㉚
月曜日は比較的のんびりな一日だった。
土曜日と日曜日が怒涛の日だったのでそれがありがたかった。
それでも3本のお客さんに入った。
この5日間で私は少し筋肉痛の痛みから解放されていた。
少しだけ、ほんの少しだけ、マットの時にプルプルしなくなっていた。
そしてコンドームの袋をモタモタせずに開けられるようになっていた。
いろんな試行錯誤をして、結局コンドームの袋問題は『4辺に小さな切れ目を入れておく』という方法で落ち着いていた。
今日は初めてのお休みの日だ。
何をしよう?
昨日おねえさんたちにいろいろと相談していた。
まず郵便局の場所を聞き、そのあとはどこかおすすめの場所はあるか?を聞いた。
私が「久々のお休みなんです。」というと、おねえさんたちはものすごく親身に、みんなで意見をだしてくれた。
「琵琶湖は見たの?もし見てないならタクシーで琵琶湖の近くを走ってもらうのもいいで。で、琵琶湖沿いに公園みたいになってるとこもあるから、そこで止めてもらったりなぁ。」
「守山ってとこまでいってみるのもええよー。まぁなんもないけど、なかなかいいとこやで。」
「近江八幡ってとこは街並みもええし、観光もできるんちゃうかなぁ。」
「京都までも近いから、京都まで行っちゃうっていうのもありやなぁ。」
私がくいつくと、そこまでの行き方やおすすめのお店まで教えてくれる。
おねえさんたちが楽しそうなのがありがたかった。
「有里ちゃん、大津は?」
原さんが言った。
「ああ!大津なぁ!大津がええんちゃうか?有里ちゃんまだ若いしなぁ!」
みんなが口を揃えて言った。
大津は滋賀県でも一番大きな街だと聞いた。
県庁所在地だ。
そしてそこには「パルコ」があると聞いた。
「あそこはなんでもあるでー。映画館もいくつも入ってるからなあ。」
美紀さんが『なんでもある』と「THE・おばさん」な口調で言ったのがおかしかった。
私は「映画館」と「フードコート」の二つのワードに惹かれ、大津に行こうかなぁという気になっていた。
ぐっすり眠り過ぎてしまった。
起きたらもうお昼近かった。
階下でお店がガタガタと動き始める。
窓の外からはボーイさん達の話声が聞こえていた。
しばらくボーっとする。
昨日広田さんに最後の一万円を返せたことに私は少し安堵していた。
「さて…どうするかなぁ…」
久しぶりのお休みが楽しみで仕方なかったのに、なんだか当日を迎えると淋しい気持ちになっていた。
「シャワーでもあびようかなぁ…」
昨日も散々お風呂に入ったのに、そんなことを考える。
下に降り、佐々木さんに挨拶をする。
「おはようございます。」
受付で何か仕事をしていた佐々木さんがビクッとした。
「あ、有里ちゃん。あぁ…おはよう。」
相変わらず目が泳ぐ。
そして目を合わさない。
「今日はお休みやんな?どうしたん?」
死んだ魚のような目で聞く。
「あ、シャワー浴びたいんですけど、どこの部屋なら使ってもいいですか?」
シャワーを浴びるのはいつもの個室を使わなければいけない。
おねえさんたちがこれから使う部屋でシャワーを浴びてたら準備ができないと思って聞きにきていた。
「あぁ。えーと…10番ならええわ。」
「はい。ありがとうございます。」
「有里ちゃん。今日はどうするん?」
佐々木さんが珍しく会話をしようとしてきた。
「え?えーと…多分大津に行くと思います。」
佐々木さんが必要最低限以上のことを話してきたのはこれが初めてだ。
「あー…そう。お客さんのお迎えが入ってなかったら車で駅まで送るで。もしよかったら。」
え?!
すごくびっくりした。
「え?!いいんですか?!ほんとですか?!」
私があまりにびっくりしていたので佐々木さんは微妙に笑った。
「ええ?!あはは…そんなにびっくりすることじゃぁ…」
鼻に手をやり、笑った口元をなんとなく隠しているような仕草だった。
笑うんだ…佐々木さん…
私は佐々木さんの「送って行こうか?」の言葉と笑ったことで嬉しくなり、急にテンションが上がった。
「すぐ!浴びてきます!よろしくおねがいします!」
急いで10の個室に入る。
シーンとした個室。
電気の明かりが薄暗い。
外の光が入らないようにシールドが貼られている窓。
その窓についているレバーをグイッと下にさげ、ドンッと押す。
少しだけ開いた窓から外の光が入ってきた。
その光が入ってきただけで一気に部屋の雰囲気が変わる。
私は立てかけられているシルバーのマットの近くでシャワーを浴びた。
浴室の隅にコンドームの空き袋が落ちている。
いつの間にか見慣れているピンクの小さな袋。
拾い上げてティッシュに包んだ。
この5日間がものすごく長かったように感じた。
急いで身支度をしてフロントに降りる。
「あれ?有里ちゃん。おはよう!まだ出かけてへんかったん?」
出勤してきた美紀さんが声をかけてくれた。
「おはようございます!これから行ってきます!」
いそいそと出かけようとしている私を、美紀さんはニコニコと見ていた。
「楽しんでやー。帰ってきたら何したか教えてやー。」
お母さんみたいだ。
「はい!行ってきまーす!」
「行っといでー。」
佐々木さんは「うん」と頷くと無言で車のキーを持って外に出た。
慌ててついていく私。
お客さんが出入りする黒いシールドの貼られたガラスの自動ドア。
そこを通るのは初日以来だった。
ウイーン…
自動ドアを出ると、そこそこ広い駐車場が目の前に広がる。
(帰る時、こういう景色をお客さんは見てるんだ…)
初日にここから入った時とはまるで違う感覚で見ていた。
(どんな気持ちでお客さんはここに来て、どんな気持ちで帰って行くんだろう?
何をここに求めているんだろう?)
うっすらと、ほんとに微かな、見逃してしまう程に微妙な疑問。
そんな“問い”が私の中に芽生え始めていた。
「どこまで送って行く?」
助手席ではなく、後ろの座るよう促された。
後部座席に乗り込んだ私に、佐々木さんが小さな声で聞いた。
「あ、じゃあ比叡山坂本駅でお願いします。」
「はい。」
何もない道。
たまに現れる琵琶湖を見ながら窓を開けて風を浴びる。
「有里ちゃん。少し慣れた?」
佐々木さんが話しかける。
「えーと…そう…です…ねぇ…。あはは…、いや、まだ慣れてはないですねぇ…」
微妙な返事。
「そりゃそうやなぁ。まぁ…でも…広田のおっさんは有里ちゃんのことめっちゃ期待してるから。頑張ってなぁ。」
広田さんが私に期待している…?
私はその言葉が嬉しくもあり、なんだかうっとおしくも感じていた。
「へぇ…。そうなんですかぁ…。」
そんな曖昧な返事しかできなかった。
「まぁ…麗ちゃんがいなくなってから広田のおっさん元気なかったからなぁ。
有里ちゃんが来てくれてまたなんだか張り切ってるわ。ほんまに。」
また麗さんだ。
原さんとの会話がフラッシュバックしてくる。
「麗さん…って、また戻ってくると思いますか?」
佐々木さんに聞いてみた。
佐々木さんは「うーん…」としばらく考えていた。
「…戻そうと…してるわなぁ…おっさんがなぁ…でもなぁ…」
口ごもる佐々木さん。
その口ごもってる意味がわかってしまうのが悲しい。
「着いたで。じゃ。気ぃつけて。」
中途半端な会話で駅に着いた。
「はい。ありがとうございました!」
佐々木さんは片手を上げて店に戻って行った。
比叡山坂本駅にはお客さんを待っているであろう黒塗りの車が何台か停まっていた。
車の外には黒いベストと蝶ネクタイをつけた、いかにも「ボーイさん」が立ってタバコを吸っている姿が見えた。
私の世界の中に「雄琴村=ソープ街」が入って来て、黒塗りの車の後部座席に座って送ってもらう、が入って来て、「比叡山坂本駅」にはボーイさんがお客さんが待っている、が入ってきていた。
6日前には全く入って来ていなかった世界だ。
時間にすると20分弱の道のりだった。
大津駅に降り立つと、そこは綺麗な街だった。
ぐるっと見渡す。
あれ?
「パルコ」の「パ」の字も見当たらない。
駅員さんに聞くと、大津駅からは少し歩くと教えてもらった。
バスかタクシーで行ったほうが早いと言われる。
大津駅からすぐの場所だと思っていた。
キョロキョロと知らない街の駅を見て歩く。
教えてもらったバス停を探す。
ちょっと緊張しながらバスに乗り込む。
停留所の名前を間違えないようにアナウンスの声に耳を澄ます。
「次は~大津署前~」
ハッとして「降りますボタン」を押す。
バス停で降り、少し歩くと目の前に大きな建物が建っている。
見慣れた「PARCO」のロゴ。
思っていたよりも大きくてびっくりした。
時間を気にせずショッピングモールを歩くなんてどれくらいぶりだろう。
お金もまだ郵便局にまだ預けてないから、たくさん持っていた。
フードコートに行ってみる。
明るい空間。
キラキラとして見えるたくさんのお店の看板。
何を食べようか…
空腹だった。
でも「痩せなきゃ」の思いがまた強くなってきていた私には、純粋に「食べたいもの」を選ぶことはできなかった。
カロリー、脂分、糖質…
メニューを見ては、ずっと頭の中で計算していた。
食べたい。けど食べちゃダメ。
だって太るから。
痩せなきゃ誰からも愛されないから。
せっかくの自由時間。
私は全く自由じゃなかった。
頭の中は食べ物とカロリーのことでいっぱい。
周りの人の笑い声が遠のく。
お店のキラキラした鮮やかな看板も色あせて見えた。
窮屈で苦しい。
お休みなのに、自分の自由になるのに、全く楽しくなかった。
続く。
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