私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

私の自叙伝です。雄琴ソープ嬢だった過去をできるだけ赤裸々に書いてます。

206~最終話~

 

その日の夜。

コバくんは上機嫌で帰ってきた。

 

「ゆきえ。俺軽トラ借りよう思ってる。今度の部屋はここより狭いしゆきえの物だけになるやろ?そやからいらんもんは捨てて、俺のもんは持って帰るからそんなに荷物ないと思うんや。引っ越し屋さん頼むよりそっちのが安く上がるし、俺、ゆきえと2人でやりたいと思ってな。」

 

コバくんはそう言って引っ越しの計画を話し始めた。

すでに軽トラを借りるツテも見付けていて、もう従わざるおえないような状態になっている。

というよりも、やっぱり私は引っ越し自体が他人事で、コバくんの提案も「あ、うん。」としか言えないでいた。

 

「俺、全部頑張るから。ゆきえは重いもんとか持たんでええし。それでええかな?」

 

「あ、うん。でも…コバくん大変やん。ええの?」

 

「俺がそうしたいの。ゆきえと2人でやりたいんや。」

 

「うん…そうなんや。わかった。」

 

「じゃいつ引っ越すか決めよう。えーと、リフォームが終わるのが今の住居人が出て行ってから2日後くらいや言うてたから…俺の休みを利用して…」

 

コバくんはカレンダーを見ながら次々といろんなことを決めていく。

私は「あ、うん。」と言っているだけだ。

 

流れて行く。

私の目の前をいろんなことが流れていく。

 

「じゃ、ゆきえはここの部屋の解約日を大家さんに連絡しておいてくれる?」

 

上の空の私にコバくんが顔を近づけて聞いてきた。

 

「え?あ、うん。わかった。」

 

「ゆきえ?大丈夫?」

 

コバくんが私の顔を覗き込んで聞く。

 

大丈夫かって?

私が?

…そんなのわからないよ。

そもそも『大丈夫』ってなんだろう。

 

「うん。大丈夫やで。」

 

私はまた嘘をつく。

胸が痛い。

そして不安だ。

シャトークイーンに帰りたい。

もう一度有里ちゃんに戻りたい。

そう思う一方で、新しい暮らしをほんの少しだけ楽しみにしている自分がいる。

 

大きな変化が私に起こっていることがわかる。

でもこの変化は私が起こしているのではない。

滋賀県に来た時は『私が』やっていた。

でも今回は『私ではない誰か』がやっている。

それはコバくんなんだけれど。

 

誰かに動かされるという居心地の悪さと自分の無力感を味わい、私の思考は追いつけなくなっていた。

 

一度死んだ私がもう一度生きる。

そのための私の気力が追い付かない。

 

やりたかったことをやると決めたはずなのに、ルールも決めたはずなのに、私は有里ちゃんの残像を捨てきれない。

そして『生きる』がわからないままだ。

 

そんな私を知ってか知らずか、コバくんは私を置き去りにして話しをどんどん進めていた。

 

 

引っ越しの日取りを決めた後、コバくんはどんどん動いた。

使いづらいベッドを捨て、私が買った不要になったエアコンを友人に格安で売り、自分の荷物をほんの少しだけ残して実家に持ち帰った。

 

私は言われた通りに大家さんに連絡を入れ、段ボールをかき集めてガムテープを購入した。

 

 

新しい部屋の契約はすぐに終わり、部屋の内覧をしないまま引っ越し当日を迎えた。

 

「ゆきえ!これ運べる?」

「ゆきえはこれまとめて。俺はこれ運んじゃうから。」

「あ、これはもう捨てていいんちゃう?いる?」

「あー!これ持って帰るの忘れてたー!」

 

汗だくになりながら動き回るコバくん。

私はコバくんの指示通り荷物をまとめ、あまり重くないものを運んだ。

 

自分の部屋がどんどん殺風景になっていく。

 

2人で汗だくになりながら何度も往復して荷物を軽トラに積んでいく。

何も考えず、ただただ指示通りに動き、荷物を運ぶ。

 

何度往復しただろう。

私の部屋だった場所がいつの間にかガランとした空洞になっていた。

 

何もない。

カーテンすらない。

ただの空間。

 

私はかつて私の部屋だったその空間に立ちすくみ、ボーっと見回した。

 

「…あぁ…こんなに広かったんだぁ…」

 

1人でつぶやく。

コバくんは下で荷物を積み上げていてまだ戻って来ない。

 

この部屋を契約した時のことを思いだす。

あの時『花』のお姉さんが声をかけてくれなかったらこの部屋には住めなかったんだ。

そして『花』のボーイさんや田之倉さんが荷物を運んでくれたから、すぐにここで暮らせたんだ。

そして原さんが家具や調理器具を譲ってくれたからこの部屋が出来あがったんだ。

安いカーテンやソファーをとりあえず買い揃え、それから少しずつ荷物が増えていったんだ。

 

いろんなことが絡み合い、この部屋が出来あがり、そしてめちゃくちゃだったとはいえ『生活』が成り立ったんだ。

 

短い間だったけど、この部屋には濃密な思い出が詰まり過ぎている。

 

ガランとした空間を見つめ、私は溜息をついた。

 

「…ありがたかったなぁ…」

 

いろんな人に助けられ、ここまで来たんだと再確認する。

そして今もコバくんに助けられて私は移動していく。

 

「…ありがとうございました!」

 

私は何もない空間に深々と頭を下げて、お礼を言った。

 

「何してるん?」

 

その時コバくんが私の後ろで声をかけた。

 

「あ…なんかお礼が言いたくなって頭下げてた。あはは…恥ずかしいー!変なとこみられちゃったな。ははは…」

 

私は恥ずかしくて照れ隠しに笑った。

 

「…恥ずかしないわ。そうやな。俺もお礼言っとこう。俺もたくさんお世話になったから。ありがとうございましたー!!」

 

コバくんは私を笑うことなく一緒に頭を深々と下げた。

 

「写真撮っておこう。きっと数年後には懐かしく見てるで。」

 

コバくんはデジカメを取り出し写真を撮った。

いろんな角度からガランとした部屋を撮る。

 

「ゆきえも映ってー!ほら、こっち向いてー!」

 

 

ひとしきり写真を撮り、大家さんに鍵を渡して挨拶をする。

 

「綺麗に使ってくれてありがとうねぇ。」

 

大家さんはニコニコ笑いながら私にそう言った。

 

「そんな…お部屋を貸してくれてありがとうございました。ほんとにいい部屋でした。」

 

「そう?うれしいねぇ。今度はどこ行くの?」

 

「あ、兵庫県です。」

 

「そう。がんばって。まだ若いんやから。ねぇ。」

 

大家さんは私がソープ嬢だったということを知っているはずだ。

その人が「頑張って」と言っている。

 

「はい。ありがとございます。」

 

「うん。じゃ、ここは鍵かけんと行っていいから。私はこれで。ゆっくりお部屋とお別れして。な?」

 

大家さんはにこやかな笑顔でそう言うと、部屋を出て行った。

 

私とコバくんは顔を見合わせながら「じゃ、行こうか」と言い合った。

 

部屋のドアをパタンと閉めて、外の廊下の様子を写真に収める。

 

外の景色を目に焼き付け、廊下歩き階段をゆっくりと降りた。

何度ここを往復しただろう。

落胆して登ったり、うきうきしながら降りたり、泣きながら登ったり、仕事に行くのが嫌だと思いながら降りたり…

 

どこを見ても愛しかった。

ここに私の経験と体験のかけらがたくさん落ちている。

 

「ゆきえ?泣いてるん?」

 

「え…?うん。なんか泣けてきた。」

 

私は涙を流した。

あの時の“私”はもういないことが淋しくて泣けてきた。

もう二度と戻れないという事実が、こういうお別れのときに痛いほどわかってしまう。

 

 

「…よぉ頑張ったもんなぁ…」

 

泣きながら軽トラに乗り込み、運転席でコバくんがそう呟いた。

 

「…ううん…きっともっと頑張れたんだよ。私…もっと頑張ればよかった…うー…」

 

この期におよんで後悔している。

もっと頑張れたはずなんだ。

どこまでいっても私は怠け者でだらしない。

 

「そんなことないで。ゆきえはよぉやったよ。だから、これからはもっと楽しんでいいんやで。もっとゆっくりやったらええ。焦らんと、ゆっくり楽しんで。俺はそういうゆきえの姿がみたい。な?しばらくゆっくりしたらええよ。俺、近くにおるから。」

 

コバくんは私の頭をポンポンと撫でながら優しくそう言った。

 

「うぅ…ありがとう…。私…できるかな…生きられるかな…」

 

不安で押しつぶされそうだ。

K氏の元にも戻らない、有里ちゃんでもなくなった、私。

どうやったら生きていけるんだろう。

誰をお手本に生きていったらいいんだろう。

 

「できるって。ゆきえはすごい女なんやから。俺、知ってるで。ゆきえは言い出したら聞かないってこととか、めっちゃ強いってこととか、でも優しいってこととか。

だから大丈夫。ゆっくりやろう。」

 

コバくんは笑いながら、でも強い口調でそう言った。

 

「…うん。…そうやね。ゆっくりな。…それが一番苦手なんやけど。あはははは。ありがとう。」

 

「お!笑った!そうそう!笑いながら行こうや!ゆきえはすごいんやから!で、そのすごい女を好きになった俺もすごいんやから!なー?」

 

「あははは。そうやね。行こう行こう。」

 

「もうお別れせんでいいか?車、出していい?」

 

コバくんは優しい口調で私に聞いた。

 

「え?…ちょっと待って。」

 

私はもう一度軽トラから降り、周りの景色をぐるっと見回した。

そして息を一回吐き、軽トラの助手席に戻った。

 

「相変わらず田舎だった!あははは。」

 

涙の跡をそのままにしながら、私は笑いながらコバくんにそう言った。

 

「そうやな!田舎やな!あははは。」

 

「うん。でも…めっちゃいいとこだった!一生忘れられない場所になった!」

 

「そうやな。俺もやで。」

 

「じゃ、行こうか。しゅっぱーつ!」

 

「おう!しゅっぱーつ!!」

 

コバくんは軽トラのエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。

 

「ばいばーい!」

 

私は窓を全開にしてマンションに向かって大きく手を振った。

 

何もない国道を走る。

風が気持ちいい。

 

私は全開の窓から入ってくる風を受けながら、遠くなっていく見慣れた風景を眺めていた。

 

よかったな。

ここに来てよかったな。

 

これからどうなるかまるでわからないけど、今わかっているのは『ここに来てよかった』と思っていることだけだ。

きっと私はこれからのたうちまわるんだろう。

きっと私はこれから悩み、苦しむんだろう。

でも今はそんなことは忘れてこの時間を感じよう。

 

ここに来てよかったなぁ。

 

「…ふふ…」

 

全開の窓から顔を少し出し、思い出し笑いをする。

 

「なに笑ってるん?」

 

つられて笑いながらコバくんが聞く。

 

「ん?ふふ…面白いこと、たくさんあったなぁと思って。」

 

「え?…そうかぁ。」

 

「うん。…私、今軽トラ乗ってるんだねぇ。ふふふ。面白い。」

 

「うん?…そうやな。あはは。俺、なんで今軽トラ運転してるんやろ?あはは。」

 

「コバくんどうしたん?なんで軽トラ運転してるん?あはははは。面白いなぁ。」

 

「あははははは。」

 

「あははははは。」

 

 

軽トラの中、2人で笑う。

私を兵庫県に運びながら。

私をどこかに運びながら。

 

 

小娘有里は滋賀県雄琴と『有里』という名前に別れを告げて、次の場所で生きていく。

のたうち回りながら、悩みながら、これから『生きる』を学んでいくことになる。

 

小娘有里が『幸せ』を知ることになるのはここからもっともっと先の話し。

 

笑いながら次の場所に移動している小娘はきっとその場所でもたくさん笑う。

泣いても悩んでも、きっと笑うことになる。

それが『幸せ』へと続くキーポイントだということを全く知らないのに。

 

 

 

 

 

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はじめに。 - 私のコト

205

 

翌日、私は待ち合わせの時間に遅れないように身支度を整え、初めて行く阪急塚口駅へ向かった。

 

比叡山坂本と違って人が多い。

そして街の『色』がカラフルに見えた。

 

「ゆきえー。こっちこっちー。」

 

駅前できょろきょろしているとコバくんが手を振り私を呼んだ。

 

「迷わへんかった?」

 

歩き出しながらコバくんが優しい笑顔で私に聞いた。

 

「うん。大丈夫。」

 

初めての場所はわくわくする。

もしかしたら私はここに住むかもしれないんだ。

 

「すぐやから。ここからすぐやで。」

 

横断歩道を渡り、すぐ先にローソンが見える。

 

「あ、あれあれ。ローソンの上やねん。」

 

ローソンの上は茶色の綺麗なマンションになっていた。

そこがコバくんが薦めている場所だった。

 

「うわ。ほんまに駅から近いんやねぇ。」

 

「うん。すぐやろ?それでこの家賃はなかなかないと思うんや。」

 

マンションの前に着くと、不動産屋の方が待っていてくれた。

 

「あ、どうもー。○○不動産の者です。よろしくお願いします。」

 

スーツを着た若い男性が深々と頭を下げた。

 

「急にすんません。こちらがこの部屋を検討している方です。」

 

コバくんが不動産屋さんに私を紹介する。

 

「あ、よろしくお願いします。」

 

私はどこか他人事のように感じながら挨拶をした。

 

「あのぉ~、まだ候補のお部屋に人が住んでましてねぇ。明後日には部屋を出るんですよ。その方が。でもまだいらっしゃるんで内覧ができないんですよぉ。」

 

スーツの男性が申し訳なさそうに言う。

 

部屋の中が見られない?

えー…

 

「え?そうなん?あれ?昨日中見せてもらえるかもって言うてましたよね?」

 

コバくんが驚きながら聞く。

 

「あー…そうなんですけど…住んでらっしゃる方がやっぱり部屋がぐちゃぐちゃだから無理だとおっしゃって…」

 

「えー!…まぁしゃーないか…ゆきえ、どないする?」

 

え…ーと…

中が見られない。

で?どうする?と。

 

「中は凄い綺麗ですよ。もちろん今住んでらっしゃる方がでましたらリフォームもきちんとしますし。間取りもいいですし日当たりもいいですよ!」

 

不動産屋の若い男性が頑張って薦めている。

 

「この家賃では珍しくトイレとお風呂も別ですし、なんといっても駅が近いですからねぇ。この物件はすぐに埋まってしまうんですよ。なので決めるなら今かと思います。

手付だけしておいてもらえれば押さえておきますよ!このレベルの物件はなかなかないですよー。」

 

駅は…すごく近い。

お風呂とトイレが別なのはありがたいし、それがいい。

日当たりがいいと言っている。

…うーん…

 

「敷金と礼金は一ヶ月ずつなんやな?仲介手数料は?」

 

コバくんが話しを薦めている。

私をこの部屋に住まわせたい気持ちが強いことがわかる。

 

「はい。手数料は一ヶ月分です。で!オーナーさんが今決めてくれれば礼金はいらないと言っています!お得ですよねぇー。」

 

「え?そうなん?それすごいな。ゆきえ、どない?」

 

「…うーん…そうやねぇ。コバくんはここがいいと思ってるん?」

 

「…うん。俺はここがいいと思ってるし、はよ決めたいと思ってる。外観も綺麗そうやし、リフォームもしてくれるいうてるから…どうかな?」

 

私たちがごにょごにょと話していると不動産屋の若い男性が数枚の写真を見せてきた。

 

「こちらが内観です!綺麗じゃないですか?」

 

マンションの内部を映した写真。

確かに綺麗だし日当たりも良さそうだった。

 

「…うん。綺麗やね。」

 

私は新しい街に来て、綺麗なマンションの外観を見て、心が揺らいでいた。

そしてすぐにでもこの身をこの場所に移したくなってきていた。

新しい生活を考えるとわくわくする。

この場所で1人暮らしができるかと思うと、なんだか明るい未来が待っているような気がしてくる。

 

「…ここに決めない?」

 

コバくんが私の背中を押す。

 

他の場所を見てるヒマなんかない。

私は早く自分の居場所を確保したいと思っていた。

そして早く滋賀県から出たいと思っていた。

 

 

「…うん。そうやね。ここにするわ。」

 

内覧をしていない不安はあったけど、もしなにかがあったらどうにかしよう。

場所に慣れることはできるだろう。

 

「ほんま?ほんまに?いいん?やった!そうしよう!」

 

コバくんは嬉しそうに笑った。

 

「じゃ、ここにします。お願いします。」

 

コバくんが不動産屋の男性に言う。

 

「あ、ありがとうございます!では書類の説明をしますね。」

 

マンションの入口の前でずっと立ち話をしている私たち。

書類の説明も立ったまま聞いているのがなんだかおかしかった。

 

「で、ここに保証人さまのお名前と印鑑が必要です。保証人さまはどなたか身内の方でお願いしたいのですが大丈夫ですか?」

 

あ…

保証人…

 

すっかり忘れていた。

保証人の存在を。

 

「え…と…どうしょう…」

 

親には連絡したくない。

というかできない。

姉や兄にももちろんできない。

そして連絡したからといって保証人になってくれるわけもない。

 

胸がドキドキする。

私は一人では何もできないことを再確認する。

部屋すら借りられない。

 

なす術もなく、さっきまでわくわくしていた気持ちも萎み、胸の中に冷たい風が吹き抜ける。

 

 

「あ、僕婚約者なんですけど、僕じゃだめですか?」

 

コバくんがふいにそんな事を口にした。

 

「え…と。そうですね。多分…大丈夫だと思います。ちょっと聞いてみますね。」

 

不動産屋の男性がおもむろに電話をかけ始める。

 

 

「コバくん…いいの?保証人なんて…いいの?」

 

小さい声でコバくんに聞く私。

 

「おう。俺がなるで。大丈夫。俺、婚約者やから。ははは。」

 

照れたように鼻を触るコバくん。

申し訳なくて泣きそうだ。

 

「あ、大丈夫みたいです!ではここに婚約者さまのお名前捺印、それから…」

 

いつの間にか保証人の件は片付き、契約に関する話しがどんどん進んでいた。

 

「では書類の方、お願いいたします!で敷金と仲介手数料と最初の一ヶ月分の家賃をここに振り込んで頂けますか?書類は持って来ていただいても郵送でも大丈夫です。」

 

「あ…はい…わかりました…」

 

「すぐやります。よろしくお願いします。」

 

まるでコバくんが部屋を借りるみたいに話しを進めている。

私は契約がほとんど決まっているのに、ずっと他人事のように見ている。

 

「では。わからないことがあったらいつでもご連絡ください。ありがとうございましたー!」

 

不動産屋の男性がにこやかにその場を去った。

私は頭を下げながら、ポカンとしていた。

 

「よかったな。決まって。」

 

コバくんがニコニコしながら私に言った。

 

「え…うん。ありがとう。私、何にもしてない…」

 

ポカンとしたまま答える。

 

「ええやん。これからたくさんいろんなことするんやろ?俺は場所を整えるだけや。あ、ゆきえ。書類書いておいてな。帰ったら保証人の欄に記入するから。」

 

「あ…うん。ほんまにええの?」

 

「ええんやって!俺がやりたいの!あ、それから帰ったら引っ越しのこと話し合おう。いつどうやってやるか考えておくから。な?」

 

「あぁ…うん。そうやね。」

 

「あ、それから敷金とかもろもろ俺が払っておくから。俺かて積み立てとかあるんやで!ゆきえ、K氏にお金たくさん払ってしまったからもうあんまりないやろ?そやからそれだけ払わして。ゆきえはこれからの生活があるんやから。俺はどうにでもなるしな。な?」

 

「え…?」

 

コバくんは引っ越しにかかる諸々を自分が払うと言ってきた。

ニコニコと笑いながら。

 

私はこの人と一緒には住まないと言ったのに。

苦痛だと言ったのに。

 

この人は一体何なんだろう。

 

「そんな…。あかんて。それはあかんやろ。なんで?」

 

私はポカンとしたままコバくんに「あかん」と言った。

目の前で起こっていることに着いて行けず、私はいつまでもポカンとしていた。

 

「あかんくないって。そうさせてや。俺がそれのがいいんやって。ゆきえかてそれのが楽やろ?お金少しでも持ってた方が気持ちが楽やろ?それにその方が思う存分次の仕事を吟味できるやんか。な?」

 

確かにK氏にお金を渡してしまって、手元にあるお金は心もとない金額だけになっていた。

先のことなんて考えていなかったから。

 

「…うん…コバくんがそうしたいん?」

 

「そうやって!俺がそうしたいの!ゆきえには色々お世話になったからな。ゴハンとかお弁当とか。掃除に洗濯やろ?どこかに遊びに行くときもよくゆきえが払ってくれたやんか。俺の高速代を心配してくれたやろ?そやからお返しやで。な?」

 

コバくんは兵庫県から滋賀県まで毎日通っていた。

高速代を払いながら。

その額を私は知らないけど、なんとなく気にして、家賃や光熱費をもらうことはなかったし、どこかに遊びに行くときにも私が先回りして払っていることが多かった。

私の方が格段に稼いでいたから当たり前の話しなんだけれど。

 

「…なんか申し訳ないわ…」

 

いたたまれない。

自分が情けない存在に感じる。

ズルいし小さいし無力だ。

 

私は有里ちゃんじゃなくなって、これからやっていけるのかと不安になっていた。

 

「申し訳なくなんか感じなくてええ。ゆきえはこれからのことを考えたらいいんや。な?じゃ、俺仕事戻らな。また帰ったらゆっくり話そう。帰り気ぃつけてや!」

 

「…うん。わかった。ありがとう。」

 

「ゆきえ!大好きやで!」

 

「んふふ。ありがとう。私もやで。」

 

手を大きく振って歩き出すコバくん。

すごい笑顔だった。

 

「…はぁ…」

 

阪急塚口駅に戻る道。

綺麗な駅前の道を歩きながら、私は今起こった出来事がやっぱり他人事のような気がして心がポカンとしたままだった。

 

この街に住むことになりそうだなぁ…

 

そんなことを思いながらきょろきょろと周りを見回す。

 

私はここで買い物をするのかもしれない。

私はこの道を何度も何度も通るのかもしれない。

 

どこに向かっていくんだろう。

私はどうやって生きていくんだろう。

 

足がちゃんと地に着いていないような感覚のまま私は電車に乗り、自分の部屋に帰って行った。

 

 

 

つづく。

 

 

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はじめに。 - 私のコト

204

 

私はドキドキしながらコバくんに話し始めた。

ゆっくりと、言葉を選びながら。

 

「私な、こうやって今生きてるのが不思議なんよ。どっかで殺されるのを望んでたんや。やりきったらいなくなれるって思ってたから。もちろん怖かったで。殺されるのは怖かったんやで。でもな、どこかで期待してた。…でもな…今生きてんねん…。」

 

「…うん…俺は生きててよかった思うてるで。でもゆきえは辛いんやな…。」

 

「辛いいうか…うん…そうやなぁ。そやから“これから”のことがなかなか考えられへんくてな。」

 

「うん…そうやんな…そうやな…」

 

「でも帰りの新幹線で一生懸命考えたんや。生きかなあかんしな。」

 

「うん…そうか。…それで…?」

 

「うん。…あんな、今までやってみたかったけどやらなかったことをとりあえずやってみようと思ってる。」

 

せっかく生かされたこの身体。

生きてることがめっけもん。

私はこの身体を使って、『私』を使って実験を試みようと決めていた。

やりたかった仕事をやってみよう。

やりたかった勉強をやってみよう。

そこで私は何を思い、何を知るのか。

そして私の『人生』ってやつがどうやって転がっていくのかを見てみよう。

 

「…そうか。そうなんや。うん。それで?やりたかったことってなんなん?」

 

コバくんはちょっとだけ笑顔になって私の方を向いた。

 

「うん。まずはバーテンダーをやってみたい。お酒の勉強したいんや。どこでどんな風にっていうのはわからへんけどな。」

 

「へぇ。そうか。ゆきえはお酒が好きやからなぁ。」

 

「うん。お酒のこと、全部知りたい。それで、どんなバーテンダーがいいバーテンダーなのかを知りたいんや。」

 

そして私にはバーテンダーという仕事が務まるのかが知りたい。

全く通用しないのかそれとも通用するのか。

バーテンダーにとって何が重要で、何を求められてるのかが知りたい。

 

「…うん。…いいやん。俺、応援する。」

 

「…ありがとう。でな、自分のルールを決めたんや。」

 

「え…?ルール?」

 

「うん。あんな、25歳まではありとあらゆる仕事をしてみようと思ってるんや。あと3年ちょっとやけど。理想としては25歳までに『これ!』っていう仕事に巡り合いたい。そやからそれまではやりたい!と思った仕事は片っ端からやってみようと思う。

もちろんバーテンダーだけになるかもやけどな。それに…その途中でお兄さんのところに戻るっていう選択が出てくるかもやけどな…。」

 

「うん…」

 

「それでな、ただそれだけやったらあかんと思って、重要なルールを作ったんや。」

 

「…え?なになに?」

 

「うん。どの仕事をしても『辞めないでくれ』って懇願されるくらいの実績を作ってからじゃないと辞めちゃだめっていうルール。」

 

「へぇ…。すごい…。」

 

コバくんが笑いながらそう言った。

そしてこう付け加えた。

 

「ゆきえらしいなぁ…。」

 

 

私らしい…?

そうなのかな。

 

「だってそうじゃなきゃその仕事の醍醐味みたいなものや、その仕事の真髄みたいなものを垣間見れないやんなぁ。…ちがうかな?」

 

「いや…ほんまにそう思うで。うん…いいと思う。」

 

「…ありがとう…」

 

 

「…それで…」

 

コバくんが聞きたいことはこれから話すことの方だ。

そんなことはわかってる。

 

「うん…それでな…」

 

「うん…」

 

 

「…コバくんとはもう一緒に暮らせない。」

 

意を決して言った。

心臓がバクバクしている。

 

「…なんで…?」

 

コバくんが真剣な顔で私に聞く。

 

「…私な、誰かが一緒やとやりたいことをトーンダウンしてしまうんや。それにゴハンののこととかお弁当のこととかやらないと気になってしまうし、でもそれで疲れたりしてしまうしな。あとは…これからは一人でやっていきたいんや。だから…。」

 

「嫌や。」

 

コバくんが間髪入れずにきっぱりと嫌だと言った。

 

「なんで一人でやりたいんや?俺応援するって言うたやん。ゴハンもお弁当もいらん。そりゃあったら嬉しいけどそんなんいい。ゆきえがトーンダウンしないように気ぃつける。俺、ゆきえのそばで応援したいし一緒に生きていきたい。それはぜったい譲れん。

もし途中でK氏の元に戻る言うても俺は全力で反対する。でも今は違うんやろ?K氏のところには行かへんのやろ?だったらええやんか。俺はゆきえのそばから離れたない。邪魔しない。応援だけする。一緒におろう。」

 

 

コバくんが強く自分の意見を主張した。

私のそばにいたいと。

私の邪魔はしないと。

 

「…う…ん…ありがとう…でもな…」

 

私が一人になりたかったのには訳がある。

コバくんが一緒に暮らしていることで気が休まらないのだ。

食べ吐きを隠し通さなきゃならないことも苦痛だし、掃除や洗濯やゴハンの仕度やお弁当作りが正直しんどくなっていた。

今さらやりたくないとも言えないし、一緒に暮らし続けたらこれが続いていく気がする。

一人の自由な時間と空間が欲しい。

何をするにしても、何を決断するにしても、コバくんに報告しなきゃならないことが嫌でたまらなかった。

 

「…ごめん…私は一人で暮らしたい。私は私の人生を自分で決めていきたい。何かを決める時、コバくんに報告しなきゃいけないと思うのが苦痛なんや。」

 

言ってしまった。

苦痛だと。

 

「…なんで?なんでなん?一人くらい応援したい奴がそばにおってもええやろ?……じゃあわかった。俺は一緒に暮らさない。でも別れへん。一緒に生活しなきゃええやん。な?たまにゆきえの部屋に泊まらせてくれたら嬉しいけど。それでええやん。違う?」

 

「…え…?」

 

一緒には暮らさないけど別れない。

離れない。

そうコバくんは言った。

 

『一人ぐらい応援したい奴がそばにおってもええやん。』

 

確かにそうかもしれない。

でもそこにはやっぱり“重さ”が伴っていた。

 

どうしよう。

別れたいのか別れたくないのか。

私はただ“一緒に暮らす”ということから解放されたかっただけなのか。

 

「…う…ん…コバくん…ありがとう。」

 

返事をしかねてお礼を言う。

ほんとにありがたいと思っている。

 

「ありがとうはいらんねん。俺はゆきえと離れとうないねん。何があかん?俺が言ってること、何があかん?」

 

食い下がるコバくん。

こんなことは珍しい。

この人は本気だ。

 

「俺、部屋探すわ。もうここも出なきゃあかんやろ?バーテンダーやるにしても滋賀県ではあかんやろ?俺、ゆきえの新しい部屋探すわ。ええやろ?もちろん勝手には決めへん。ゆきえの意見を尊重する。でも探してもええやろ?」

 

「…え?」

 

「俺は一緒には暮らさへん。ゆきえが嫌がるなら。でも俺がゆきえの新しい部屋探す。応援するって言うのは本気やから。な?それでええやろ?」

 

「…え…?…うん…それでええの?…コバくんはそれでええの?」

 

「俺はそれがええの!ほんまは一緒に暮らしたいで。ずっとゆきえのそばにおりたいもん。でもゆきえがそれじゃ自分の人生思いっきり生きられへん言うならガマンする。俺は応援したいんやから。」

 

 

コバくんの決意は固いものだった。

私はこの関西地区の事はなにもわからない。

どこから手をつけたらいいかわからないのが本音だった。

 

 

コバくんがそこまで言うなら任せてみてもいいかもしれない。

 

 

私は自分のことをズルい奴だと罵倒しながらもそう思い始めていた。

 

「…じゃあ…お願いしてもいいかな?コバくんがそれでいいって言うなら…。」

 

罪悪感に苛まれながら私はコバくんにそう言った。

 

「うん!いいねん!俺、それがいいねん!で、たまにゆきえの部屋に泊めてな。そうやなきゃ淋しいから。な?」

 

コバくんはいつもの子犬のような笑顔で私に笑いかけた。

 

「…うん…ありがとう。…ほんまにありがとう…。」

 

「ありがとういらん。俺がありがとうや。俺、ゆきえと別れへんから。そばにおりたいから。な?応援させてや。」

 

泣けた。

コバくんの言葉に。

そして私の狡さに。

 

 

 

コバくんは次の日から早速仕事の合間に新しい部屋探しを始めた。

部屋の間取り図を数枚持ち帰ってきて、嬉しそうに私に見せる。

 

「俺はここが一番ええと思うんや。ゆきえはどない?」

 

阪急塚口駅から徒歩2分。

1DKの部屋。

家賃は7万円。

塚口駅はコバくんの職場のある駅だ。

 

「ここやったら仕事帰りにもゆきえのところ寄れるし、俺はここにゆきえがおったら嬉しいな。」

 

コバくんは塚口駅付近で部屋を探していた。

 

「ここやったらキタにもすぐ出られるし、ミナミも楽に行けるで。」

 

阪急塚口兵庫県だけど、電車ですぐ大阪のキタやミナミにも出られる場所だった。

 

バーテンダーやるにしてもやりやすいんやないかなぁ。」

 

コバくんはどうしてもその部屋に住んでほしそうだった。

 

「一回見に行かへん?」

 

コバくんがにこにこしながら私を誘う。

 

「うん…そうやね。」

 

「じゃ明日来て。俺、昼休みに行くから。」

 

「え?明日?」

 

「うん。明日。12時に塚口に来てな。不動産屋に連絡入れるわ。」

 

 「あ…うん…」

 

コバくんはすぐに不動産屋に連絡をいれた。

 

「あ、はい。今日伺ったものです。明日見に行きたいんですけどいいですか?はい。12時ちょっと過ぎに行きますんで。あ、はい。現地に行きます。あ、はい。そうです。じゃ。よろしくお願いします。」

 

目の前でどんどん何かが動いている。

私は何もしていないのに。

 

「明日大丈夫やって。そやから明日来てな。塚口の行き方は…」

 

コバくんが電車の乗り継ぎの説明を始めた。

私はただメモをとり、「うん。うん。」と聞いていた。

 

流れて行く。

流されている。

 

私の人生がまた動き始めているのを感じていた。

 

 

 

つづく。

 

 

 

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205 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

 

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はじめに。 - 私のコト

203

 

なんとか11時のチェックアウトを済ませ、酷い二日酔いの身体を引きずるように新幹線に乗った。

 

「…はぁ~…」

 

吐き気と頭痛。そしてひどい怠さが抜けない。

私はコバくんのこととこれからのことを、そのひどい状態で考えようとしていた。

 

どうしよう。

私はどうしたいんだろう。

 

朦朧とした頭で必死に考える。

 

コバくんもK氏も『待ってる』と言った。

私のやりたいようにやれと言った。

 

私のやりたいように…?

私の…?

やりたいように…?

 

目を瞑り、じっと考える。

 

私のやりたいようにやるってなんだろう?

なんだろう…?

 

 

しばらく考えていると、おぼろげながら考えがまとまってきた。

 

私は一度死んだ人間だ。

『死』を覚悟した女だ。

今何故か生きているのは『たまたま』であり、そして『幸運』なのかもしれない。

雄琴ソープランドという『世間の端っこ』のような場所に行ったのに、ひどい目にも合わず、なんなら優しくされまくった。

そして無事に目標を達成できたことも『奇跡』のようなことなのかもしれない。

 

私は何故か生かされた。

運だめしのような気持ちで雄琴まできた私が今生かされている。

私は強運なのかもしれない。

 

 

「うん…そうだな…」

 

私の中にポッと小さい一つの光を見つけた。

どうやって生きて行くか、ほんの少しの答えが見えた気がした。

 

目を瞑りながら何度も頷く。

 

「うん…うん…」

 

自分との対話が続く。

 

これをコバくんに言おう。

ちゃんと言えるかはわからないけど、私は私の言葉で一生懸命コバくんに伝えよう。

私の言葉を聞いてコバくんがどうするかはわからない。

私は私が見つけた『やりたいようにやる』を言うだけだ。

 

何度も自分の気持ちを確認する。

どうしたい?

これでいい?

どうやって生きていきたい?

 

そして私は「うん…そうだね…うん…」と自分の気持ちに答えていく。

 

 

だんだんと二日酔いも治まってきたころ、私は比叡山坂本駅に降り立っていた。

 

「…ふうーー…」

 

空気が綺麗だ。

そして田舎だ。

故郷でもなんでもないここに降り立ち、ホッとしている自分が不思議だった。

 

初めて比叡山坂本駅に降り立った時のことを思い出す。

所持金がほとんどなく不安でいっぱいだった。

ここが何県かもわからなかった。

知らない車に乗せられて、どこに連れて行かれるかもわからなかったあの日。

必死だった。

めちゃくちゃだったけど必死だった。

 

そして今。

やっぱり私は必死だ。

 

せっかくめちゃくちゃなことをしたんだから、そしてせっかく生かされたんだから、このまま必死に生きてみよう。

『私』を実験していこう。

 

ひどい摂食障害は治る気配がない。

私は私が大嫌いなのも変わらない。

ほんとは消えてしまいたいくらい辛い。

でも消えることはできない。

 

だったら実験してみよう。

私には未来なんて元々なかったんだから。

 

 

コバくんが待つ部屋に向かう。

ドキドキしている。

これからどんな会話が繰り広げられるのかわからないから。

コバくんの口からどんな言葉が飛び出すかわからないから。

ちゃんと聞こう。

『待つ身』のほうがしんどかったと思うから。

 

 

ピンポーン

 

 

ドアのチャイムを鳴らし、コバくんが開けてくれるのを待つ。

 

「はーい。」

 

ガチャ

 

ドアが小さく開き、目を真っ赤にしているコバくんが顔を出す。

 

「おう。おかえり。」

 

引きつった笑顔。

頑張って笑っているのが痛々しい。

 

「うん。ただいま。」

 

私もつられて痛々しい笑顔を向けてしまう。

 

「疲れた?」

 

「ううん。ひどい二日酔いやけどな。」

 

「そうか。…ゆきえ。おかえり。」

 

「うん。ただいま。」

 

「うん。…よぉ帰ってきたな。…ぎゅってしてええか?」

 

「…うん。ええよ。」

 

コバくんは私の身体をぎゅっと抱きしめた。

 

「…おかえり…おかえり…俺…待っとってんやで…辛かったけどちゃんと待っとったんやで…うぅ…よかった…顔見たら泣けてきた…うぅ…うぅー…」

 

コバくんは強く私を抱きしめて泣いた。

 

「うん…うん…待っとってくれてありがとう…辛かったやろ?よぉ待っとったなぁ…」

 

私はコバくんの頭を撫でた。

子どもをあやすような気持ちで。

 

「…話し、聞かせてくれる?…怖いけど…俺、聞くわ…」

 

コバくんは私を抱きしめながら小さな声で呟いた。

 

「うん…話すわ。ちゃんと話そう。」

 

私たちはリビングに行きソファーに腰かけた。

 

空気が重い。

俯いているコバくんの姿が辛い。

 

傷つきたくないし傷つけたくない。

でもそんなことはこれから先もありえないことなのかもしれない。

 

「…で…どうやったん?」

 

コバくんが重い口を開いた。

 

「うん…お金を受け取ってもらってちゃんと謝ることができたよ。やりたかったことはやり遂げられた。ちゃんと目標は達成できたよ。」

 

「…そうか…おめでとう。よかったな。うん…」

 

コバくんが淋しそうな笑顔で私に言った。

 

「うん。よかった。ありがとう。」

 

「…で?それで?」

 

「…うん。殺さないって。私のことは殺さないって。それで…戻って来いって言われたんや。」

 

「…うん…それで?それでゆきえはどう答えたん?」

 

コバくんは下を向きながら涙を流していた。

ボロボロと涙がコバくんの履いているジーパンに滴り落ちていた。

 

「…わからんって答えた…戻るか今はわからんって…殺されるって本気で思ってたから…殺されてもいいって本気で思ってたから…急に『これから』のこと聞かれてもわからんって答えたんや…」

 

「そしたら?K氏はなんて言ったん?」

 

「待つって…いつまでも待つって言うた。」

 

「それで?それでゆきえはどう思ったん?」

 

泣きながら聞くコバくん。

私の顔を見ようとしない。

 

「…どう…って…うん…正直嬉しかったし本気で迷った。今も少し迷ってる。でも…今すぐ戻る気は…ないで。」

 

その時コバくんがキッとこっちを向いた。

 

「やっぱり。やっぱりK氏のことがまだ好きなんやな。やっぱり迷ってるんやな。…なんやねん…なんでやねん…」

 

うなだれるコバくん。

「ごめん…」と謝る私。

 

「これ…読んで。ゆきえがいない間、どうしようもなくて書いてたんや。自分の気持ち書いておきたくて。読んで見て。」

 

コバくんはぶっきらぼうに一冊のノートを私に手渡した。

ドラえもんのノートだったのが少し笑えたけど、真剣に受け取った。

 

「読んで…いいの?」

 

「うん…読んで。」

 

コバくんから受け取ったノートには6ページほどに渡っていろんな言葉が綴られていた。

 

PM7時

今頃ゆきえはK氏に会ってるのだろうか。

無事でいてくれ。

俺と別れるという決断を持って帰ってきたとしてもいいから無事でいてほしい。

この世からゆきえがいなくなるなんて絶対に嫌だ。

たとえ俺と離れたとしても。

 

PM10時

さっき書いたことは取り消したい。

やっぱり嫌だよ。

ゆきえと別れるなんて嫌だ。

ゆきえがいなくなるのはもちろん嫌だし、無事でいて欲しい。

そして…やっぱり一緒にいたいよ。

ゆきえが無事でそしてもし別れたいと言ってきたら全力で阻止したい。

俺はわがままだ。

 

PM11時

ゆきえから連絡がない。

無事なんだろうか。

心配だ。

泣けてきた。

こんなに好きなんだと改めて気付く。

辛いよ。

 

 

こんな言葉たちがたくさんたくさん並んでいる。

私は一言一句漏らさないように丁寧に読んだ。

コバくんの心の叫びのような気がして。

これをちゃんと読むのが礼儀のような気がして。

 

コバくんの言葉を真剣に読み進めて行き、私はある文章にピタリと目を止めた。

 

AM9時45分

ゆきえから連絡があった。

無事だった。よかった。

でも怖い。

ゆきえの決断を聞くのが怖い。

俺はゆきえが決めたことを受け入れられるのだろうか。

ゆきえにとって俺は『ただなんとなく隣にいる人』なのかもしれない。

それでもいい。

俺にとってゆきえは絶対に離したくない女なんだとつくづく感じる。

もし別れることを決断していたら受け入れる自信がないよ。

全力でその決断を止めさせたくなるかもしれない。

 

 

 

ゆきえにとって俺は『ただなんとなく隣にいる人』なのかもしれない。

 

 

その一文に目が止まる。

 

ボロボロと涙が流れる。

まったくその通りすぎて切なかった。

それでも離れたくないというコバくんが切なかった。

そしてまったくその通りだと感じている自分が辛かった。

 

 

「…俺…まとまってないんや。どうしたらいいかわかれへん。ゆきえがどうしたいのか聞きたいけど、それを反対してしまうかもしれん。受け入れられへんかもしれん。…どうしたらいいかわからへんのや…ごめん…」

 

なんで謝るんだろう。

この人はなんで謝るんだろう。

 

「…これ…もらってもいい?このノート、もらってもいい?」

 

泣きながらコバくんに聞いた。

この言葉たちは私の手元に置いておきたい。

そう思ったから。

 

「え…うん…恥ずかしいけどな…でもええよ。ゆきえになら恥ずかしいところも全部明け渡したいから。」

 

この人は誠実だ。

そして優しい。

いい人すぎる。

 

 

「それでね…私が決めたことなんだけど…聞いてくれる?」

 

誠実ないい人には誠実に答えよう。

ちゃんと話そう。

 

私は正座をしてコバくんに話し始めた。

私の決めた“これから”のことを。

 

 

 

つづく。

 

 

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はじめに。 - 私のコト

 

202

 

K氏と私はかなりのお酒を飲んだ。

レモンサワーから始まったこの店での宴は、そのうちに焼酎のロックに変わり、そして最後にはテキーラのショットをガンガン飲み合う時間に変わっていった。

 

「ゆきえ!もっとグイッといけよ!いけー!」

 

「はい!いきます!!」

 

「ぶははははー!おまえは酒が強いなぁー!サルート!」

 

「あっははははは!飲みますよぉー!お兄さんと飲むのは久しぶりですからねぇー!」

 

 

ふらふらになるまで飲んだ。

私は私がやり遂げたかったことをやり遂げた嬉しさを味わい、そして戸惑いを味わっていた。

テキーラを何杯も飲み、思い出話をたくさんしながらいつの間にか「あははは!」と笑っていた。

 

「で?おまえはいつ戻って来るんだ?おい?」

 

K氏はふざけながらも話しの合間に何度も聞いてくる。

 

「いやぁ~。あははは。」

 

何度も笑ってごまかす私。

酔っぱらってはいるけれど、頭ははっきりとしている。

笑いながらもちゃんと戸惑いや葛藤を感じていた。

 

何度目かの「で?おまえはいつこっちに戻って来るんだ?」の質問を受けた私はとうとうこんなことを口にしていた。

 

 

「私はぁ、今日までこの日のことしか考えてなかったんですよぉ!今日で死んじゃうと思って生きてきたんですよぉ!なのでね、えと、あの、…わかんないんですよー!もーー!」

 

酔いがかなり回っていた。

もうやけくそだった。

笑ってごまかすのに限界を感じていた。

 

わからないよ。

今の私にはわからないよ。

今日のことしか考えてこなかったんだから。

 

 

「お?…そうか。うん…そうだな。そうかそうか。」

 

K氏が珍しく酔っぱらった顔をして「うんうん」と頷いていた。

 

「だからー!もうちょっと待ってくださいよー!ね?お兄さん!私が逃げ出したのが悪いんですよ!それはわかってます!たくさん迷惑もかけました!すっごくわかってます!だからー!だからー!殺される覚悟で生きてたんやないですかぁー!でもね、お兄さんが生かしたんですよ!なんでか生かされたんですよ!もうね、びっくりですよ!

どうしたらいいんですか?私。人生ってなんですか?生きるってなんなんですか?

知ってます?お兄さん知ってますか?知ってたら教えてくださいよー。もー。」

 

酔っていた。

酔っていたけど自分が何を言っているのかはわかっていた。

わかっていながら口が止まらなかった。

 

「ははは。…わかったよ。わかった。おまえの言いたいことはわかったよ。…『生きる』って切ないよなぁ。うん。」

 

笑いながらK氏は私の方を見た。

 

「向こうで待ってる人がいるんですよー!私が殺されるかもしれないけど待つって言って待っててくれる人がいるんですよー!もうね…どうしたらいいかわからないですよ。私、どうしたらいいんですかね?わかららないっすよ。」

 

気付いたら泣いていた。

コバくんのことはK氏には言わないつもりでいたのに言ってしまった。

 

「…ゆきえはその待ってる奴のことが好きなのか?」

 

K氏が真剣な顔で私に聞いた。

 

「え?…好き…?…わかりません。待たなくていいって言ったんですよ。でも待つって…。私、今生きてるし、向こうが待ってるならけじめはつけなくちゃですよね。それもどうしたらいいかわからないんです。」

 

『けじめ』という言葉をなんとなくつかってしまった。

その『けじめ』のつけかたなんてしらないし、『けじめ』がなんなのかも知らないくせに。

そんな自分に辟易する。

かっこつけやがって!と自分を心の中で罵倒していた。

 

「…そうか。…わかった。」

 

K氏は私の心の中の罵倒にまったく気づかず、納得している様子できっぱりと「わかった。」と言った。

 

「おまえなりのけじめをつけて来いよ。おまえなりの答えを見つけて来いよ。…俺は待ってる。おまえが戻って来るのを待ってるよ。すぐじゃなくていい。でも俺は待ってるぞ。それは俺が決めたことだ。おまえがなんと言おうと俺は待つと決めたんだ。だからおまえはおまえなりの答えを見つけろよ。な?」

 

K氏は腕を組みながら大きな声で私に言った。

私はハラハラと涙を流しながらK氏の言葉を聞いた。

 

「…はい。ありがとうございます。…はい。…そうします。」

 

「まだ飲めるだろ?飲めよ!」

 

K氏は明るい声で私に酒を勧めた。

私は「はい!」と返事をして「テキーラもう一杯ください!」と店主さんにお願いをした。

 

「もう一回乾杯しようぜ!サルートー!」

 

K氏はショットグラスを上に掲げ、私と腕を絡ませた。

腕を一回絡ませてからお酒を飲むのがK氏は好きだ。

これもK氏の演出なんだとわかっているけれど、酔っている時にこれをやられるのはなかなか嬉しかったり楽しかったりする。

 

「おまえの門出だな。おまえの新たな人生が始まるんだろ?大人になれよ。ますますいい女になれよな。まぁ俺のそばにいればなれるんだけどな。はははは。」

 

K氏はそう言いながら綺麗なZippoのライターを取り出し、私に見せた。

 

「こうやってこのライターを見るだろ?どんな形に見える?」

 

「え?長方形です。四角いです。」

 

カタンとカウンターの上に乗せられたZippoが綺麗に光っている。

 

「じゃあこの角度から見たら?」

 

K氏はZippoを持ち上げ、斜めから見せる。

 

「さっきとは違う形です。これは…どんな形っていうんだろうなぁ…」

 

「じゃあこれは?」

 

K氏はまた違う角度からZippoを私に見せる。

 

「さっきとは大きさも細さも違う長方形です。」

 

「うん。そうだな。…そういうことだよ。」

 

カタンと音を立ててZippoをカウンターに置くK氏。

 

「…え?」

 

「同じZippoでも見る角度で全く違うように見えるだろ?そういうもんだよ。世の中っていうのはそういうもんなんだよ。いろんな視点を持てよ。同じ物事をいろんな視点で見られるような女になれよ。それがいい女ってもんだ。なぁ。」

 

K氏はニヤリと笑いながら言った。

 

「…ほんとにそうですね。…まだ私にはよくわからない部分があると思いますけど、その言葉、ずっと覚えておきます。そういう女になりたいです。」

 

「おう。待ってるぞ。な?」

 

 

K氏と私はその後もかなりのお酒を飲んだ。

「わははは」と笑いながら、いろんな話しをした。

K氏の話しは面白く、改めて彼の知識量に驚かされた。

 

「さ!そろそろ帰るか!ホテルまで送るぞ。」

 

私はかなり酔っていて足元がフラフラになっていた。

 

「あい…おねがいしまぁふ!」

 

K氏は私を抱え、町田の街を歩いてホテルの部屋まで送り届けてくれた。

 

「おい!大丈夫か?!ここにお水置いておくからな!おい?!帰るぞ!」

 

遠くでK氏の声が聞こえる。

 

「え…?あい!ありがとうございましたぁ…」

 

朦朧とした意識の中、私はお礼を言った。

気付くと私はホテルのベッドの上だった。

 

「じゃあな。またな。」

 

K氏が私の唇に自分の唇を合わせた。

 

「ん…ふふふ…おやすみなさぁい…」

 

酔っていた私はK氏とキスをしたことを笑っていた。

 

「…おまえ…しょーがねぇなぁ…またな。」

 

K氏の声がますます遠くで聞こえた。

バタンとドアの閉まる音がかすかに聞こえる。

 

「ふふ…ふぅ~…」

 

私の酔いは酷く、気づくと眠りに落ちていた。

 

 

 

ピピピピピピ…

 

ベッドの横にある目覚ましアラームの音が響く。

 

「ん…んー…」

 

アラームの音に目を覚ますと朝だった。

 

「え…?あれ…?」

 

昨日の帰り道をまったく覚えていない。

どうやってここまで来たのかわからない。

 

「え…?え…?」

 

ベッドの中の自分の身体を確認すると、ブラジャーとパンツだけになっている。

 

「え?あれ?」

 

K氏が帰っていった時の様子をおぼろげながら思い出す。

 

「え…と…あれ…どうしたんだっけ…」

 

きょろきょろとベッドの周りを見回すと、ベッドサイドにお水とメモが置いてある。

 

「え…?」

 

メモを手に取り、しょぼしょぼする目をこらす。

 

『苦しそうだったから服脱がせておいたぞ。何にもしてないからな!楽しかった!愛しているぞ!またな。』

 

 

K氏の懐かしい文字で殴り書きしてあるメモ。

私はそれを見て「ふふ」と笑った。

 

お水を飲み、ひどい頭の痛みに気付く。

 

「っつ…あー…飲み過ぎたなぁ…」

 

ひどい二日酔いだ。

身体が動かない。

ぐるぐると回る天井を見つめながら昨日のことを思いだす。

 

右手をおでこの上にのせ、軽く目をつぶる。

 

終ったんだ。

やり遂げたんだ。

ちゃんと謝罪をして、700万円を渡せたんだ。

 

「うん…よかった…よかったな…」

 

目をつぶりながら1人呟く。

 

「…さあ…今後のことを考えなきゃな…」

 

終ったと思ったらもう始まっている。

コバくんのこと、これからのこと、諸々のことを片付けていかなければ。

 

時計を見ると午前9時半過ぎ。

チェックアウトは11時だと言っていた。

なんとか動き出さなければ。

生きていかなければいけないんだから。

 

「…よし…」

 

ドロドロに動かない身体をなんとか起こし、携帯電話を手に取った。

 

プルルルル…

プルルルル…

 

呼び出し音が響く。

『けじめ』。

私なりの『けじめ』ってなんだろう?

そしてその『けじめ』は、いつつけられるんだろう。

 

 

「…もしもし?」

 

コバくんの憔悴した声が聞こえる。

 

「もしもし?私。ゆきえ。」

 

「…うん。…どない?」

 

元気がまるでない。

昨日から今日にかけて、コバくんがどれだけ気を張っていたのかがわかる。

 

「…うん。生きてるよ。」

 

「…うん。…よかった。ほんまによかった…」

 

泣いている。

電話の向こうでコバくんが泣いている。

 

「…ありがとう。無事に終わったよ。」

 

「…うん。…で…どないなん?」

 

「…今からそっちに帰るな。それから話そう。」

 

「うぅ…うん…待ってる。待ってるで。うぅ…とりあえず…無事でよかった…」

 

「…うん。ありがとう。まだ町田やから、何時にそっち着くわからんけど。待っとってくれる?」

 

「うぅ…うん。ゆっくりでええよ…俺、ずっと待ってるから…よかった…よかった…」

 

「うん…じゃあ…あとで。」

 

「うん…気ぃつけてな…」

 

 

電話を切り、溜息をつく。

 

「…重いな…」

 

頭も身体も重い。

そしてコバくんの想いも重い。

これからのことを考えると、とても重い。

 

「はぁ~…」

 

バタンともう一度ベッドに倒れこむ。

このままギリギリの時間まで身体を休めよう。

これから私は『重い』時間を過ごしに向かうんだから。

 

私はもう一度右手をおでこの上に乗せ、軽く目をつぶった。

これから私は何をコバくんに話すだろう。

コバくんは私に何を語るだろう。

 

私はこれからどうなっていくんだろう。

 

 

 

つづく。

 

 

 

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