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「わしはな、岡山の生まれでな…」
富永さんは細い目を時折こちらに向けながら自分の生い立ちを語り始めた。
「田舎なんや。ほんまに田舎でなぁ。やることなんてないんよ。わしは昔からラジオを聞くのが好きでな。落語がだいすきでなぁ。桂枝雀ってしってとるか?あれはけっさくじゃあ。思い出すだけでブフッとふきだしてしまうくらいじゃ。しっとるか?」
私は「知ってますけど聞いたことはありません。」と答えた。
「そりゃあっかんわぁ。枝雀聞いたことない?そりゃあっかんわぁ。」
富永さんは何度も「そりゃあっかんわあ。」を繰り返した。
このままじゃいつまでたっても「ふく田」の二階に住んでいるのは何故か?の話にたどりつけそうもない。
「ラジオで落語以外に聞いてたものってあるんですか?」
私の質問に富永さんは「おっ!」と気づき、話の続きがやっと始まった。
「そうやったそうやった。あとは競馬や。これが興奮するんや。もちろん賭けられるわけないんや。金もないし子供やしな。でもなぁ、聞いてるだけで興奮するんや。」
富永さんは競馬の実況放送がいかに興奮するものなのかを実演付きで熱弁した。
「そのうち競馬新聞を買うようになってな。なんとか工面したお小遣いでやで。ラジオを聞きながら勉強したんよ。それでな、なんとなく自分なりの予想をたてるようになったんじゃ。中学生のころやろなぁ。」
お小遣いをなんとか工面して買うものが競馬新聞…。
なにもやることがなかった毎日に、『競馬』という彩ができたんだろうなぁ…
「高校生になってな、家の手伝いをして小遣いを稼いでは競馬場まで通うようになったんや。家は農家やったから手伝いなんて山ほどあるんよ。手伝うと少しばかり小遣いがもらえてな。その金を持って競馬場に行くようになったんじゃ。」
富永少年はいくばくかの小遣いを手に競馬場に行く。
まだ子供の富永少年は自分で予想を立てても馬券を買うことができない。
そこで競馬場で大人に頼んで自分の馬券も一緒に買ってもらうように頼むそうだ。
「面白くてなぁ。興奮するんや。それにな、予想を立ててる時もほんっまに面白くてなぁ。」
富永少年は『競馬』というギャンブルにどんどんとのめり込む。
「わしの将来の夢が決まったんや。高校を卒業したら競馬新聞の記者になる!と決めとったんじゃ。」
競馬場にお小遣いをもって行くのも、競馬新聞をじっくりと見るのも、富永少年にとっては「将来の夢のためのお勉強」だった。
「何社も受けたんや。絶対なるんじゃ!って決めとったからな。でもなぁ…。アカンかったんじゃ。」
富永青年は競馬新聞を出している新聞社をいくつもまわったらしい。
でも残念なことにどこからも断られてしまったのだ。
「でもわしはあきらめなかったんじゃ。競馬の予想も磨きをかけていったし、現場にはレースの度に行ったんじゃ。」
まぁつまりずっとギャンブルをやっていたってことですね。
「そのうちにな、もしかしたら他のギャンブルも知っていた方が有利かもしれんと思い始めてな。ボートも競輪も詳しくなっていったんじゃ。」
ようするに他のギャンブルにも手を出すようになったってことですね。
「でもあかんかったんじゃ…。いつまでも競馬新聞社に入れんのよ。わしは悔しくてのぉ…。そしたらもうアカンわ。借金がどんどん膨らんでしもうてのぉ。」
富永青年はいつまでも入れない新聞社に諦めがつかず、「競馬新聞の記者になるため」にやっていた競馬や競輪やボートにつぎ込んだお金が莫大な借金に変わって行ってしまった。
もう青年は青年ではなく、立派な大人の域に入っていた。
「親が田畑を売ってくれてなぁ…。全部返してくれたんや。それも一回やないで。
まぁ泣かれてなぁ…。それでも辞められなかったんや。記者になるためには必要やからな。
もう最後の最後には土地もほとんど売ってしまってな。それでわしは勘当や。」
…うわぁ…
よくある話しだけど…
ほんとにここにそんな人がいた…
しかも競馬新聞の記者になりたい!と思う程ハマってしまったんだ…
「落ち込んだぞー。もう死んでしまおうかと思ったんや。行くところもない。夢もない。金もない。ほんまに海入ろうか、首を吊ろうか、電車に飛び込むか、いろんなことを考えたわ。でもな…どれも結局家族に迷惑かけてしまうんじゃ。」
富永さんは死をも選べないことに愕然とした。
ただ自分は夢に向かっていただけなのに、いつのまにか追い詰められていた。
「それでな、そんな時に新聞の求人欄に雄琴村の求人があったんや。」
雄琴の求人が新聞に?
載ってたんですか?
「そのころは雄琴村が大盛況でなぁ。もちろんソープランドなんてことは書いてないで。ボーイ募集って書いてあったんや。」
富永さんは「雄琴村なら自分のことを誰も知らないし、もう一度やり直せるかも。」と思い、ここまでやってきたと言った。
そしてたまたま面接をしたのが今のシャトークイーンの(ほんとの)社長だったというわけだ。
「社長がほんまにいい人でなぁ。有里も会える時があるとええけどなぁ。ほんまに良くしてくれてなぁ。」
富永さんはお酒をグビっと飲みながらしみじみとそう言った。
「でな、住むところがないって言うたんや。そうしたらここの女将さんに話をつけてくれてな。社長とここの女将さん、わしらは「お母さん」って呼んでるんやけどな、昔から懇意にしている仲でな。そんな縁や。」
「ふく田」のお母さんは元々は京都の芸者さんで、そのあとはお茶屋さんをやっていた人だ。
そのお母さんがなぜかこの地に大きな一軒家を買い、「ふく田」を開いたという。
「お母さんもちょっと前まではよく店にいたんやで。女の子たちの相談にもよぉのっとったわ。最近は足が悪くなってなぁ。もうあんまり店に出ぇへんのや。」
カウンターの向こう側で静かに話しを聞いていた店長さんがスッと話に入ってきた。
「女将ね、きっと有里ちゃんに会ったら有里ちゃんのこと可愛がるとおもうわぁ。
富さんのこともね、すごく可愛がっててねぇ。だれでもここに住めるわけやないんよ。富さんやからやろねぇ。ほっとけなかったんやろねぇ。」
その店長さんの話を聞いて「フッ…」と富永さんが照れたように笑う。
「もう助けなきゃしゃーないと思ったんと違う?わしはボロボロやったからなぁ。ははは。」
富永さんはお母さんに何度も「生きなさいよ。ちゃんと生きなさいよ。」と言われたと言った。
そして毎日富永さんが帰ってくるまで「ふく田」のカウンターの椅子に座って待っていたらしい。
「帰って来なくなるんやないかーって心配やったんやろなぁ。死んでしまうんやないかと思ったんやろなぁ。」
富永さんは毎日お母さんが自分の帰りを心配して待っていてくれることを知った。
「こんな自分を待っていてくれるんや」と思ったら『生きる自信』がついたんだと語った。
「だからわしはもうアホなことはせえへんと決めたし、シャトークイーンも首になるまでは辞めたりせぇへんって決めてるんや。なんとか恩返しをしようと思ってなぁ。他に飲みにいくこともあるけど、最後にはここに戻って少しばかり飲んでな、給料から少しでもここの売り上げにしようと思ってるんや。」
ギャンブルにハマり、夢破れ、莫大な借金をつくり、親から勘当されて、死のうと思った富永さんが今ここで元気に酒を飲んでいる。
休みの日には給料内でほどほどに競馬をやり、仕事がある日は仕事終わりに酒を飲み、大好きな落語のテープを聞きながら寝るまでの時間をすごす。
なんかすごいな…
ここにひとつのドラマがある。
富永さんのドラマだ。
「わしはあきらめんぞ!と思ってるんじゃ。シャトークイーンをもう一回盛り上げたいんじゃ。今はちょっと落ちてる時期やけどな。わしは諦めんぞ!全力でな、頑張って頑張って頑張るんじゃ!わしの命を賭けてでも!な?」
富永さんは握りしめた拳を肩の位置まで掲げる様にして「頑張って頑張って頑張るんじゃ。」ともう一度言った。
「…すごい人生ですね…」
私は富永さんにポツリとそう言った。
「ん?そうやろ?もうわやくちゃじゃー。はははは!」
もうわやくちゃだ。
うん。
私もわやくちゃじゃ。
「有里。何とか稼がせてやりたいと思ってるからな。一緒に頑張ろう!」
富永さんが私のほうを向いてグラスを上げた。
「はい!よろしくお願いします!」
私は富永さんのグラスに自分のグラスをカチンと合わせた。
「それでな、有里、枝雀の落語のことじゃけどな…」
富永さんは自分の大好きな枝雀の落語について、ほんとに楽しそうに語りだした。
私は「この人のこと好きだな」と思った。
そして富永さんに会わせてくれた原さんにもう一度感謝した。
私、シャトークイーンでがんばろう…
富永さんと話しているうちにそんな思いが強くなっていた。
つづく。
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