65
次の日。
昨日富永さんと結構飲んだ割にはスッキリと起きられた。
久々に楽しいお酒だったからかもしれない。
シャワーを浴び、コーヒーを飲んだ。
ボーっとしながらテレビをつける。
「…今日、何作ろうかなぁ…」
ボーっとした頭で今日のことを考える。
面接を受けた後、夜は小林さんが家に来る。
楽しみな反面、緊張から来るめんどくささが浮上してきていた。
…やっぱり断ろうかなぁ…
そんな思いが頭をもたげる。
多分家で一緒にお酒を飲むだろう。
小林さんは車でここまで来る。
帰りは?
帰れないよね?
てことは…泊まるよね?
泊まるってことは…?
…どうなんだろう?
お店でSEXはもうしている。
でもそれはあくまでお仕事だ。
ここは私の部屋で、ここにいる私は『有里』ではない。
私はこの部屋で小林さんと何を話すんだろう?
もしSEXを求められたらどうするんだろう?
お互いの裸はもうすでに知っている。
肌も合わせた。
…そういう人とプライベートでSEXをするような場面になったら私は何を思うんだろう?…
そんなことをぐるぐると考える。
もちろん答えはでない。
「…ま…なるようになるか…」
小さく呟く。
小林さんはどうするか?
それが彼の人となりを表すんだろう。
『どうか幻滅させないでほしい。』
密かな願いが胸の中にポツリと生まれていた。
夜の献立がなんとなく決まってきた。
面接が終わったらその足で買い物に行こう。
身支度を整えタクシーを呼ぶ。
「5分位でそちらにつきますー」
TELの向こうでおじさんが答える。
こういう時の5分はとても長い。
私は部屋の中をウロウロした。
緊張感がどんどん強くなる。
「シャトークイーン」は「花」よりも随分高い店だ。
一応小奇麗な洋服を選んで化粧もそれなりにした。
でも…
私で通用するんだろうか…
もしこの面接で「やっぱりうちでは無理です」なんて言われてしまったら?
富永さんは「簡単な顔合わせみたいなもんやから」と言っていたけど、もしそうじゃなかったら?
「…私はどう感じるんだろう?…」
傷つくのかな?
打ちひしがれるのかな?
泣くのかな?
プライドがずたずたになるのかな?
あれ?“プライド”ってなんだろう?
「傷つく」ってどんな感じなんだろう?
痛いのかな?
痛いならどこが痛いんだろう?
泣いたとして、私は何に泣くんだろう?
“打ちひしがれる”ってどんな感覚だろう?
頭の中の考えが止まらない。
私はいつの間にか緊張感から解放されていた。
私は“私が傷つく”場面を想像して、怖いと思う反面で「どうなるんだろう?」とゾクゾクし始めていた。
マンションの下まで降りるとタクシーが来ていた。
「シャトークイーンまでお願いします。」
「はーい。わかりましたー。」
タクシーの運転手さんは慣れた様子で返事をした。
「シャトークイーン」は雄琴村のシルクロードの奥の方に位置するお店だ。
「花」は雄琴村の入口付近にあるお店だったので、私はあまり奥のお店を知らなかった。
シルクロードを奥へと進むといろんなお店のたくさんのボーイさんたちがフロントガラスを覗いてくる。
なんとかお客さんをお店に誘導しようと頑張っている姿だった。
後部座席に乗っているのが女の子だとわかるとサッと身を引く。
その時にペコっと頭を下げてから身を引くボーイさんとふんっと顔をそむけるボーイさんとに分かれることに気付く。
「おねえさん、シャトークイーンさんは長いんですか?」
タクシーの運転手さんがふいに話しかけてきた。
「え…いえいえ。これから面接なんですよー。」
私は正直に答えた。
「へー!そうなんですかー!おねえさんみたいな人がいるんだったら私も来たいなぁー!よかったらお名前教えてくださいよ!」
え?
…うーん…
こういう時って教えていいもんなんだろうか?
「え…えーと…」
「お客さんに宣伝もしますよ!おねえさん綺麗だからー!」
そんなことを言われたら悪い気はしない。
まぁいっか。
「えーと…有里です…あ、でもこれから面接なんですよ!まだ働けるかわからないんですよ!」
「え?あ…り…ちゃん?変わった名前ですねぇ。どんな字です?」
「有る無しの有にさとです。」
「あー!はいはい!もう覚えました!おねえさんみたいな人を面接で落とすやつなんていませんよ!じゃ、宣伝しときますんで!私もお金貯めて来ますんで!あははは。いってらっしゃい!」
運転手さんは明るい人だった。
そして終始「大丈夫!」と言ってくれた。
そんな言葉に励まされた。
シャトークイーンは雄琴村の中ではこじんまりとしたお店だった。
二階建てのちょっと大きめの一軒家のような外観。
緑の屋根に少し汚れた白い壁、正面から見える二階の二つの窓にはレースのカーテンをたゆませてかけてあった。
西洋のお家のような雰囲気だ。
お店の大きさに見合わないくらいの大きな駐車場には一台の黒塗りの車が泊まっていた。
あれが店の送迎用の車だろう。
タクシーから降りて広い駐車場を歩く。
お店の入口のガラスの自動ドアには、やっぱり黒いシールドが貼られていた。
私が入口に近づくと、中から急いだ様子で一人の男性が出てきた。
黒いズボンと黒いベストを着ているその男性はあまり清潔感がない感じだった。
「今日面接の方ですか?」
その男性がペコっと頭を下げながら聞いてきた。
「あ…はい。そうです。有里と申します。」
「え?あり?面白い名前やなー。ま、どうぞ。」
その男性はちょっと下がったズボンをクイクイっと上に持ち上げながら私に言った。
「あ…はい。」
ウイーン…
自動ドアが開く。
店内は朱色がかった赤の絨毯が敷き詰められていた。
上には大きいけれど華美ではないシャンデリア。
目の前には二階へと続く末広がりになった大きな階段があった。
広い大きな階段を上がると途中で左右にくるりと分かれる造りになっている。
その階段は吹き抜けになった二階へと続くようになっていた。
階段にもずっと赤い絨毯が続いていて、階段の手すりは木の彫刻のようなものがあしらわれていた。
「…うわ…すごい…」
思わず口からもれ出てしまった。
「花」とは比べ物にならないくらいとても綺麗なモダンな造りだった。
そして赤い絨毯はフカフカだった。
左手にある部屋から一人の男性が出てきた。
「お待ちしてました。高橋です。」
「あ!有里です!よろしくお願いします!」
店内のすごさに見とれていた私は慌てて挨拶をした。
小柄な身体に黒地にうっすらと縦じま模様の織が入った上品なスーツに赤い縞模様の入ったネクタイ。
白いワイシャツはピシッとプレスされていて、豊富な髪はワックスで綺麗にセットされている。
眼鏡はフレームの上部が太い黒縁の「THE真面目」な感じのものだった。
(あー…数字に強い…大手企業…なるほど…)
私は富永さんから聞いていた話を思い出していた。
高橋さんはまさにそんな感じの男性だった。
「こちらへどうぞ。」
高橋さんは私を左手にある部屋に誘導した。
アイボリーの壁紙に濃い目の茶色のテーブル、品の良い深い緑色のフカフカのソファー。
その部屋の絨毯は赤ではなくブラウンだった。
「わざわざありがとうございます。富永から話は伺ってます。
店長の高橋です。」
高橋さんは私に名刺を差しだした。
「あ…ありがとうございます。」
私は立ち上がって受け取り、自分の方に向けてそっとテーブルに置いた。
K氏のところでやっていた営業の時の作法?が無意識に出る自分に驚いていた。
「…前はどんなお仕事をしていたんですか?」
高橋さんは私の行動を見て、すぐに質問をした。
「あー…ほんのちょっとですけど営業とかやってました。」
「あぁ…やっぱり。ここでそんなことをする女性はなかなかいないんでね。ははっ。」
最後の「ははっ」になんとなく嫌味のようなニュアンスを受けた。
「えーと…で?いつから来られますか?今ほんとに女の子がいなくて困ってるんですよ。」
あれ?
もう合格ってこと?
あっけなさ過ぎてちょっと戸惑った。
「それは…採用ってことですよね?」
一応聞いてみた私を見て、高橋さんは笑った。
「え?!ははは…はい。そうですよ。ははは…」
笑い方がやっぱりなんとなく嫌味っぽく感じた。
「じゃあ先に休みから決めましょうか?何曜日が休み希望ですか?こちらとしては…」
話しはどんどん進む。
私が懸念していたことは何だったんだろう?と拍子抜けするくらい。
「あとは…名前ですね。えーと…」
高橋さんは木の大きな箱を取り出し、蓋を開けた。
そこには女の子の名前が書いてあるハンコがびっしりと詰まっていた。
「どの名前にします?」
高橋さんは当たり前のような顔をして私に聞いてきた。
え?
は?
えーと…
「…有里のままでいきたいんですけど…」
私は勇気を振り絞って自分の意思を伝えた。
「え?名前そのままでいきます?有里…ですか?…うーん…」
高橋さんは難色を示した。
ハンコの名前をじーっと見ている。
「…その名前はハンコにないんですよ…作るとなると…一週間はかかるんだよねぇ。
これなんかどうですか?」
高橋さんは「香織」という名前のハンコを私に見せた。
(なんかこのやり取り知ってる…)
私は「花」での広田さんとの最初のやりとりを思い出していた。
「香織」って…
有里と全然ちがうじゃねーかよ…
「…いや…有里のままでお願いします。『花』からもお客さん来るかもしれないので。」
シャトークイーンよりも格下のお店にいた私。
ほんとに「花」からこっちに来てくれるかなんてわからない。
経験も浅い。
その私がこうやって自分の意思を通そうとするのはどうなんだろう?と思いながらも、どうしてもここだけは譲りたくなかった。
「うーん…「花」さんからこっちへねぇ…。来るかなぁ…。」
高橋さんがポツリと言った言葉が私に刺さった。
ムカッときた。
私にムカッとくる権利なんてないと思いながらもムカムカしていた。
「…わかりませんけど。有里でお願いします。なにかそう出来ない理由があるんですか?もしあるなら言ってください。」
怒りをなんとか抑えて言った。
「いや…ハンコがね…」
「作るのにお金がかかりますか?一週間ハンコがないと何か不都合がありますか?」
私はもう絶対に引きたくなくなっていた。
意地だ。
「いや…まぁ…じゃあ…ハンコが出来てこないうちは手書きでいきますよ。」
「花」の時もそうだったけど、何を手書きにするのかが私にはよくわかっていなかった。
ハンコを作るのをためらう理由もよくわからなかった。
「じゃあ有里でいいんですね?」
「…まぁいいでしょう。…有里さんは中々頑固なんやなぁ。」
高橋さんはニヤッと笑いながらそう言った。
私は心の中で「やった!」と思っていた。
お休みは火曜日と水曜日。
初出勤は木曜日に決まった。
「出勤日に一応研修するから。『花』でもやったやろうけど、ここでも一応やりますから。研修は社長にやってもらいますからね。」
高橋さんがサラッとそう言った。
研修?!
社長?!
「社長…って…男性ですか?」
「そうやで。」
男性から受ける研修…
どんなんだろう?
ちょっとワクワクする。
「じゃ、木曜日に。送って行きましょうか?」
高橋さんが聞いてくれた。
「あ…もしよければ堅田駅までいいですか?」
「うん。ええよ。ちょっとー上田くーん!」
高橋さんが呼ぶと、さっき案内してくれた男性が「ほいほい」と言いながらやってきた。
「ボーイの上田くん。こっちは有里さん。木曜日から来てくれますから。よろしく。」
高橋さんが紹介してくれた。
「よろしくお願いします。」
私はぺこりと頭を下げた。
「よろしっく~。上田でっす。有里ちゃんか。アリンコやな。うん。」
上田さんは面白くもなんともないことを言って一人で頷いた。
「上田君、堅田駅まで送ってくれる?」
「はい。じゃアリンコ。行こうかー。」
「…よろしくお願いします。」
高橋さんにもう一度頭を下げてお店を出る。
駐車場に停めてある車に乗り込む前にもう一度「シャトークイーン」のお店を見上げる。
…ここで今度は働くんだ。
どんな毎日が待ってるんだろう?
私はなんだか清々しい気持ちでお店をあとにした。
つづく。
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