私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

私の自叙伝です。雄琴ソープ嬢だった過去をできるだけ赤裸々に書いてます。

204

 

私はドキドキしながらコバくんに話し始めた。

ゆっくりと、言葉を選びながら。

 

「私な、こうやって今生きてるのが不思議なんよ。どっかで殺されるのを望んでたんや。やりきったらいなくなれるって思ってたから。もちろん怖かったで。殺されるのは怖かったんやで。でもな、どこかで期待してた。…でもな…今生きてんねん…。」

 

「…うん…俺は生きててよかった思うてるで。でもゆきえは辛いんやな…。」

 

「辛いいうか…うん…そうやなぁ。そやから“これから”のことがなかなか考えられへんくてな。」

 

「うん…そうやんな…そうやな…」

 

「でも帰りの新幹線で一生懸命考えたんや。生きかなあかんしな。」

 

「うん…そうか。…それで…?」

 

「うん。…あんな、今までやってみたかったけどやらなかったことをとりあえずやってみようと思ってる。」

 

せっかく生かされたこの身体。

生きてることがめっけもん。

私はこの身体を使って、『私』を使って実験を試みようと決めていた。

やりたかった仕事をやってみよう。

やりたかった勉強をやってみよう。

そこで私は何を思い、何を知るのか。

そして私の『人生』ってやつがどうやって転がっていくのかを見てみよう。

 

「…そうか。そうなんや。うん。それで?やりたかったことってなんなん?」

 

コバくんはちょっとだけ笑顔になって私の方を向いた。

 

「うん。まずはバーテンダーをやってみたい。お酒の勉強したいんや。どこでどんな風にっていうのはわからへんけどな。」

 

「へぇ。そうか。ゆきえはお酒が好きやからなぁ。」

 

「うん。お酒のこと、全部知りたい。それで、どんなバーテンダーがいいバーテンダーなのかを知りたいんや。」

 

そして私にはバーテンダーという仕事が務まるのかが知りたい。

全く通用しないのかそれとも通用するのか。

バーテンダーにとって何が重要で、何を求められてるのかが知りたい。

 

「…うん。…いいやん。俺、応援する。」

 

「…ありがとう。でな、自分のルールを決めたんや。」

 

「え…?ルール?」

 

「うん。あんな、25歳まではありとあらゆる仕事をしてみようと思ってるんや。あと3年ちょっとやけど。理想としては25歳までに『これ!』っていう仕事に巡り合いたい。そやからそれまではやりたい!と思った仕事は片っ端からやってみようと思う。

もちろんバーテンダーだけになるかもやけどな。それに…その途中でお兄さんのところに戻るっていう選択が出てくるかもやけどな…。」

 

「うん…」

 

「それでな、ただそれだけやったらあかんと思って、重要なルールを作ったんや。」

 

「…え?なになに?」

 

「うん。どの仕事をしても『辞めないでくれ』って懇願されるくらいの実績を作ってからじゃないと辞めちゃだめっていうルール。」

 

「へぇ…。すごい…。」

 

コバくんが笑いながらそう言った。

そしてこう付け加えた。

 

「ゆきえらしいなぁ…。」

 

 

私らしい…?

そうなのかな。

 

「だってそうじゃなきゃその仕事の醍醐味みたいなものや、その仕事の真髄みたいなものを垣間見れないやんなぁ。…ちがうかな?」

 

「いや…ほんまにそう思うで。うん…いいと思う。」

 

「…ありがとう…」

 

 

「…それで…」

 

コバくんが聞きたいことはこれから話すことの方だ。

そんなことはわかってる。

 

「うん…それでな…」

 

「うん…」

 

 

「…コバくんとはもう一緒に暮らせない。」

 

意を決して言った。

心臓がバクバクしている。

 

「…なんで…?」

 

コバくんが真剣な顔で私に聞く。

 

「…私な、誰かが一緒やとやりたいことをトーンダウンしてしまうんや。それにゴハンののこととかお弁当のこととかやらないと気になってしまうし、でもそれで疲れたりしてしまうしな。あとは…これからは一人でやっていきたいんや。だから…。」

 

「嫌や。」

 

コバくんが間髪入れずにきっぱりと嫌だと言った。

 

「なんで一人でやりたいんや?俺応援するって言うたやん。ゴハンもお弁当もいらん。そりゃあったら嬉しいけどそんなんいい。ゆきえがトーンダウンしないように気ぃつける。俺、ゆきえのそばで応援したいし一緒に生きていきたい。それはぜったい譲れん。

もし途中でK氏の元に戻る言うても俺は全力で反対する。でも今は違うんやろ?K氏のところには行かへんのやろ?だったらええやんか。俺はゆきえのそばから離れたない。邪魔しない。応援だけする。一緒におろう。」

 

 

コバくんが強く自分の意見を主張した。

私のそばにいたいと。

私の邪魔はしないと。

 

「…う…ん…ありがとう…でもな…」

 

私が一人になりたかったのには訳がある。

コバくんが一緒に暮らしていることで気が休まらないのだ。

食べ吐きを隠し通さなきゃならないことも苦痛だし、掃除や洗濯やゴハンの仕度やお弁当作りが正直しんどくなっていた。

今さらやりたくないとも言えないし、一緒に暮らし続けたらこれが続いていく気がする。

一人の自由な時間と空間が欲しい。

何をするにしても、何を決断するにしても、コバくんに報告しなきゃならないことが嫌でたまらなかった。

 

「…ごめん…私は一人で暮らしたい。私は私の人生を自分で決めていきたい。何かを決める時、コバくんに報告しなきゃいけないと思うのが苦痛なんや。」

 

言ってしまった。

苦痛だと。

 

「…なんで?なんでなん?一人くらい応援したい奴がそばにおってもええやろ?……じゃあわかった。俺は一緒に暮らさない。でも別れへん。一緒に生活しなきゃええやん。な?たまにゆきえの部屋に泊まらせてくれたら嬉しいけど。それでええやん。違う?」

 

「…え…?」

 

一緒には暮らさないけど別れない。

離れない。

そうコバくんは言った。

 

『一人ぐらい応援したい奴がそばにおってもええやん。』

 

確かにそうかもしれない。

でもそこにはやっぱり“重さ”が伴っていた。

 

どうしよう。

別れたいのか別れたくないのか。

私はただ“一緒に暮らす”ということから解放されたかっただけなのか。

 

「…う…ん…コバくん…ありがとう。」

 

返事をしかねてお礼を言う。

ほんとにありがたいと思っている。

 

「ありがとうはいらんねん。俺はゆきえと離れとうないねん。何があかん?俺が言ってること、何があかん?」

 

食い下がるコバくん。

こんなことは珍しい。

この人は本気だ。

 

「俺、部屋探すわ。もうここも出なきゃあかんやろ?バーテンダーやるにしても滋賀県ではあかんやろ?俺、ゆきえの新しい部屋探すわ。ええやろ?もちろん勝手には決めへん。ゆきえの意見を尊重する。でも探してもええやろ?」

 

「…え?」

 

「俺は一緒には暮らさへん。ゆきえが嫌がるなら。でも俺がゆきえの新しい部屋探す。応援するって言うのは本気やから。な?それでええやろ?」

 

「…え…?…うん…それでええの?…コバくんはそれでええの?」

 

「俺はそれがええの!ほんまは一緒に暮らしたいで。ずっとゆきえのそばにおりたいもん。でもゆきえがそれじゃ自分の人生思いっきり生きられへん言うならガマンする。俺は応援したいんやから。」

 

 

コバくんの決意は固いものだった。

私はこの関西地区の事はなにもわからない。

どこから手をつけたらいいかわからないのが本音だった。

 

 

コバくんがそこまで言うなら任せてみてもいいかもしれない。

 

 

私は自分のことをズルい奴だと罵倒しながらもそう思い始めていた。

 

「…じゃあ…お願いしてもいいかな?コバくんがそれでいいって言うなら…。」

 

罪悪感に苛まれながら私はコバくんにそう言った。

 

「うん!いいねん!俺、それがいいねん!で、たまにゆきえの部屋に泊めてな。そうやなきゃ淋しいから。な?」

 

コバくんはいつもの子犬のような笑顔で私に笑いかけた。

 

「…うん…ありがとう。…ほんまにありがとう…。」

 

「ありがとういらん。俺がありがとうや。俺、ゆきえと別れへんから。そばにおりたいから。な?応援させてや。」

 

泣けた。

コバくんの言葉に。

そして私の狡さに。

 

 

 

コバくんは次の日から早速仕事の合間に新しい部屋探しを始めた。

部屋の間取り図を数枚持ち帰ってきて、嬉しそうに私に見せる。

 

「俺はここが一番ええと思うんや。ゆきえはどない?」

 

阪急塚口駅から徒歩2分。

1DKの部屋。

家賃は7万円。

塚口駅はコバくんの職場のある駅だ。

 

「ここやったら仕事帰りにもゆきえのところ寄れるし、俺はここにゆきえがおったら嬉しいな。」

 

コバくんは塚口駅付近で部屋を探していた。

 

「ここやったらキタにもすぐ出られるし、ミナミも楽に行けるで。」

 

阪急塚口兵庫県だけど、電車ですぐ大阪のキタやミナミにも出られる場所だった。

 

バーテンダーやるにしてもやりやすいんやないかなぁ。」

 

コバくんはどうしてもその部屋に住んでほしそうだった。

 

「一回見に行かへん?」

 

コバくんがにこにこしながら私を誘う。

 

「うん…そうやね。」

 

「じゃ明日来て。俺、昼休みに行くから。」

 

「え?明日?」

 

「うん。明日。12時に塚口に来てな。不動産屋に連絡入れるわ。」

 

 「あ…うん…」

 

コバくんはすぐに不動産屋に連絡をいれた。

 

「あ、はい。今日伺ったものです。明日見に行きたいんですけどいいですか?はい。12時ちょっと過ぎに行きますんで。あ、はい。現地に行きます。あ、はい。そうです。じゃ。よろしくお願いします。」

 

目の前でどんどん何かが動いている。

私は何もしていないのに。

 

「明日大丈夫やって。そやから明日来てな。塚口の行き方は…」

 

コバくんが電車の乗り継ぎの説明を始めた。

私はただメモをとり、「うん。うん。」と聞いていた。

 

流れて行く。

流されている。

 

私の人生がまた動き始めているのを感じていた。

 

 

 

つづく。

 

 

 

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205 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

 

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はじめに。 - 私のコト

203

 

なんとか11時のチェックアウトを済ませ、酷い二日酔いの身体を引きずるように新幹線に乗った。

 

「…はぁ~…」

 

吐き気と頭痛。そしてひどい怠さが抜けない。

私はコバくんのこととこれからのことを、そのひどい状態で考えようとしていた。

 

どうしよう。

私はどうしたいんだろう。

 

朦朧とした頭で必死に考える。

 

コバくんもK氏も『待ってる』と言った。

私のやりたいようにやれと言った。

 

私のやりたいように…?

私の…?

やりたいように…?

 

目を瞑り、じっと考える。

 

私のやりたいようにやるってなんだろう?

なんだろう…?

 

 

しばらく考えていると、おぼろげながら考えがまとまってきた。

 

私は一度死んだ人間だ。

『死』を覚悟した女だ。

今何故か生きているのは『たまたま』であり、そして『幸運』なのかもしれない。

雄琴ソープランドという『世間の端っこ』のような場所に行ったのに、ひどい目にも合わず、なんなら優しくされまくった。

そして無事に目標を達成できたことも『奇跡』のようなことなのかもしれない。

 

私は何故か生かされた。

運だめしのような気持ちで雄琴まできた私が今生かされている。

私は強運なのかもしれない。

 

 

「うん…そうだな…」

 

私の中にポッと小さい一つの光を見つけた。

どうやって生きて行くか、ほんの少しの答えが見えた気がした。

 

目を瞑りながら何度も頷く。

 

「うん…うん…」

 

自分との対話が続く。

 

これをコバくんに言おう。

ちゃんと言えるかはわからないけど、私は私の言葉で一生懸命コバくんに伝えよう。

私の言葉を聞いてコバくんがどうするかはわからない。

私は私が見つけた『やりたいようにやる』を言うだけだ。

 

何度も自分の気持ちを確認する。

どうしたい?

これでいい?

どうやって生きていきたい?

 

そして私は「うん…そうだね…うん…」と自分の気持ちに答えていく。

 

 

だんだんと二日酔いも治まってきたころ、私は比叡山坂本駅に降り立っていた。

 

「…ふうーー…」

 

空気が綺麗だ。

そして田舎だ。

故郷でもなんでもないここに降り立ち、ホッとしている自分が不思議だった。

 

初めて比叡山坂本駅に降り立った時のことを思い出す。

所持金がほとんどなく不安でいっぱいだった。

ここが何県かもわからなかった。

知らない車に乗せられて、どこに連れて行かれるかもわからなかったあの日。

必死だった。

めちゃくちゃだったけど必死だった。

 

そして今。

やっぱり私は必死だ。

 

せっかくめちゃくちゃなことをしたんだから、そしてせっかく生かされたんだから、このまま必死に生きてみよう。

『私』を実験していこう。

 

ひどい摂食障害は治る気配がない。

私は私が大嫌いなのも変わらない。

ほんとは消えてしまいたいくらい辛い。

でも消えることはできない。

 

だったら実験してみよう。

私には未来なんて元々なかったんだから。

 

 

コバくんが待つ部屋に向かう。

ドキドキしている。

これからどんな会話が繰り広げられるのかわからないから。

コバくんの口からどんな言葉が飛び出すかわからないから。

ちゃんと聞こう。

『待つ身』のほうがしんどかったと思うから。

 

 

ピンポーン

 

 

ドアのチャイムを鳴らし、コバくんが開けてくれるのを待つ。

 

「はーい。」

 

ガチャ

 

ドアが小さく開き、目を真っ赤にしているコバくんが顔を出す。

 

「おう。おかえり。」

 

引きつった笑顔。

頑張って笑っているのが痛々しい。

 

「うん。ただいま。」

 

私もつられて痛々しい笑顔を向けてしまう。

 

「疲れた?」

 

「ううん。ひどい二日酔いやけどな。」

 

「そうか。…ゆきえ。おかえり。」

 

「うん。ただいま。」

 

「うん。…よぉ帰ってきたな。…ぎゅってしてええか?」

 

「…うん。ええよ。」

 

コバくんは私の身体をぎゅっと抱きしめた。

 

「…おかえり…おかえり…俺…待っとってんやで…辛かったけどちゃんと待っとったんやで…うぅ…よかった…顔見たら泣けてきた…うぅ…うぅー…」

 

コバくんは強く私を抱きしめて泣いた。

 

「うん…うん…待っとってくれてありがとう…辛かったやろ?よぉ待っとったなぁ…」

 

私はコバくんの頭を撫でた。

子どもをあやすような気持ちで。

 

「…話し、聞かせてくれる?…怖いけど…俺、聞くわ…」

 

コバくんは私を抱きしめながら小さな声で呟いた。

 

「うん…話すわ。ちゃんと話そう。」

 

私たちはリビングに行きソファーに腰かけた。

 

空気が重い。

俯いているコバくんの姿が辛い。

 

傷つきたくないし傷つけたくない。

でもそんなことはこれから先もありえないことなのかもしれない。

 

「…で…どうやったん?」

 

コバくんが重い口を開いた。

 

「うん…お金を受け取ってもらってちゃんと謝ることができたよ。やりたかったことはやり遂げられた。ちゃんと目標は達成できたよ。」

 

「…そうか…おめでとう。よかったな。うん…」

 

コバくんが淋しそうな笑顔で私に言った。

 

「うん。よかった。ありがとう。」

 

「…で?それで?」

 

「…うん。殺さないって。私のことは殺さないって。それで…戻って来いって言われたんや。」

 

「…うん…それで?それでゆきえはどう答えたん?」

 

コバくんは下を向きながら涙を流していた。

ボロボロと涙がコバくんの履いているジーパンに滴り落ちていた。

 

「…わからんって答えた…戻るか今はわからんって…殺されるって本気で思ってたから…殺されてもいいって本気で思ってたから…急に『これから』のこと聞かれてもわからんって答えたんや…」

 

「そしたら?K氏はなんて言ったん?」

 

「待つって…いつまでも待つって言うた。」

 

「それで?それでゆきえはどう思ったん?」

 

泣きながら聞くコバくん。

私の顔を見ようとしない。

 

「…どう…って…うん…正直嬉しかったし本気で迷った。今も少し迷ってる。でも…今すぐ戻る気は…ないで。」

 

その時コバくんがキッとこっちを向いた。

 

「やっぱり。やっぱりK氏のことがまだ好きなんやな。やっぱり迷ってるんやな。…なんやねん…なんでやねん…」

 

うなだれるコバくん。

「ごめん…」と謝る私。

 

「これ…読んで。ゆきえがいない間、どうしようもなくて書いてたんや。自分の気持ち書いておきたくて。読んで見て。」

 

コバくんはぶっきらぼうに一冊のノートを私に手渡した。

ドラえもんのノートだったのが少し笑えたけど、真剣に受け取った。

 

「読んで…いいの?」

 

「うん…読んで。」

 

コバくんから受け取ったノートには6ページほどに渡っていろんな言葉が綴られていた。

 

PM7時

今頃ゆきえはK氏に会ってるのだろうか。

無事でいてくれ。

俺と別れるという決断を持って帰ってきたとしてもいいから無事でいてほしい。

この世からゆきえがいなくなるなんて絶対に嫌だ。

たとえ俺と離れたとしても。

 

PM10時

さっき書いたことは取り消したい。

やっぱり嫌だよ。

ゆきえと別れるなんて嫌だ。

ゆきえがいなくなるのはもちろん嫌だし、無事でいて欲しい。

そして…やっぱり一緒にいたいよ。

ゆきえが無事でそしてもし別れたいと言ってきたら全力で阻止したい。

俺はわがままだ。

 

PM11時

ゆきえから連絡がない。

無事なんだろうか。

心配だ。

泣けてきた。

こんなに好きなんだと改めて気付く。

辛いよ。

 

 

こんな言葉たちがたくさんたくさん並んでいる。

私は一言一句漏らさないように丁寧に読んだ。

コバくんの心の叫びのような気がして。

これをちゃんと読むのが礼儀のような気がして。

 

コバくんの言葉を真剣に読み進めて行き、私はある文章にピタリと目を止めた。

 

AM9時45分

ゆきえから連絡があった。

無事だった。よかった。

でも怖い。

ゆきえの決断を聞くのが怖い。

俺はゆきえが決めたことを受け入れられるのだろうか。

ゆきえにとって俺は『ただなんとなく隣にいる人』なのかもしれない。

それでもいい。

俺にとってゆきえは絶対に離したくない女なんだとつくづく感じる。

もし別れることを決断していたら受け入れる自信がないよ。

全力でその決断を止めさせたくなるかもしれない。

 

 

 

ゆきえにとって俺は『ただなんとなく隣にいる人』なのかもしれない。

 

 

その一文に目が止まる。

 

ボロボロと涙が流れる。

まったくその通りすぎて切なかった。

それでも離れたくないというコバくんが切なかった。

そしてまったくその通りだと感じている自分が辛かった。

 

 

「…俺…まとまってないんや。どうしたらいいかわかれへん。ゆきえがどうしたいのか聞きたいけど、それを反対してしまうかもしれん。受け入れられへんかもしれん。…どうしたらいいかわからへんのや…ごめん…」

 

なんで謝るんだろう。

この人はなんで謝るんだろう。

 

「…これ…もらってもいい?このノート、もらってもいい?」

 

泣きながらコバくんに聞いた。

この言葉たちは私の手元に置いておきたい。

そう思ったから。

 

「え…うん…恥ずかしいけどな…でもええよ。ゆきえになら恥ずかしいところも全部明け渡したいから。」

 

この人は誠実だ。

そして優しい。

いい人すぎる。

 

 

「それでね…私が決めたことなんだけど…聞いてくれる?」

 

誠実ないい人には誠実に答えよう。

ちゃんと話そう。

 

私は正座をしてコバくんに話し始めた。

私の決めた“これから”のことを。

 

 

 

つづく。

 

 

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202

 

K氏と私はかなりのお酒を飲んだ。

レモンサワーから始まったこの店での宴は、そのうちに焼酎のロックに変わり、そして最後にはテキーラのショットをガンガン飲み合う時間に変わっていった。

 

「ゆきえ!もっとグイッといけよ!いけー!」

 

「はい!いきます!!」

 

「ぶははははー!おまえは酒が強いなぁー!サルート!」

 

「あっははははは!飲みますよぉー!お兄さんと飲むのは久しぶりですからねぇー!」

 

 

ふらふらになるまで飲んだ。

私は私がやり遂げたかったことをやり遂げた嬉しさを味わい、そして戸惑いを味わっていた。

テキーラを何杯も飲み、思い出話をたくさんしながらいつの間にか「あははは!」と笑っていた。

 

「で?おまえはいつ戻って来るんだ?おい?」

 

K氏はふざけながらも話しの合間に何度も聞いてくる。

 

「いやぁ~。あははは。」

 

何度も笑ってごまかす私。

酔っぱらってはいるけれど、頭ははっきりとしている。

笑いながらもちゃんと戸惑いや葛藤を感じていた。

 

何度目かの「で?おまえはいつこっちに戻って来るんだ?」の質問を受けた私はとうとうこんなことを口にしていた。

 

 

「私はぁ、今日までこの日のことしか考えてなかったんですよぉ!今日で死んじゃうと思って生きてきたんですよぉ!なのでね、えと、あの、…わかんないんですよー!もーー!」

 

酔いがかなり回っていた。

もうやけくそだった。

笑ってごまかすのに限界を感じていた。

 

わからないよ。

今の私にはわからないよ。

今日のことしか考えてこなかったんだから。

 

 

「お?…そうか。うん…そうだな。そうかそうか。」

 

K氏が珍しく酔っぱらった顔をして「うんうん」と頷いていた。

 

「だからー!もうちょっと待ってくださいよー!ね?お兄さん!私が逃げ出したのが悪いんですよ!それはわかってます!たくさん迷惑もかけました!すっごくわかってます!だからー!だからー!殺される覚悟で生きてたんやないですかぁー!でもね、お兄さんが生かしたんですよ!なんでか生かされたんですよ!もうね、びっくりですよ!

どうしたらいいんですか?私。人生ってなんですか?生きるってなんなんですか?

知ってます?お兄さん知ってますか?知ってたら教えてくださいよー。もー。」

 

酔っていた。

酔っていたけど自分が何を言っているのかはわかっていた。

わかっていながら口が止まらなかった。

 

「ははは。…わかったよ。わかった。おまえの言いたいことはわかったよ。…『生きる』って切ないよなぁ。うん。」

 

笑いながらK氏は私の方を見た。

 

「向こうで待ってる人がいるんですよー!私が殺されるかもしれないけど待つって言って待っててくれる人がいるんですよー!もうね…どうしたらいいかわからないですよ。私、どうしたらいいんですかね?わかららないっすよ。」

 

気付いたら泣いていた。

コバくんのことはK氏には言わないつもりでいたのに言ってしまった。

 

「…ゆきえはその待ってる奴のことが好きなのか?」

 

K氏が真剣な顔で私に聞いた。

 

「え?…好き…?…わかりません。待たなくていいって言ったんですよ。でも待つって…。私、今生きてるし、向こうが待ってるならけじめはつけなくちゃですよね。それもどうしたらいいかわからないんです。」

 

『けじめ』という言葉をなんとなくつかってしまった。

その『けじめ』のつけかたなんてしらないし、『けじめ』がなんなのかも知らないくせに。

そんな自分に辟易する。

かっこつけやがって!と自分を心の中で罵倒していた。

 

「…そうか。…わかった。」

 

K氏は私の心の中の罵倒にまったく気づかず、納得している様子できっぱりと「わかった。」と言った。

 

「おまえなりのけじめをつけて来いよ。おまえなりの答えを見つけて来いよ。…俺は待ってる。おまえが戻って来るのを待ってるよ。すぐじゃなくていい。でも俺は待ってるぞ。それは俺が決めたことだ。おまえがなんと言おうと俺は待つと決めたんだ。だからおまえはおまえなりの答えを見つけろよ。な?」

 

K氏は腕を組みながら大きな声で私に言った。

私はハラハラと涙を流しながらK氏の言葉を聞いた。

 

「…はい。ありがとうございます。…はい。…そうします。」

 

「まだ飲めるだろ?飲めよ!」

 

K氏は明るい声で私に酒を勧めた。

私は「はい!」と返事をして「テキーラもう一杯ください!」と店主さんにお願いをした。

 

「もう一回乾杯しようぜ!サルートー!」

 

K氏はショットグラスを上に掲げ、私と腕を絡ませた。

腕を一回絡ませてからお酒を飲むのがK氏は好きだ。

これもK氏の演出なんだとわかっているけれど、酔っている時にこれをやられるのはなかなか嬉しかったり楽しかったりする。

 

「おまえの門出だな。おまえの新たな人生が始まるんだろ?大人になれよ。ますますいい女になれよな。まぁ俺のそばにいればなれるんだけどな。はははは。」

 

K氏はそう言いながら綺麗なZippoのライターを取り出し、私に見せた。

 

「こうやってこのライターを見るだろ?どんな形に見える?」

 

「え?長方形です。四角いです。」

 

カタンとカウンターの上に乗せられたZippoが綺麗に光っている。

 

「じゃあこの角度から見たら?」

 

K氏はZippoを持ち上げ、斜めから見せる。

 

「さっきとは違う形です。これは…どんな形っていうんだろうなぁ…」

 

「じゃあこれは?」

 

K氏はまた違う角度からZippoを私に見せる。

 

「さっきとは大きさも細さも違う長方形です。」

 

「うん。そうだな。…そういうことだよ。」

 

カタンと音を立ててZippoをカウンターに置くK氏。

 

「…え?」

 

「同じZippoでも見る角度で全く違うように見えるだろ?そういうもんだよ。世の中っていうのはそういうもんなんだよ。いろんな視点を持てよ。同じ物事をいろんな視点で見られるような女になれよ。それがいい女ってもんだ。なぁ。」

 

K氏はニヤリと笑いながら言った。

 

「…ほんとにそうですね。…まだ私にはよくわからない部分があると思いますけど、その言葉、ずっと覚えておきます。そういう女になりたいです。」

 

「おう。待ってるぞ。な?」

 

 

K氏と私はその後もかなりのお酒を飲んだ。

「わははは」と笑いながら、いろんな話しをした。

K氏の話しは面白く、改めて彼の知識量に驚かされた。

 

「さ!そろそろ帰るか!ホテルまで送るぞ。」

 

私はかなり酔っていて足元がフラフラになっていた。

 

「あい…おねがいしまぁふ!」

 

K氏は私を抱え、町田の街を歩いてホテルの部屋まで送り届けてくれた。

 

「おい!大丈夫か?!ここにお水置いておくからな!おい?!帰るぞ!」

 

遠くでK氏の声が聞こえる。

 

「え…?あい!ありがとうございましたぁ…」

 

朦朧とした意識の中、私はお礼を言った。

気付くと私はホテルのベッドの上だった。

 

「じゃあな。またな。」

 

K氏が私の唇に自分の唇を合わせた。

 

「ん…ふふふ…おやすみなさぁい…」

 

酔っていた私はK氏とキスをしたことを笑っていた。

 

「…おまえ…しょーがねぇなぁ…またな。」

 

K氏の声がますます遠くで聞こえた。

バタンとドアの閉まる音がかすかに聞こえる。

 

「ふふ…ふぅ~…」

 

私の酔いは酷く、気づくと眠りに落ちていた。

 

 

 

ピピピピピピ…

 

ベッドの横にある目覚ましアラームの音が響く。

 

「ん…んー…」

 

アラームの音に目を覚ますと朝だった。

 

「え…?あれ…?」

 

昨日の帰り道をまったく覚えていない。

どうやってここまで来たのかわからない。

 

「え…?え…?」

 

ベッドの中の自分の身体を確認すると、ブラジャーとパンツだけになっている。

 

「え?あれ?」

 

K氏が帰っていった時の様子をおぼろげながら思い出す。

 

「え…と…あれ…どうしたんだっけ…」

 

きょろきょろとベッドの周りを見回すと、ベッドサイドにお水とメモが置いてある。

 

「え…?」

 

メモを手に取り、しょぼしょぼする目をこらす。

 

『苦しそうだったから服脱がせておいたぞ。何にもしてないからな!楽しかった!愛しているぞ!またな。』

 

 

K氏の懐かしい文字で殴り書きしてあるメモ。

私はそれを見て「ふふ」と笑った。

 

お水を飲み、ひどい頭の痛みに気付く。

 

「っつ…あー…飲み過ぎたなぁ…」

 

ひどい二日酔いだ。

身体が動かない。

ぐるぐると回る天井を見つめながら昨日のことを思いだす。

 

右手をおでこの上にのせ、軽く目をつぶる。

 

終ったんだ。

やり遂げたんだ。

ちゃんと謝罪をして、700万円を渡せたんだ。

 

「うん…よかった…よかったな…」

 

目をつぶりながら1人呟く。

 

「…さあ…今後のことを考えなきゃな…」

 

終ったと思ったらもう始まっている。

コバくんのこと、これからのこと、諸々のことを片付けていかなければ。

 

時計を見ると午前9時半過ぎ。

チェックアウトは11時だと言っていた。

なんとか動き出さなければ。

生きていかなければいけないんだから。

 

「…よし…」

 

ドロドロに動かない身体をなんとか起こし、携帯電話を手に取った。

 

プルルルル…

プルルルル…

 

呼び出し音が響く。

『けじめ』。

私なりの『けじめ』ってなんだろう?

そしてその『けじめ』は、いつつけられるんだろう。

 

 

「…もしもし?」

 

コバくんの憔悴した声が聞こえる。

 

「もしもし?私。ゆきえ。」

 

「…うん。…どない?」

 

元気がまるでない。

昨日から今日にかけて、コバくんがどれだけ気を張っていたのかがわかる。

 

「…うん。生きてるよ。」

 

「…うん。…よかった。ほんまによかった…」

 

泣いている。

電話の向こうでコバくんが泣いている。

 

「…ありがとう。無事に終わったよ。」

 

「…うん。…で…どないなん?」

 

「…今からそっちに帰るな。それから話そう。」

 

「うぅ…うん…待ってる。待ってるで。うぅ…とりあえず…無事でよかった…」

 

「…うん。ありがとう。まだ町田やから、何時にそっち着くわからんけど。待っとってくれる?」

 

「うぅ…うん。ゆっくりでええよ…俺、ずっと待ってるから…よかった…よかった…」

 

「うん…じゃあ…あとで。」

 

「うん…気ぃつけてな…」

 

 

電話を切り、溜息をつく。

 

「…重いな…」

 

頭も身体も重い。

そしてコバくんの想いも重い。

これからのことを考えると、とても重い。

 

「はぁ~…」

 

バタンともう一度ベッドに倒れこむ。

このままギリギリの時間まで身体を休めよう。

これから私は『重い』時間を過ごしに向かうんだから。

 

私はもう一度右手をおでこの上に乗せ、軽く目をつぶった。

これから私は何をコバくんに話すだろう。

コバくんは私に何を語るだろう。

 

私はこれからどうなっていくんだろう。

 

 

 

つづく。

 

 

 

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はじめに。 - 私のコト

 

 

201

 

ぐちゃぐちゃになっていた顔をなんとか綺麗に直し(泣いた後だと一目でわかるような顔だけど)、戸惑っている気持ちをなんとか奥にしまいこむ。

壁に取り付けられている姿見に全身を映し、“自分”を整える。

 

「…はぁ!」

 

一つ大きく息を吐き、背筋を伸ばす。

こういう時高いヒールは役に立つ。

どうしたってスッと立たなければならないから。

 

私はK氏への返事が決められないまま、高いヒールを鳴らして下のラウンジに向う。

とにかく私は今後も生きていかなければならないらしい。

どうやって?

どうやって生きていけばいいんだろう?

 

ホテルのラウンジはこじんまりとしたスペースで、薄暗い照明が大人の雰囲気を醸し出していた。

もうバータイムになっているらしく、ラウンジ入口正面にあるカウンター内には黒いベストに蝶ネクタイを着けた、美しく格好良い女性バーテンダーが立っていた。

K氏はカウンターの一番端の席に座り、横の壁に背を少しつけている。

K氏はどこのバーに行っても一番端に座り、必ず壁に背をくっつけて座る。

いつ誰が襲ってくるかわからない過去を持ち、未だにそんな世界に足をつっこんでいることをこの座り方が物語っていた。

 

「おう。早かったな。」

 

K氏はカウンターの端の席から私に向かって手を挙げてそう言った。

 

「あ、すいません。お待たせしました。」

 

私はペコっと頭を下げて、K氏の隣の席に座った。

 

「…うん。…泣いた後だってすぐわかる顔だな。ははは。」

 

K氏は私の顔を横からジッと見て笑った。

 

「あはは…そうですよねぇ。恥ずかしいです。」

 

私は少し下を向いて手で顔を隠した。

 

「ははは。…いや…綺麗だよ。」

 

K氏は私の手をどけて顔をチラッと見ながらカウンターに肘をつく。

 

「何飲む?お前は酒が強いからなぁ。」

 

優しい笑顔。

私は一気に自分が『いい女』になったような錯覚を起こす。

何度この感じにやられてきただろう。

 

薄暗いバーのカウンター。

心地よく流れるジャズ。

ロックグラスの氷の音がカランと小さく響く。

 

大人の世界。

私が憧れてやまなかった世界。

 

「お兄さんは何を飲んでいるんですか?」

 

「ん?俺はマッカランのロックだよ。」

 

「そうですか。じゃあ…私は…ジャックダニエルのロックでお願いします。」

 

「ほう。そうか。そうきたか。ははは。」

 

ジャックダニエルはK氏と一緒によく飲んでいたお酒。

ジャックダニエルはバーボンではないんだぞ。よく間違える奴がいるんだけどな。とK氏が教えてくれた。

 

「あの映画はよかったなー!ゆきえ、覚えてるか?」

 

K氏はジャックダニエルが出てくる大好きな映画の話しをし始めた。

一緒に映画を観て、一緒にジャックダニエルを飲んだ思い出。

 

「覚えてますよ。私もあれからもう一度観ましたもん。カッコイイですよねぇ。」

 

「あれはたまらないよなぁ!」

 

「あ、じゃあ…頂きます。」

 

私は目の前に差し出されたグラスを持ち上げ、K氏の方に向けた。

 

「おう。サルートー!!」

 

「あはは。サルート!」

 

K氏は乾杯の時、必ず「サルート!」と言う。

とても、とても懐かしく感じる。

 

「ゆきえはいくつになったんだっけ?」

 

ロックグラスにちびりと口をつけた後、K氏は私に聞いた。

 

「22になりました。」

 

「ほう。22でジャックダニエルのロックをバーで頼む女は早々いないぞ。はははは。」

 

「え?!そうですか?!お兄さんが仕込んだんじゃないですか!!あははは。」

 

笑っていた。

いつの間にか私は笑っていた。

ヤバい。

K氏のペースに巻き込まれ始めている。

 

「…おまえがいなくなって綾子はかなり落ち込んだんだぞ。少しでも時間ができたらお前を探してた。」

 

K氏はカウンター前のお酒がずらりと並んでいる棚を見ながらそう言った。

 

「あ…そう…なんですねぇ…」

 

私はK氏の横顔をチラッと見てから俯いた。

 

「おまえがいなくなってしばらくしてから代わりを入れようとしたんだよ。綾子と一緒に仕事を回していく新しい子をな。そうしたら綾子が反対したんだ。『ゆきえちゃんじゃなきゃ意味がない』ってすごい勢いでな。」

 

K氏は私の方に顔を向け、グラスを片手に持ちながら「はは」と笑った。

 

「あいつのあの時の勢いはすごかったな。それにお姉さんも同意したんだぞ。」

 

お姉さんとはK氏の奥さんのことだ。

K氏の奥さんは美人で聡明でとても気丈な女性。

仕事も家事も全てをこなせるとうていかなわない人だった。

 

お姉さんと綾子さんはとても仲が良く、2人してとても美しくて聡明だった。

この2人がいつもK氏のそばで仕事もプライベートも回していた。

私はこの2人に可愛がられていたけれど、同時に劣等感もかなり感じていた。

 

「おまえは綾子とお姉さんの2人に守られていた。そして絶大な信頼を寄せられていたんだな。あの2人がここまで言う女はおまえ以外いなかったよ。」

 

マッカランのロックに口をつけながらK氏は笑う。

私はその話しを聞きながら、嬉しさと申し訳なさを味わっている。

 

「あの2人はおまえのことを待ってるぞ。もちろん俺もだけどな。」

 

K氏はカウンターに組んだ腕を乗せ、顔を私の方に向けながら真剣にそう言った。

 

「あ…ありがとうございます。」

 

私は身体をK氏の方に向け、改めて深々と頭を下げた。

こんな卑怯な私にここまで言ってくれるなんて。

そして綾子さんとお姉さんがそんなことまで言ってくれてたなんて。

いたたまれなくてK氏の顔が見れない。

 

「お礼なんかいらないんだよ。俺はおまえの『戻ります』の言葉が聞きたいんだよ。」

 

K氏は私の肩をポンポンと叩きながらまた「はは」と笑った。

 

「まぁ飲もうぜ。これ飲んだらカシを変えようや。まだまだ夜は長い。な?」

 

「は…はい。」

 

私はまた流れて来そうになっている涙をグッと引っ込め、ジャックダニエルを口に含んだ。

 

 

「いい店があるんだよ。おまえもきっと好きだぞ。行こうぜ。」

 

K氏はスマートに支払いを済ませると私を外に連れ出した。

 

「狭い店だけどな、つまみも美味いしいいんだよ。砂肝炒めはぜったい食えよ。美味いから。ははは。」

 

K氏は高級店ではスマートな身のこなしを披露し、大衆的な店ではそこになじむ。

私はK氏のそういうところに惹かれていた。

 

K氏と一緒に町田の街を歩く。

緊張しながらも嬉しい。

 

「おまえはいい女だな。みんな振り返るぞ。ははは。」

 

お世辞だ。

この人はこうやって女をいい気分にさせる天才だ。

それがわかっていながら喜んでいる私はバカだ。

 

「そういう嘘やめてくださいよー。ほんと天才ですよねー。本気の女ったらしだなぁ、お兄さんは。」

 

私はK氏の少し後ろを歩きながら言葉を返した。

 

「お?おまえ、成長したな!はははは。」

 

「え?ここは認めるところじゃないですよね?もう一回くらい言ってくださいよー!あはははは。」

 

「お?そうかそうか。ごめんごめん!あははは。」

 

K氏とのふざけ合いも久しぶりだ。

こういう時間もたくさん過ごした。

怖い時間も酷い時間も辛い時間もこの人からたくさん与えられたけど、こういう楽しい時間もたくさんあったことを思い出す。

みんなが恐れるこの人と、こういうふざけ合うことができる優越感に何度浸っただろうか。

 

 

「ここここ。入れよ。」

 

K氏が連れて行ってくれたお店はこじんまりとしたバーのような居酒屋のような店だった。

コの字型のカウンターだけのお店で、暖色の木の壁にはいろんなチラシやポスターが雑然と貼られていた。

カウンターも暖色の木製で、店全体が雑然としながらも温かい雰囲気に包まれていた。

 

「こんばんわー。ここいい?」

 

K氏が慣れた口調で店主に話しかける。

 

「はい!いつもありがとうございます!いいですよー。」

 

恰幅のいい、人のよさそうな店主がにこやかに対応する。

K氏は迷わずカウンターの一番端、壁際の席を選ぶ。

 

「…まだこの席じゃないとな。ははは。いつ襲われるかわかんねぇんだよ。」

 

K氏はグッと背中を半分壁に押し付けて座る。

片足は床につけたまま。

 

「ずっと背中を見せたまま座るって怖い事ですか?」

 

私はK氏のその姿を見て、なんとなく聞いてみたくなった。

 

「…怖いな。恐ろしくて考えたくもないなぁ。」

 

私を一瞬だけチラッと見て、すぐに遠くを見つめながら答えるK氏。

この人の過去はどんなだったのだろう。

少しだけ胸が締め付けられる。

 

「レモンサワーくれる?ゆきえは?」

 

すぐに明るい口調に変わり店主に注文する。

 

「あ、私も同じもので。」

 

「じゃレモンサワー2つ。あと砂肝ね。あとは…また考えるわ。とりあえずそれでお願いします。」

 

私はにこやかに注文するK氏を見て心が揺れる。

 

この人のそばにいたい。

私はこの人のそばで成長したい。

 

そんなことをチラッと考えてしまっている自分に気付く。

そして立ち止まる。

 

いやいや。

そんなことをしたらまた前のようになるだけだ。

自分を押し殺し、恐怖をあじわう時間がまたやってくるだけだ。

 

「じゃ、サルートー!」

 

K氏が笑顔で私にグラスを向ける。

 

「あはは。サルート。」

 

カチンとグラスを合わせ、グイッとレモンサワーを飲む。

 

「美味いなー!お!砂肝もきたぞ!ゆきえ、食えよ。美味いぞー!」

 

「うわ!美味しそうですねぇー!頂きます。」

 

レモンサワーも美味しかったし砂肝も美味しかった。

そしてK氏の笑顔も淋しそうな顔も真剣な顔も愛しかった。

 

 

「で?戻って来る気になったか?はははは。」

 

会話の途中途中でふざけながら私に聞くK氏。

 

私はその度に「ありがとうございます。」と言い、はぐらかす。

 

戻ろうか。

いや、それはダメだ。

戻ればまたこの人と一緒に過ごせる。

いや、それは破滅への道だ。

戻らなければいけないんじゃないか。

いや、そんなことをしたら私はまた壊れる。

この人は私に戻ってきて欲しいと言っているんだから戻った方がいいんだ。

いや…

戻れば…

いや…

戻ったら私は…

いや…

 

心の中で延々と続く対話。

私は私と対話している。

 

 

「俺はおまえがいる未来しか想像できない。俺が想像する未来にはおまえの姿がいつもいるんだよ。そばにいてくれよ。」

 

K氏は何度もそんな言葉を私に言った。

私はその度に嬉しさを味わい、そして同時に戸惑いを感じた。

 

決められない。

どうしても決められない私がいる。

 

 

 

 

つづく。

 

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202 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

 

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はじめに。 - 私のコト

 

 

 

 

200

 

「おまえなぁ…」

 

K氏は両手で私の頬を挟みながら怖い顔で私を見ている。

 

「は…はい…すいませぇん…」

 

私は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら謝罪を繰り返した。

 

殺るなら早く殺ってくれ!

もう私に思い残すことはないし、このまま生きていたって辛いだけなのだから。

この人に殺されるならそれでいい。

こんな卑怯などうしようもない私なんて生きていたって仕方がないんだから。

 

 

「はぁーーー…!」

 

 

K氏は突然私の頬から手を離し、腰かけている椅子の背もたれにドンともたれかかって溜息をついた。

 

私はぐちゃぐちゃの顔のまま「え…?」と声をあげた。

 

 

「おまえ…なんて奴なんだよ。こんなの受け取れるか?俺はこんなものを返して欲しかったんじゃない!俺はおまえの為だったら1千万だって2千万だって用立てたぞ!それがなんだよ…俺は情けないよ…」

 

K氏はうなだれた様子で私にそう言った。

ほんの少しだけ涙を目に浮かべながら。

 

「俺はおまえをそばに置いて育てたかったんだよ。どんな手を使ってもそばに置いておきたかったんだよ!ただそれだけだったんだぞ!それがなんだよ…これは…」

 

K氏は自分で自分を責めているような口調で話す。

私はその言葉を聞いていたたまれなくなる。

 

「…すいません…ほんとうにすいません…私にはこんなことしかできませんでした…」

 

泣きながら謝るしかできない。

K氏の想いをくみ取れず、修業の日々に耐えることができず、私は逃げ出したのだから。

K氏を裏切ったのだから。

 

「…私はこのお金をどうしてもお返ししたくて、それだけで生きてきました。そして今日殺されてもいいと思ってここに来ました。私にはこれくらいのことしかできません…

なのでどうかそのお金は受け取って下さい!これを受け取ってもらえなかったら…もう…どうしたらいいか…」

 

私は泣きながら訴えた。

絶対受け取ってもらわなければ。

そうじゃなきゃ、私のこの11か月と少しの時間が台無しになる。

せめてそのくらいいいじゃないか。

こんな私の、こんなどうしようもない私のやったことが少しくらい報われてもいいじゃないか。

 

 

「…おまえは大した女だなぁ…」

 

 

K氏は驚くような言葉を吐いた。

私が「大した女」だと。

 

「え…?」

 

涙をボロボロと流しながらK氏を見る。

 

「…俺が見込んだだけのことのある女だよ。」

 

優しい、そして淋しそうな笑顔でK氏が呟いた。

 

「…俺はこれを受け取るぞ。おまえがケツから血を吹き出しながら貯めたこのお金を受け取るぞ。いいか?」

 

K氏は机の上に置いてある小切手を片手に持ち、ひらりと私に向かって掲げた。

 

「…はい。よろしくお願いします。どうか受け取って下さい。」

 

私は頭を下げてK氏に答えた。

 

「…そうか。うん。おまえの想いも受け取るからな。それでいいんだろ?」

 

「はい。ありがとうございます。」

 

私は泣きながらもう一度頭を下げた。

 

「それで…俺はおまえを殺さない。それでいいだろ?」

 

K氏は背もたれに身体を預けながら両手を前に組んだ姿勢で私に言った。

 

「え…?」

 

その言葉に戸惑う。

K氏は私を殺さないと言った。

 

殺さない…?

それは私を生かす…ということ…?

 

私は何も返事ができないでいた。

ここで私の人生が終わるかもしれないと思っていたし、怖いと思いながらもそれを期待していた自分がいたから。

 

「…私を生かすんですか…?」

 

目を見開きK氏に問う。

 

「おう。俺はお前を殺さない。…俺のところに戻って来いよ。また一緒にやろう。な?」

 

優しい笑顔。

優しい口調。

ますます戸惑う私。

 

「…え…?」

 

殺されない。

私は生かされるんだ。

ということは私の人生はこれからも続くんだ。

 

終るとばかり思っていたことが終わらない絶望。

そして“これから”があるという希望。

 

私はそのない交ぜになった感情をどう処理していいかわからなくて戸惑っていた。

 

“これから”があるということは、“これから”のことを選択し続けて行かなければならないということだ。

そして最初の選択がもう目の前にやってきている。

 

 

『俺のところに戻って来いよ。また一緒にやろう。』

 

私はこの言葉に答えることができないでいた。

 

 

「あ…あの…ふぅ!…なんでですか?なんで私を生かすんですか?私はお兄さんを裏切って逃げ出したんですよ。何も言わず、全てを丸投げして逃げ出したんですよ。逃げ出したら殺すって言いましたよね?お兄さんが私を殺すなんて容易いことですよね?

見つからないように画策するなんて容易いことですよね?なんで…」

 

K氏の裏画策ぶりを間近で見てきた私にはわかる。

私のような小娘を1人殺して、なかったことにするなんて容易いことだと。

 

「…まぁな。でも俺はおまえを殺さない。生かすよ。だから俺の元に戻ってこいって!俺はおまえを育てたいんだよ。おまえみたいな女、なかなかいないんだよ。俺のもとにいろよ。な?そうしろって!」

 

 

「…あ………」

 

K氏の元に戻る…

殺されなかったんだから、生かされたんだから、戻らなくてはいけないんだろうか…

 

「…あの…」

 

何か言わなければと口を開いたその時、K氏は私の言葉を遮った。

 

「今答えなくてもいい。よし!これから久しぶりに飲みに行こう。な?おまえと飲むのは久しぶりだな。飲みながらゆっくり話そう。いいだろ?」

 

「…あ…はい。…そうですね。はい。」

 

私はK氏の誘いに頷き、涙を拭いた。

 

「おまえ顔ぐちゃぐちゃだぞ。俺は下のラウンジで先に飲んでるからゆっくり支度してから来い。せっかくのいい女が台無しだぞ。シャワー浴びたなら浴びてきてもいいし、ゆっくり化粧を直したいならそれから来いよ。ゆっくりでいいから。な?一大決心でここに来たんだろ?疲れただろ。ゆっくりな。待ってるからな。」

 

K氏は笑いながら私の背中をポンポンと叩いて、何度も「ゆっくりでいいからな。待ってるからな。」と笑顔で言いながら部屋のドアを開けて出て行った。

 

「はい。ありがとうございます…」

 

お礼を言いながらK氏を見送る。

 

 

バタン

 

 

ドアが閉まる。

シーンと静まり返るホテルの部屋。

ドアの前に立ち尽くす私。

 

今のK氏との時間はなんだったのだろう。

詳細がつかめず呆然とする。

 

 

私は

 

 

生きている。

 

らしい。

 

 

 

「はぁー……」

 

 

しばらく立ち尽くした後、私は床にぺたりと座り込んでしまった。

 

張り詰めていた緊張が解ける。

全身の力がドッと抜ける。

 

お金を受け取ってもらえた。

そして私は生かされた。

 

どうしよう…

生かされてしまった。

 

そして「俺の元に戻ってこい」と言われてしまった。

 

どうしよう…

“これから”があるんだ。

私には“これから”ができてしまったんだ。

 

どうしよう…

どうしょう…

 

床に座り込んだまま、私は「どうしよう…どうしよう…」と呟いていた。

 

正解がわからない。

誰も“私の正解”を知らないんだ。

さっきまで自分の人生が終わると思っていたのに、今私は『これからの自分の人生』を決めていかなくてはならない辛い事実に直面していた。

 

 

下のラウンジでK氏が待っている。

 

 

この後私はどんな時間を過ごし、どんな答えをだしていくんだろうか。

何もわからないまま、私は化粧を直している。

 

 

 

つづく。

 

 

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201 - 私のコト~私のソープ嬢時代の赤裸々自叙伝~

 

 

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