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19時。
小林さんが家に来る約束をしていた時間。
まだ小林さんは来ていなかった。
お料理はもう全部作り終えていた。
ハンバーグが少し塩辛くなってしまったことがすごく悔やまれる。
「…大根おろしを多めにかけてもらえばなんとかなるかなぁ…」
何度もちょっとずつ味見をする。
…やっぱり塩辛い…
料理はやらないと勘が鈍るんだなぁと実感する。
小林さんからは何度もTELがあった。
仕事が長引いていることを何度も何度も謝ってきた。
焦ってる様子がTELの向こうからも伝わってきて、「落ち着いて!大丈夫だから!」と何度も言ってしまった。
だんだん冷めていってるハンバーグを見て、私はソワソワしていた。
TELが鳴る。
また小林さんからだ。
「もしもし?」
「あ!有里ちゃん?!もう会社出てんねんけどな!でもなーほんまなー…めっちゃ混んでんねん!!道が!!めっちゃ混みやねん!!もー嫌やー…ほんまごめんな!ほんっまごめん!!」
小林さんは何度も何度も謝った。
そしてまた焦っていた。
「えー?!お料理冷めちゃいますよー」
わざと意地悪に言う私。
「あかん!それあかん!絶対あかんやつ!!あかーん!」
「あははははは!大丈夫ですよ!あっため直しますから!あははは!」
「あー…もう。はよそっち行きたいわぁ…。お腹ペコペコやぁ…。」
やっぱり楽しい。
小林さんの反応が可愛くて面白い。
こんなのほんとに久しぶりだ。
「すんごく時間かかってしまうかもしれん…。もーほんま嫌!待っとってなー。頼むわー。」
「わかりましたよー。大丈夫。焦らないでくださいよ。気をつけて。」
「はーい。でもなるべく急いで行く!ほな!」
私は一応テーブルに一通りの料理を並べてからソファーに座りテレビをつけた。
落ち着かない。
テレビの内容なんて全く頭に入ってこない。
そわそわウロウロしながら時間を過ごす。
21時。
ピンポーン。
来たっ!
ドキドキドキドキドキ…
胸の音が急に早くなる。
「はーい!」
私はなるべく明るい声で返事をしながらドアを開けた。
ガチャ。
「はぁはぁ…遅くなっちゃったな。ごめんやでぇ。」
ドアを開けると汗だくで息を切らしている小林さんが立っていた。
見慣れないスーツ姿。
小太りの身体に茶色のスーツを着ている小林さんは、ちょっとだけ大人っぽく見えた。
「お疲れさまでした!どうぞ。」
お部屋に招き入れる。
「あ、はい。お邪魔しまーす!」
スリッパを出し、リビングへのドアを開ける。
小林さんはこの部屋を見てなんと言うだろうか?
私はちゃんと片づけられているんだろうか?
センスがいいとはいえない私の部屋は男性にどう映るんだろう。
「わー!綺麗な部屋やなー!わっ!なにこれ?!料理すごい!!」
…はぁ~…
…よかったぁ…
心の中で私は安堵した。
「上着かけますね。ここに座ってください。」
「うん!ありがとう。有里ちゃんすごいなー!お料理すごいやん!」
「いや…それは食べて見なきゃわかりませんよぉ~。あはは!」
「それもそうやな。いや!でもこれは絶対美味しいヤツやで!俺わかる!」
「やだ!ハードル上がってるやないですか!!やめてぇ~」
「あはははは!」
…ヤバい…
楽しい…
私は冷めてしまった料理を温め直しにキッチンへと立った。
小林さんにはサラダとビールを出して、先に飲んでいてもらおうとした。
「俺、有里ちゃんと一緒に飲みたいから待つわ。」
小林さんはそう言うとビールを私に返した。
私はその小林さんの言葉と行動にグッときた。
「ハンバーグね…ちょっとしょっぱくなってしまったんですよぉ…ごめんなさい
…めっちゃショックでさぁ。大根おろしかけて食べて下さい。」
「わかった!じゃ、飲もう!」
「はい。どうぞ。」
私は冷やしておいたグラスを出して小林さんにビールをついだ。
小林さんが私のグラスにビールをついでくれた。
「今日はありがとう。いただきます!」
「こちらこそありがとうございます。いただきまーす!」
陶器のグラスがカツンと音を鳴らした。
「うわ!これうまーい!これもうまーーい!!」
「え?ハンバーグは…あーちょっとしょっぱいけど美味いよ!」
「なにこれ?きのこ?うまっ!!めっちゃ美味い!!」
「うわー!全部美味い!最高!」
小林さんは何度も何度も褒めてくれた。
全身で喜んでくれていた。
私はその様子を見ているのが嬉しくてたまらなかった。
飲み物がビールからウイスキーに変わる。
二人ともほろ酔いになってきた。
「小林さんはどうして今のお仕事につこうと思ったんですか?」
小林さんは私の質問に丁寧に答える。
小林さんは大手自動車会社の整備士をしていた。
整備士の中でも一級整備士という一番上のクラスで、しかも整備士長というポジションらしい。
26歳という年齢でその整備士長というポジションにつくことは珍しいことで、整備士さんの指導に当たってることを話してくれた。
「みんな年上の人ばっかりでな。そんな人たちに教えなあかんから難しいんや。
教えるってほんま難しいよなぁ。」
小林さんはなんの嫌味もなく、心からそう思っている様子だった。
「ほんまは飛行機の整備士になりたかったんや。でもちょっと難しくてなぁ。ははは。」
頭が悪いから飛行機の整備士にはなれんかったーと小林さんは照れくさそうに言った。
私は26歳の若さで整備士長になれることがすごい!と思った。
頭が悪いわけない。
「整備士長って…めちゃくちゃすごいやないですか!たくさん勉強したんですねぇ。すごいなぁー。」
大手企業でちゃんとお仕事をしている小林さんを尊敬した。
ほんとにすごい。
「…ありがとう。そんなん言うてくれるの有里ちゃんくらいやでー。」
小林さんは頭を掻きながら照れていた。
「あのさ…有里ちゃんの話も聞いてええのかな?…」
小林さんが少し間を置いて遠慮がちに私に聞いた。
私の話し?
…そういえば
男の人にちゃんと正直に私の話しなんてしたことなかった。
お店ではなんとなくの答えしか言ってないし、それも嘘だったりするし。
…私が今までの経緯を正直話したらこの人はどんな反応をするんだろう?
K氏の話しだって誰にもしたことないし、私が卑怯にも逃げ出した話しだって700万円の話しだって殺されちゃうかもしれない話しだって…
きっと引かれるんだろう。
「…有里ちゃん?聞いちゃまずい?俺、有里ちゃんの話し聞きたいんやけどなぁ。」
どうする?
話すの?
話したいの?
怖い。
軽蔑されるのが怖い。
私が卑怯者でだらしなくて穢れているのを知られるのが怖い。
どうする?
「…いいですよ。でも…嫌われると思います。」
「え?…俺…嫌わないと思うで。そりゃ聞いてみなわからんけどな。でも…嫌わないと思う。俺な、有里ちゃんのこと知りたいねん。」
小林さんは真剣な目で私を見た。
「…ふぅ!」
私は大きなため息を一つついて、今までの経緯をぽつぽつと話し始めた。
家族のこと、家出をした気持ち、K氏と知り合った時のこと、K氏のところでした体験、逃げ出した時のこと、「花」に入った時の経緯、そして今…
小林さんは静かに頷きながらずっと真剣に耳を傾けてくれていた。
「…でね、来年の3月には700万円をKさんに返そうと思ってて…もしかしたら…というか、多分絶対なんだけど、私…殺されちゃうと思うんだ。…えへへ…」
私は「えへへ…」と笑いながら涙をボロボロ流していた。
こんなに正直に全部話したのは初めてだった。
話しながら涙がボロボロと流れていた。
…ただ…摂食障害のことだけはどうしても言えなかった。
小林さんは「…ふぅ~…」と大きなため息をつきながら肩と頭を落とした。
「…あー…ごめんなさい…嫌な話しでしたよねぇ…引きますよね?…あはは…ごめんなさい…」
もう完全に嫌われた。
こんな話し、めちゃくちゃだ。
どうしてバカ正直に話してしまったんだろう。
やっぱり面白おかしくごまかせばよかったんだ。
こんな私のめちゃくちゃな話し、誰だって聞きたくなんかない。
「…有里ちゃん…俺…」
小林さんが頭を下げたまま口を開いた。
つづく。
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