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「…忍さんがどうかしたんですか?」
広田さんが「…うーん」と言いながら、次の言葉をなかなか口にしない。
私はこわごわと訊ねた。
「…うーん…もしかしたらやねんけどな…」
「…はい」
広田さんが私のそばにグッと近づいて、ますます小声でこう言った。
「…お客さんと女の子の金…盗ってるみたいなんや…」
えぇっ!!
えーーーー!!
「…え…?どういう…ことですか…?」
私は驚いて頭が混乱した。
忍さんが?
あのおどおどとしていた忍さんが?
「…多分な…ここんとこ、お客さんから2件『お金がなくなった』って言われてな。
それがどっちも忍がついた客やねん。あと控室でもなぁ…。」
え?
控室?
「…え?…」
控室で女の子のお金を盗るなんて可能なんだろうか?
おねえさん達はいつも小さなバッグを持ち歩いていて、そこにお金をいれている。
それなのに控室で盗るなんてできるのだろうか。
「…控室って…そんなん無理やないですか?」
私は忍さんがそんなことをしてるなんて信じたくなかった。
いつの間にか胸がドキドキしていた。
「たまたまトイレに行った時に控室に置いておいたってその盗られた子ぉが言うんよ。
まぁ誰かは伏せておくわ。でな、その時にいたのが忍やったんよ。」
…うそだ…
そんなわけない。
「…気のせいじゃないですか?お金も思い違いってこともありますよね?
お客さんのお金だって…個室でお金盗るなんて出来るわけないじゃないですか。」
個室でお客さんの目をぬすむなんて絶対にできない。
どこからでもハンガーラックは見えるし、だいたいそこに荷物を置くから。
「…まぁなぁ…でもな、その2件のお客さんがどっちも途中でトイレに行ったって言うんよ…」
…あぁ…
…それならできる…
トイレは個室から出て行かなければいけない。
だいたい女の子がトイレまで案内して、その場で待っていたりすることが多い。
でも個室でお客さんが帰ってくるのを待っているおねえさんもいる。
「…そのお客さんにはどう言ったんですか?お金…いくら盗られたって言ってたんですか?」
忍さんはやってない。
そう思いたい。
「お客さんの一人は2万。もう一人は1万や。女の子は1万やな。
お店側はなんもせんよ。貴重品の取り扱いは本人の責任やって最初に言うてるからなぁ。女の子にもそう言ったわ。でもなぁ…」
微妙な金額。
盗られたと言っている方の思い違いかもしれないと言える金額だ。
「…私は忍さんがやったとは思えません。だって…やります?そんなこと。
普通やります?お店でそんなこと。」
リスクが高すぎる。
そんな金額のお金を盗るなんておかしい。
「…そう思いたいけどなぁ。有里。こういうお店ではあるんやで。そういう女の子もボーイさんもいるんやで。普通になぁ。」
…だって…
一日お店にいてお客さんにつけばすぐに稼げる場所にいるんだよ。
それなのにたった1万円、たった2万円、そんなお金を盗るって…
「…最近忍さんと話したりしてないのでよくわかりません。それに…忍さんはやってないと思います。」
私は忍さんが私に怒りを急にあらわにした出来事を隠した。
広田さんに話そうかと思ったけどそれはやめておいた。
「そうか…有里なら様子を知ってるかと思ったんやけど…。なんかあったら言うてくれ。あと…このことは他の女の子には言わんといてくれ。な?」
言うわけない。
そんなこと言うわけないじゃん!
「はい。絶対言いません。…あと…忍さんとちょっとしゃべってみます…」
広田さんは「おう。頼むわ。」と言いながら手を上げて控室から出て行った。
…ショックだった。
忍さんじゃない!と思いながらも、忍さんがそんな疑いをかけられてることにショックを受けていた。
「…は…個室の準備…」
まだ二階の個室の準備をしていなかったことに気付き、急いで二階へ駆け上がった。
今日は忍さんはお休みの日だ。
寮の部屋に行けばいるかもしれない。
今すぐ訪ねて行けば話せるかもしれない。
…なんて言うの?
『忍さん、お金盗ってないよね?』…はおかしいよね?
『疑われてるよ』…もなんか違う。
それにそもそも何を話すというのだろう?
私は悶々としながら個室の準備をした。
ガチャ。
個室の準備を終え、ドアを開ける。
と、3階に上がる階段のところに人影が見えた。
忍さん…?
私の気配を感じてなのか、その人影はサッと上に上がっていく。
「忍さん?!」
私はとっさに声をかけていた。
バタバタバタ…
階段を駆け上がる音が響く。
気付くと私はその足音を追いかけていた。
「待って!待って!」
3階に上がると忍さんが自分の部屋のドアの前に立っていた。
手には小さめのボストンバックを持っていた。
「…なに…?」
忍さんは上目遣いに私を睨みながら聞いた。
「…えと…どこ…行くの…?」
小さいボストンバックはパンパンに膨らんでいた。
旅行にでも行くような荷物の量だ。
よく見ると忍さんはとても綺麗な格好をしていた。
真っ白なサテン生地のブラウス。襟には綺麗なレースがついている。
真っ赤なひざ丈のスカートはひらひらととても華やかだった。
細身で顔色が悪く、いつもなにかにおびえているような印象だった忍さん。
この店に来た当初は服装も地味でいつも黒やグレーの服を着ていた。
全体的にふっくらとした今の忍さん。
顔つきも雰囲気もいつの間にかますます別人のようになっていた。
「…岐阜…一泊で帰ろうかと思って…。」
忍さんは小さなボストンバッグを胸に抱えながらぶっきらぼうにそう言った。
「…そう…なんだ…」
「…うん…」
何も言葉が出てこなかった。
追いかけては来たものの、どうしていいかわからなかった。
「…綺麗なかっこしてるやん。…もしかして…彼氏に会うの?」
忍さんは前に岐阜に彼がいると言っていた。
私はなんとなくそのことにふれた。
「…え?…まぁ…うん…」
忍さんはますますギュッとボストンバッグを強く抱えた。
「…へぇ~…ええなぁ。うまくいってるんやなぁ…」
私は引きつった笑顔を浮かべながらそう言っていた。
「…別に…うまくなんていってへんわ。」
忍さんはボストンバッグを抱え、伏し目がちに言った。
少し強い口調になっていた。
「…お金…困ってんの…?」
私は自分の口からそんな言葉が出ていることにびっくりした。
言ってしまった。
忍さんじゃない!と言いながらどこかで疑っていたんだ。
「…え?…なに…言ってんの?…は?」
忍さんの様子はあきらかにおかしかった。
動揺しているのがすぐにわかる。
「…お金…そんなに困ってるの?」
その忍さんの姿がとても悲しくやるせなかった。
「…有里ちゃんには関係ないやろ?もう行かなあかんから。」
忍さんは私を押しのけ、階段を急いで降りて行った。
私は…
それ以上なにも言えなかった。
忍さんは3日後の出勤日になっても店に現れなかった。
「忍ちゃん、どうしたんやろうねぇ。」
裕美さんが心配そうに言う。
「ほんまやねぇ」と明穂さんが答える。
「風邪かねぇ?それとも…辞めてしまったんかなぁ」と加奈さん。
「もう帰って来ぃひんかもしれへんよ。」
ひときわ冷たい声でそう言ったのはたまきさんだった。
きっとお金を盗られたのはたまきさんだ。
「えー!なんで?!どうして?!有里ちゃん、なんか聞いてる?」
加奈さんが本気でびっくりしながら私に聞いた。
「え?いや…岐阜に一泊で行ってくるって言ってたけど…ちょっと長引いてるだけやないですか?」
私は冷静を装って返事をした。
忍さん…どうしてるんだろう…
何を思ってここに来て、何を思って今過ごしているんだろう?
あんなに勇気を出して研修をして、お客さんについて…
泣いてたのに。
泣きながらでも頑張ってたのに。
そこまでしなければならない何かを背負って来たはずなのに。
…戻ってきてほしい。
そうじゃなきゃ、やるせなさすぎる。
そんなことを思っていた。
「女の子、減ってしまったなぁ。」
裕美さんが呟いた。
今の「花」は確かに来たときに比べて女の子が少ない。
「…そうや。実はな、まだ噂なんやけど…」
明穂さんが小さなアニメ声で話し出す。
「…麗ちゃん…帰ってくるかもしれへんのやて。」
え?
麗さん?!
つづく。
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