」
私はこの小林さんの言葉を聞いて少しだけイラッとした。
「心配してくれて嬉しい」なんて全く思わなかった。
私の中に湧いた感情は『貴方の心配で私の行動を制限しようとしないでくれる?』だった。
「…まぁそうやけど…。でも大丈夫やって!そんな何かありそうやったら走って逃げるわ!あははは!」
イラッとした気持ちは隠して、私は笑いながら小林さんの心配をはぐらかそうとした。
「…たのむで。なんかありそうやったら逃げるねんで。俺に連絡してくれていいんやからな。迎えに行くし。な?」
小林さんはほんとに心配そうに何度も私にそう言った。
「わかったわかった!ただ信楽観光しに行くだけやから!」
「ほんまにゆきえのことが好きやから…心配やねん…こんなん言われるの嫌やろうけどな。ごめんやで…。」
小林さんはTELの最後に謝ってきた。
私のイラつきを察知したかのように。
「ふぅ…」
今朝の小林さんとのやり取りを思い出して溜息をつく。
そして明日の中川のおじいちゃんとのお出かけのことを思い、少しだけ憂鬱になった。
明日は10時に迎えに来ると言った。
もう寝なきゃ。
時計を見ると夜中の2時を過ぎていた。
おじいちゃんとドライブ。
会話とか困るなぁ…。
それに、少しでもSEXをにおわすよう行動に出ようとしたらどうしたらいいんだろう。
外でわざわざ中川さんとSEXするなんて絶対嫌だ。
でも無下に断ったらもうお店に来てくれなくなるかもしれない…
今のとこ中川さんの指名が唯一のものだから、できるだけ逃したくない。
「うーん…」
私はそんなことをぐるぐると考えていた。
頼むからSEXを誘ってくるような真似はやめてくれ!と願う。
お願いだからガッカリさせないで!と強く思う。
「…もう寝よう…」
私は考えても埒があかないと思い、まだあまり眠くないままベッドにもぐりこんだ。
朝8時半。
目覚ましが鳴り、もぞもぞと起きる。
「…はぁ…」
シャワーを浴びようと思い、ベッドから出るとTELが鳴った。
中川さんからだ。
「もしもし?」
「お!有里ちゃんか?おはよう。」
「おはようございます。」
「起きとったか?今日は大丈夫なんかな?」
私がちゃんと約束を守るか確認のTELのようだった。
「はい。今起きましたー。あはは。」
私はわざと明るく返事をした。
営業モードだ。
「そうかぁ。じゃ、多分…10時にはつけると思うわ。また近くなったら連絡するしなぁ。」
「はい。わかりました。じゃあ後で。」
「うん。待っとってな。」
中川さんは上機嫌な様子でTELを切った。
私は「もう逃げられないな」と思い、シャワーを浴びた。
コーヒーを淹れ、化粧をして着替える。
小林さんが先に部屋に入っててもいいように掃除をする。
もうすぐ10時。
私はソワソワしながら中川さんの連絡を待った。
10時を少し過ぎたころ、中川さんからのTELが鳴った。
「もしもし?」
「有里ちゃん、ごめんやで。ちょっと遅れたわ。もう下にいるからな。」
どきっ!!
「はーい。今行きます。」
どきどきしながら部屋を出て、階段を降りる。
マンションの前の道に白いクラウンが停まっている。
近づくとドアを開けて車から中川さんが出てきた。
「おはよう。遅れてごめんやで。」
相変わらずのニコニコとニヤニヤの間のような笑顔で助手席のドアを開けた。
「どうぞ。乗って。」
中川さんは私を助手席に誘導し、静かにドアを閉めた。
「あ、ありがとうございます。」
パタン。
ドアが閉まった瞬間、私は「始まったな」と思った。
今日の賭けが始まった。
中川さんと私はどんな一日を過ごすのか。
吉と出るか凶とでるか。
後でここに帰って来た時、私はどんな気分でいるのか。
「ほな行こうか。」
「はい。お願いします!」
中川さんは車の中で信楽焼きについてや、滋賀県についての話をしてくれた。
私の質問にも優しく答えてくれて、車中は思ったよりも気を使わずにいられた。
信楽までの道中は1時間半かかった。
中川さんはお目当てのお店の駐車場に車を停めた。
「ここやで。ゆっくり見たらええ。」
そう言うと中川さんはゆっくりと私を案内してくれた。
お店の外には信楽焼きのたぬきがずらりと並んでいて、その光景は圧巻だった。
「うわーー!すごい!こんなに並んでるとこ初めて見ました!」
私が驚いた様子でいると、中川さんはニコニコと嬉しそうな顔をした。
「こっちには食器がたくさんあるで。ゆっくり見たらええわ。」
店内に入ると魅力的な陶器がたくさん並んでいた。
もともと食器が好きな私はそれだけでかなりテンションが上がった。
「うわ!うわ!これかわいい!これもかわいい!うわー!全部欲しい!!」
陶器のお皿や小鉢、ビアグラスに焼酎カップ…
これをテーブルに並べたらどんなに素敵だろう。
頭に中に理想のイメージが次々浮かぶ。
夢中で見ていると中川さんが私の隣に来てぼそりとこう言った。
「いくつか買うてやるで。どれがいいんや?」
私はとっさに中川さんの方を向き「えっ?!」と言った。
「いいですよ!自分で買いますから!ここまで連れてきてくれただけでありがたいんですから!!」
ここで買ってもらっちゃいけない!と思った。
この後が怖いと思った。
「なんでや。買うてやりたいんや。ええやろ?どれがいいか言いや。これか?」
中川のおじいちゃんはどんどん話を進めた。
「え…?でも…」
「これか?これがいいか?」
「いや…あの…」
「これもええやんか。これか?」
「えーと…これがいいです。あとこれ。」
私はいつの間にか中川さんのペースに乗っかっていた。
「これとこれとこれやな。もうええんか?もっと買うてもええんやで。」
「いや!もう大丈夫です!」
「そうか。ほなら買うてくるわ。」
結局中川さんに大皿一枚、スープカップ2組、ビアグラス2つ、小皿4枚を買ってもらうことになってしまった。
会計を済ませた中川さんが「もういいか?まだ見るか?」と聞いてきた。
「ありがとうございます!すいません。なんか買ってもらっちゃって…」
私はぺこぺこと頭を下げた。
「ははは。有里ちゃんは腰が低いんやのぉ。こんくらいええよ。で、どうする他の店も見るか?連れてくで。」
中川さんは買って来た食器の入った紙袋を車のトランクに積みながら言った。
「あー…もういいです。素敵な食器買ってもらっちゃったし…。」
「そうか?じゃあゴハンでも食べにいこか?近所に美味しいところがあるんや。有里ちゃんは鮎好きか?ヤマメとかもあると思うんやけどな。」
中川さんは滋賀県の美味しいものを食べさせてくれようとしていた。
お昼ご飯を食べるくらいだったら変なことにはならないだろう。
それにこれを断るのはなんとなく不自然だ。
「はい。好きです。お腹空きましたー!」
中川さんが連れて行ってくれたお店はとても素敵なお店だった。
古民家風の落ち着いたお店で、滋賀県の名物が揃っていた。
ゴハンも美味しくてほっこりした気分にさせてくれる場所だった。
「有里ちゃん、これ知ってるか?」
中川さんは紙袋の中から何かを取り出した。
「え?なんですか?これ。」
透明なパッケージにシールが貼ってある。
そのシールには『丁稚ようかん』と書いてあり、丁稚のイラストがほどこしてあった。
「でっちようかん?知らないです。」
「これな、滋賀県の名物なんや。美味いねん。食べてみぃ。」
中川さんは袋をバッと開け、個包装になっている竹の皮っぽいもので包まれた薄い小さな羊羹を一つ私にくれた。
「へー。かわいい。」
私はその竹の皮のようなものをぺリぺりと剥いて、パクッと一口食べた。
「うわ!美味しい!!」
ほんとに美味しかった。
甘いものが苦手な私にはちょうどいい大きさと甘さで、まったくくどくない。
嫌味の無い、素朴な甘さが口の中に広がる。
「これ、ほんとに美味しい!」
私が喜んだ様子を見て中川さんは紙袋を私に渡した。
「そうか。ならよかった。これあげるからな。」
「え?!」
紙袋の中を見て驚いた。
丁稚ようかんが何袋も入っていたから。
「こんなにたくさん?!」
「お店でみんなにあげたらええわ。有里ちゃんが食べられるなら全部食べてもええんやで。ははは。」
今日のために中川さんは用意してくれてたんだ。
私に滋賀県のものを紹介してくれようとしたんだ。
中川さんはきっと純粋に私を案内してくれようとしたんだ。
…なんか…疑って悪かったな…
ちょっと反省した。
疑いすぎるのも良くないなと思った。
「さ、そろそろでようか。」
中川さんが腰をあげた。
「そうですね。」
お店の居心地が良すぎて長居してしまった。
時計をみると時間は15時だった。
ここから家まで帰ると何時になるだろう?
行きは1時間半くらいだったけど、帰りは混んだりするのかなぁ…
うっすらと小林さんのことが気になり始めた。
「有里ちゃん。もう帰るか?どこか寄りたいところあるか?」
中川さんが車を走らせながら優しく聞いてくれる。
「いや、大丈夫です。ここから家までってどれくらいかかりますか?」
「うーん…まぁ2時間…かからないくらいやろなぁ。」
「そうですか。もうまっすぐ帰ります。お願いします。」
「うん。わかった。」
中川さんは上機嫌で車を走らせた。
車に流れるラジオに二人で耳を傾け「あはは」と笑い合ったり、信楽焼きのお店に初めて言ったのはいつか?の話しを聞いたり、終始和やかな時間を過ごした。
あぁ…なんか心配する必要なかったんだな…
そう思っていた時。
中川さんが口をひらく。
つづく。
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