⑨
ホテルのチェックアウトを済ませ、『雄琴』へと向かう。
『比叡山坂本』という駅を降り、駅ターミナルに行くと昨日乗った黒塗りの車が待っていてくた。
運転席から出てきたのは昨日面接をしてくれたおじさん。
「よぉ来たね。乗って乗って!」
そのおじさんは広田さんという方で、年は多分50歳くらい。
お腹がでっぷりと出た、ひょこひょこと可愛らしく動く人だ。
顔はジミー大西を思わせるような感じ。
とても優しい感じの方だった。
広田さんは後部座席を開けてくれて私を丁寧に車に乗せた。
頭がぶつからないようにちゃんと乗り込むときにフォローしながら。
「よぉきたね。もうチェックアウトもすませたんやろ?」
車を走らせながら広田さんは優しく聞いた。
なんだかこの時点で私は泣きそうになっていた。
『こんな私を受け入れてくれている。』
そんな思いで。
「あ、はい。すませました。よろしくお願いします。」
なんとか泣かずに返事をする。
窓の外に目をやる。
田んぼや畑や野原が続く。
昨日この風景を見たときはほんとに驚いた。
なんにもない。ほんとになんにもない。
たまに大型のパチンコ屋があるか、たまに個人商店があるくらいの国道。
そんな風景が続く。
「こんなところにソープランドなんかあるのかなぁ…騙されたのかなぁ…」
昨日はそんなことをドキドキしながら考えていた。
しばらくそんな道を走っていると、急に右側の視界に広がるビックリするような景色。
昼間からキラキラと光るネオン。
何軒あるか全く見当がつかないほど乱立する建物。
ウロウロと動き回る黒服の男性。
いきなり目の前に広がる派手派手しい村。
そこが『雄琴』だった。
「ついたよー。降りてー。」
昨日の驚きを思い出していた私に広田さんが声をかけた。
雄琴の入口付近にある『花』が私のこれから働くお店。
古びた外装の3階建ての建物。
『花』の看板もさびれた感じを漂わせている。
入口の自動ドアは黒いフィルムが貼ってあり、中が見えないようになっている。
ウイーン
「おー!つれてきたでー。」
広田さんは大きな声で言いながら店に入る。
入口を入ると靴を脱ぐようになっていた。
目の前に続く長い廊下。
昔は綺麗な朱色か赤い色だったんだろうなぁと思わせるビロードの絨毯が敷いてある。
淡い青の花柄の壁紙。
低い天井。
(うわぁ…、THE昭和だぁ…)
昨日は裏口から入って面接をしたので店内の様子がわからなかった。
私はこのTHE昭和感、うらびれ感、そこはかとなく感じるどん底感、全てに
ゾクゾクワクワクとした。
右手側には受付がある。
そこに一人の男性が座っていた。
「あ、おはようございます。どうも。」
その男性は全く私の目を見ず声をかけてきた。
「あ、、おはようございます!よろしくお願いします!」
その男性は佐々木さん。
このお店の受付を任されてる方らしい。
全くと言っていいほどこちらの目を見ない。
そして「死んだ魚」のような目をしてる。
この佐々木さんの様子も私にとっては大好物なものだった。
「じゃあちょっと事務所で話そうかー。」
事務所に行き、諸々の説明を受ける。
「じゃあまずー、この紙に記入してくれる?」
ピンクがかった少し厚めの紙を渡される。
住所や電話番号、氏名を記入する紙だった。
「えーと…そう…です…よねぇ…」
私は身元を明かすのを少しためらった。
だって、こういうところって絶対や○ざさんがからんでるんでしょ?
個人情報を書いたらどうなるかわからんじゃん?
それに私は逃げ出してる身。
実家に連絡いったら困るし、ましてやK氏にバレたらまずい。
どうしよう…。
根っから真っ正直な私は「嘘を書く」ということを全く思いつかず、
そんなことを考えて書くのを躊躇していた。
その様子を察知して広田さんはこう言った。
「大丈夫やでー!ここの雄琴の決まりなんや。雄琴村内からこの情報がでることないしな。みんな書いてるしな。大丈夫!」
なにが大丈夫かわからなかったけど、私は書いた。
正直に。嘘なく。
『これも賭けだ』
そう思ったから。
これでバレたらそういう運命。
これでバレて見つかって殺されたらそういう運命。
そうだそうだ。
だってそういう覚悟でここにきたんじゃん。
「じゃー源氏名決めよっかー。」
本名じゃない、ここでの呼び名を決める。
私はひそかに源氏名はこれがいい!という名前を決めてきていた。
「えーと…これなんかいいじゃない?」
広田さんは名前のハンコがたくさん入ってる箱を持ってきて、そこにある名前で決めようとしていた。
広田さんが選んだ名前。
『ひろこ』
ちょ!えっ?!
広田さんがひろこ?!
ぶははははは!
ないない!
それになんだか源氏名でそれって…昭和…な(世の中のひろこさんに申し訳ないのでこの辺で。)
「いやぁ…あのぉ…自分で決めてもいいですか?」
広田さんはびっくりした顔をして
「えっ?!決めるの?!」
と言った。
こういう業界に入るのが初めての子で、自分で名前を決めてきてるという子は珍しいと後から聞いた。
「はい。『有里(あり)』にしたいんですけどぉ…。」
この名前は私がお芝居をやっていた時の先輩の名前。
可愛くて清楚で、でもしっかりと芯がある女性だった。
そんな彼女のようになりたくてちょいと名前を拝借したくなったのです。
「有里?!そりゃ珍しい名前やなぁ…。そうするとハンコじゃなくて手書きになっちゃうけど…ええんか?」
えーと…
なににハンコを使うのか、何が手書きになっちゃうか知らないんですけどぉ…
「はい。いいです。」
知らないけど答えた。
「じゃ有里やな!わかった!じゃあ有里!これからお部屋とお店を案内して、その後すぐに必要になるものを買いに行こう。で、これな。」
広田さんは私に5万円を差し出した。
「え?!なんですか?」
突然のことに戸惑う。
「これな、貸したるから。これからお仕事が始まったら少しづつ返してくれたらいいから。いろいろ必要やろ?返すのは期限とかないからな。」
正直困っていた。
この時点で所持金1万円ちょっと。
働き始めるのがいつからかわからなかったし、必要なものがどれだけあるのか知らなかったから。
「え?!いいんですか?!ありがとうございます!!すっごく助かります!!」
ほんとにありがたかった。
ソープランドに来てこんなに優しくされるなんて思ってもみなかった。
(絶対すぐに返そう!)
私は心の中でそう決めた。
「じゃー部屋行こうかー。」
お店の一階が受付とお客さんの待合室と上がり部屋と女の子たちの控室。
二階に接客をする個室がずらりと並び、その上の三階部分が寮になっていた。
*ここで軽く解説*
ソープランドではお客さんとお客さんがなるべく顔を合わさないような工夫がされています。
待合室は文字通り案内されるのを待つお部屋。
上がり部屋はサービスを受け終わったお客さんが(ようするにヤリ終わった人ね笑)一息つきながらお茶などを飲むお部屋です。
お店の入口から続く長い廊下を突き当たると左手に階段がある。
その階段を上がっていくと2階に個室がズラーーっと並んでいる。
そのまた上に行くとドアが4つある寮の階。
右手の一番奥まった場所の部屋に案内される。
「ここでええやろ?」
広さは6畳ほどの和室。
古びたテレビが一台と比較的きれいなベッド。
小さな納戸?のような物入れがある。
少し割れてるパネルがはめられてる天井。
色が焼けている茶色のカラーボックス。
カーテンはない。
それだけの部屋。
その部屋をみて私のゾクゾクはまたもや昇まった。
た、、たまらん…
ここが私の部屋になるんだ!
ここで自由に過ごせるんだ!
もうK氏にビクビクしなくていいんだ!
この部屋も自分の好きなように綺麗にしていっていいんだ!
嬉しいーーーー!!
「はい!ありがとうございます!!」
私は大してない荷物をその部屋に置いた。
私の部屋だ。
「じゃ、女の子たちに軽く挨拶するかー。」
来たっ!!
一番重要案件!
「ははははい!!」
一階の女の子の控室に案内される。
ドキドキだ。
どんな女性がいるんだろう?
みんな綺麗なのかなぁ…。
私は受け入れてもらえるのかなぁ…。
いじめられないかなぁ…。
「ほぉーい!みんな聞いてー!新しい子入るからー。」
「はぁーい。」
何人かのけだるそうな女性の声が聞こえた。
私は恐る恐る控室に入る。
「あ、有里です!よろしくお願いします!!」
広めの和室に炬燵が2台くっつけて置いてある。
その周りを囲むように座椅子がおいてあり、そこに女性たちが座っていたり寝っ転がっていたりしていた。
8~9名の女性たち。
その時は緊張していてパッとしか見れなかった。
でも…
なんだか思っていた女性とは違うような…
そんな印象だった。
「みんなよろしくなー!」
「はぁ~い。」
「有里ー、こっちに食事がいつも用意してあるからなー。」
広田さんは控室とつながっている隣の場所に案内してくれた。
そこはキッチンになっていて、その一角にダイニングテーブルが置いてあり
5種類ほどのおかずがならべてあった。
「ここのおかずは好きな時にたべてえーから。ごはんもいつも炊いてあるからな。
冷蔵庫も好きにつかってええで。まー、あんまり美味しくないかもやけどなぁ。あははは!」
へーー!!
こうなってるんだ!
ゴハンを用意してくれてるんだ!
すごい!
おもしろい!!
「お腹大丈夫か?ん?食べていくか?」
広田さんが『あんまり美味しくないかもだけどなー』の後にそんなことを言うからなんだかおかしくなってしまった。
「あははは!いや、いいです。あははは!」
私が普通に笑ったり、名前を自分で決めたいと言い出したりするさまに、広田さんは驚いていた。
「有里は度胸がすわってるんやなー。あんまりいないで。自分みたいなタイプは。
あはははは!」
その後、広田さんに連れられてどこだかわからない、何屋さんだかわからないお店に連れていかれる。
イトーヨーカドーをすんごく小さくしたようなところだった。
「お店で使う服と靴。あとは個室に持っていく小さなバックみたいなのをみんな持ってるで。必要やろ?」
黒のシンプルなワンピースと少しだけヒールのある靴、そして小さなバッグ。
見せてもまーいいでしょくらいな可愛い下着を数組。
洗面用具、洗濯洗剤、カーテン、シーツ、飲み物、、、
そんなものを買いそろえ、寮に戻る。
「有里ー、今日な、夕方にもう一人新しい子がくる予定やねん。
となりの部屋に入るからな。その子がきたら紹介するし、そしたら3人で焼き肉でも食べに行こうやー。」
え?
もう一人新人が?!
えーー!
どんな子だろう?
となりに来てくれるなんてなんか嬉しい!
しかも新人!!
「え?その子はこういう業界初めてなんですか?」
「そうや。有里と一緒や。なかようやってなー。」
わー楽しみー。
「じゃ、それまでゆっくりしててや。お腹空いてたら下でたべたらええから。
あとでなー。」
バタン。
ドアが閉まる。
一人の部屋。
何もないさびれた部屋。
何時だろう?
16時。
さて。
カーテンでもつけるか…
窓の外から聞こえる呼び込みの声。
「どうぞーーー!!いい子いますよーーー!!」
「はいーーーー!!こちらどうぞーーー!!」
なんかすごい。
おととい逃げてきたのに、今はここにいるんだ。
明日には研修をして、もしかしたらデビューをするかもしれないと言われた。
研修。
どんなことをするんだろう?
デビュー。
どんな時間になるんだろう?
どんなお客さんだろう?
また身体が震えてきた。
怖さと緊張で胸がつまる。
でも
それと同時に今まで味わったことのないような感覚が私に沸き上がる。
『解放感』
家族からもK氏からも解放された今。
誰も私のことを知らない今。
ソープランドという場所で私は『解放感』を感じていたのです。
つづくー