193
「お疲れさまでしたー!お掃除ごめんなさい!」
控室に挨拶をしながら入るとみんなが一斉にこっちを見た。
そしてにこにこ笑いながら「有里ちゃーん!お疲れさまー!」と言ってくれた。
「とうとう終わってしまったなぁー。」
「明日からも来てええんやで。」
「今日送別会でごちそうだけ食べて、明日また普通に『おはようございまーす!』言うて来てもええやんかぁ。あはは。」
「そうですよぉ。明日また来て『辞めるの嘘やったんやぁー』って言いながら来てくださいよぉ!」
「それは怒られるやろぉー!あははは!」
賑やかな控室。
今の女の子たちは驚くほどみんな仲良しだ。
ねねさんも小雪さんも気さくでとても明るい。
ななちゃんは2人が入ってきてくれたお陰でなんだか明るくなった。
理奈さんも小雪さんやねねさんととても仲が良い。
私は最後のメンバーがこの人たちでほんとによかったと思っていた。
「じゃあ早く個室の掃除終えて有里ちゃんの送別会行こー!」
理奈さんがそう言う。
「そうやそうや!はよしよー!」
「そうやったそうやった!」
「じゃちゃっちゃとやっちゃいますよー!」
ねねさんと小雪さんとななちゃんが控室から急いで出て、個室に向かう。
控室には私と理奈さんだけになった。
「有里ちゃん。ほんまお疲れさんやったなぁ。今日忙しかったやろ?疲れてへん?」
理奈さんが相変わらずのニコニコ顔で私に聞く。
「うん。大丈夫。ありがとう。」
私も笑顔で答える。
「終わってしまったなぁ。ほんまに。」
笑い顔のまま、理奈さんが言う。
「なぁ。ほんまに終ってしまったわぁ。」
私も笑ったままで言う。
「あ!そうや。みんなの前で渡すの嫌やから今渡すわ。これ。私からのプレゼント。」
理奈さんは見慣れたヴィトンの大きなバッグから包みを出し、私に差し出した。
「え?!何?!なんで?!」
今日は驚いてばかりだ。
なんでみんなこんなことをするんだろう。
「ほんまにたいしたもんやないで。気持ちやから。な?気持ち!」
理奈さんの笑顔が可愛すぎてジッと見てしまう。
私はこの笑顔が大好きだ。
「えー…なんやそんなこと言われたら受け取るしかないやんかぁ…」
「そうやろ?私の気持ち、受け取ってくれんの?ひどい!あははは。」
「あー…理奈さんからそう言われたらなぁ…ほんまにありがとう。ほんま、申し訳ないわぁ。ありがとう。」
「なんで申し訳ないねん。私もありがとう。あ、まずいわ。泣いてしまうやんか。あーでもあれやんな。辞めたって会えるやろ?な?そやから泣く必要ないやんな?そうやろ?」
理奈さんは泣くのを回避するためにわざと早口でそう言った。
その姿を見て私が泣きそうになる。
「そうやそうや!辞めたってお別れやないから!また会えるからな。泣く必要なんてないわ。なー?あははは。」
私も泣きそうなのを隠して早口そう言いながら笑う。
生きてたらまた会おうね。絶対ね。
「じゃ私たちもはよ掃除しよ。な?」
「そうやった!忘れとったわ!あはは。」
私たちは笑い合いながら個室へと駆け上がり、「じゃ後で!」と言いながら1号室と3号室のドアをそれぞれに開け、バタンと扉を閉めた。
理奈さんは1号室。
私は3号室。
真ん中の2号室を境に、私たちは二手に別れる。
それぞれの個室のドアをちょっとだけ開けて、個室の中から少し顔を出して見合わせて笑ったことが何度あっただろう。
小さな隙間から小さく手を振ったことが何度あっただろう。
私は掃除前の少し乱れた個室に立ち尽くし、そんなことを思いだしていた。
ぐるりと個室を見回す。
初めてシャトークイーンの個室を見た時はとても驚いた。
『花』と比べてあまりにも広くて豪華で怖気づいたことを思いだす。
浴槽があまりにも広くて「潜望鏡はどうやってやるんだろう?」と真剣に考えた。
私はここで何人の男性と会ったのだろう。
何人の男性とお風呂に入ったのだろう。
何人の男性とカラダを重ねたのだろう。
どれだけの会話をしてきたのだろう。
今までの思い出がすごい勢いで私の脳裏に浮かんでは流れる。
私はその脳裏に浮かんでは流れる思い出を「はぁ」と息を吐きながら確認しつつ、ベッドのシーツをガバッと外して掃除を始めた。
ぐるぐると浮かんでは流れる今までの出来事。
ぐるぐるぐるぐるぐる…
ここで起こった辛かったことも苦しかったことも悲しかったことも、もうおしまい。
おっぱいを強く握られて痛かったことも何度も挿入されて擦り切れてしまったアソコのヒリヒリも『自尊心』という言葉がカチ割られるような出来事も、流れていく。
私はまた出てきてしまった涙を知らんふりしてテキパキと個室を綺麗に整えていった。
コンコン…
ドアをノックする音が聞こる。
「はい?」
ドアをちょっとだけ開けると上田さんがひょこっと顔をだして「今ええか?」と言った。
「あ、うん。ええよ。なに?」
「あ、片づけ大丈夫か?備品とか整理するやろ?手伝うで。」
上田さんはぶっきらぼうにそう言うと個室に上がってきた。
「あー。ありがとう。じゃあ頼むわ。」
「おう。」
上田さんは個室のテーブルの上のカゴの中にある大量のタバコを指差し、「これはどうする?」と聞いた。
そして「これは?どうする?」と次々に備品を指差し、私の指示を仰いだ。
私は「これはいらん。お店にあげるわ。」「それもお店で使ってくれる?」と言いながら、ほとんどの物をお店に寄付した。
あまりにも私が全てのものをお店にあげてしまうのを見て、上田さんがこんなことを言った。
「アリンコ。お前、ほんまにこの世界に戻ってくる気ぃないんやなぁ。」
私はその上田さんの言葉にちょっとだけ驚く。
「え…うん。そうやで。なんで?」
私は備品の整理の手を止めることなく上田さんに言う。
「いや…ほんまにいなくなってしまうんやなぁと思ってな。アリンコはすごいなぁ。こんなに潔く辞めていく子ぉは知らんわ。寂しくなるなぁ。はは。」
いつもふざけているけど、不器用さがにじみ出てしまう上田さん。
照れ屋なゆえにいつもふざけているのがまるわかりの上田さん。
その上田さんが「淋しくなるなぁ」と多少ふざけながら言っている。
「ほんまぁ?そんなこと思ってへんやろぉー?まぁたすぐそうやってからかうんやからぁー!あはは。」
私はいつも通りふざけて返した。
上田さんとはそうやってお別れしたかったから。
「ほんまやって!まぁ明日から忘れるんやけどな!ははは!」
「ほら!そうやろうと思ったわー!ひどいわぁ!あははは。」
上田さんは私のいつの間にか増えていったたくさんの備品を段ボールに詰め、「じゃこれほんまに貰ってしまうでー」と言った。
「うん。もらってもらって。新人さんが来たらあげてよ。すぐ使えるものばかりだから。」
「おう。助かるわ。じゃ、あとで送別会で。」
上田さんは重そうな段ボールを抱えながら個室のドアを身体で開けて出て行こうとした。
「あードア閉めるからええで!じゃ後でなー!」
そう言いながら私は個室のドアを閉めるために立ち上がり、段ボールを抱えた上田さんんに笑いかけた。
その時。
「アリンコー。ありがとうな。」
上田さんが照れながら私の目を見てそう言った。
私は急に言われたお礼に戸惑う。
「え?なんで?なんでありがとう?」
閉めようとしたドアの取っ手に手をかけながら戸惑う私。
「え…?いや…まぁ、ありがとうな。」
上田さんはバツが悪そうな顔で私にもう一度お礼を言った。
「え?えーと…うん。こちらこそ。ありがとう。ほんまにありがとう。」
キョトンとした顔のまま、私も上田さんにお礼を言う。
「うん…。ほな。あとでな。」
上田さんはそう言うといつものようにひょうひょうとした様子で段ボールを抱えて廊下を歩いていった。
「ふふっ…」
個室のドアを閉めて笑う。
今のやりとりはなんだろう。
「ふふ…」
ガランとした個室で1人笑う。
「ふふふ。今のなんやったん?」
独り言を言いながら、仕事着から普段の洋服に着替える。
自分の荷物をまとめて、籐のハンガーラックの引き出しに無造作に入れてある今日の売り上げ金を取り出す。
1万円札がたくさん出てくる。
いや、厳密にいえば『1万円と書いてある紙』がたくさん出てきた。
私は引き出しから『1万円と書いてある紙』を手に取り、またまじまじとそれを見つめた。
私はコレを貯めるためにここで働き、そして大量のコレを明後日にはK氏に渡しに行く。
コレは一体なんだろう?
私がずっと考えていること。
この紙は一体なんだろう?
しばらくソレを見つめてから、私は自分のお財布にソレをしまった。
「有里ちゃーん!どう?仕度できたー?もうタクシー呼んでしまってええのー?」
個室のドアの前で理奈さんが私に話しかける。
「あー!ごめーん!もう行くわー!」
私は我に返り、理奈さんの問いかけに答えた。
私はもう一度ぐるりと個室を見回し、「ありがとうございました」と頭を下げ、パタンと扉を閉めた。
もうこの個室に入ることは二度と、ない。
つづく。
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192
「有里みたいにこうやってきちんと辞めていく子ぉは初めてや。」
富永さんが私をチラッと見ながらしみじみ言う。
「そうなんや。へぇ…。そうなんやなぁ。」
みんなどうやって辞めていくんだろう。
急にいなくなってしまう子ばかりなのかな。
もしそうなら、その度に富永さんは淋しい思いをしたんだろうなぁ。
「この店に来てまだ間がないころ、どこか旅行に行ったやろ?」
「ん?あぁ行ったなぁ。」
「その時有里が店用とわし用にお土産をくれたじゃろぉ?」
「え?あぁ。そうやったね。」
「わしはあの時驚いたんじゃ。この子はすごい子ぉやって思ったんやで。」
「え?!そうなん?!そんなん当たり前のことやろ?それにたいしたことないお土産やで?!」
「いや、そういうことが出来んようになってしまうんや。この世界にいるとな。もしくはそういう事が出来ん子ぉやからこの世界に入ってきてしまう子ぉがほとんどなんやで。有里は未だに知らんやろ?そういうことを。」
私は富永さんの話にぽかんと口を開いた。
「あー…そうなんやなぁ…。」
「有里はこの世界に来てもそういう『普通の感覚』を忘れないでいた貴重な子ぉや。すごいなぁ。この店に来てくれてほんまにありがたかったで。あんまり稼がせてやれんかったのは申し訳ないと思ってるで。ほんまにな。」
『この店に来てくれてありがたかったで』
私は富永さんのこの言葉に目を見開き、胸にグッと何かがこみ上げた。
「えぇ…?!ちょっと…もう…やだ…もー…なに言うてるん?もぅ…やだ…」
さっき一生懸命引っ込めた涙がぶわっと溢れる。
「うー…ありがとう…うぅ…うー…稼がせてくれたやんか…ていうか、そんなことより…めっちゃよくしてくれてありがとう…うぅ…」
私はボロボロとながれる涙をそのままにしながら富永さんにお礼を言った。
「ほら。鼻水出てるでー。」
「うぅ…ありがと…」
富永さんは私の方を見ないようにしている。
「お!有里。隠れて。」
富永さんが私をフロント下に隠れる様に促す。
「小林くんがおかえりじゃ。」
私は富永さんの足元にグッと身を隠した。
「ふふっ」
泣き顔のまま笑う私。
こうやって何度ここに身を隠しただろう。
お客さんに姿が見えないように。
そういえばこの場所に理奈さんとぎゅうぎゅうになりながら隠れたこともあったな。
「あー!ありがとうございました!またよろしくお願いいたします!」
富永さんが立ちあがってフロントの向こうにいるコバくんに挨拶をしている。
「ありがとうございました。」
コバくんも礼儀正しく挨拶をしている。
「あ、はい!有里はもういなくなってしまいますが、もしよかったらまたシャトークイーンをよろしくお願いします!」
富永さんが深々と頭を下げているのを身を縮こませながら下からジッと見る。
この人はこうやって生きてきたんだなぁ…なんて思いながら。
自動ドアの音が聞こえる。
「ありがとうございましたー!」の上田さんの声が響く。
コバくんが帰って行った。
富永さんはコバくんが帰って行ったことを確認すると私に向かって声をかけた。
「じゃお疲れさんのコールいれるからな。有里はもう少しここにいてくれ。」
「え?うん。」
富永さんはすぐ控室に『お疲れさま』のコールをいれた。
そのコールを聞いた女の子たちがバタバタと掃除を始める音が聞こえてくる。
「あ…私も掃除に行かなきゃでしょ?」
控室の掃除も今日が最後だ。
みんなと一緒に掃除をしなきゃと思い、富永さんに聞く。
「いや、今日はええやろ。有里は特別じゃ。」
「え?いや…そうなん?」
「おう。そうじゃ。みんなにやってもらえばええが。それでな、渡したいものがあるんじゃ。」
富永さんはそう言うと、封筒を2つと何かの包みを2つ、フロントの台の上に乗せた。
「まずこれじゃ。これは社長から。お疲れさまと言ってたで。」
「え?!なに?!」
富永さんが私の前に差し出した封筒はかなり豪華な飾りがついたもので、『餞別』と書かれていた。
「え?!なんで?!なに?!これ?」
私は驚いてその封筒を富永さんに押し返してしまった。
「いや、もらっていいんじゃ。ちゃんと辞めていく子ぉにはこうやって渡すもんなんじゃ。社長からのねぎらいやから。な。」
私は富永さんの言葉を聞いて、その豪華な封筒を驚きながら受け取った。
「あぁ…なんか…申し訳ないなぁ…ありがとう。」
恐縮する。
私はこれを受け取れるほど店に貢献していないから。
「あとこれはお店からじゃ。」
富永さんは恐縮している私にもう一つの封筒を差し出した。
社長からのものよりはシックな封筒に、また『餞別』と書かれている。
「え?!やだ?!なんで?もういいよ!!」
私はいたたまれない気持ちになり、また富永さんに封筒を押し返してしまう。
「いや、これはわしらからの気持ちじゃ。受け取ってくれな困る。な?」
なんで…
なんでここまでしてくれるんだろう…
なんだか困り過ぎて泣けてくる。
「うー…なんで?困るわぁ…私、こんなことしてもらえるようなこと、なんもしてへんのに…」
こんなことならもっと頑張ればよかった。
怠けたこともあきらめたこともたくさんあったのに。
「よぉ頑張ってくれたで。ほんまに。ほら。受け取れ。」
富永さんが優しい小さな声で私に言う。
「うぅ…ありがとう…うん…」
私は泣きながら『餞別』を受け取った。
「あとはこれじゃ。」
「え?まだなんかあるん?もうええわー…」
「そう言わんと。これはわしからじゃ。」
富永さんはそう言うと小さな包みを私に差し出した。
「何をあげたらいいかわからんくてなぁ。良さそうな茶碗があったから買うてきたんじゃ。よかったら使うてくれ。」
「うん…ふふ…ありがとう。」
何を買ったらいいかわからず茶碗を買う富永さんがなんだか可愛くて笑ってしまう。
この人のこういう可愛らしいところが好きだ。
「あとは…これなんじゃ。これは有里がどう思うかわからんのやけど…。わしは絶対にあげたかったんや。これは最後の日に絶対渡そうと思ってたものなんじゃ。ここにも書いてあるけどな、帰ってから開けて欲しいんじゃ。もしいらんかったら捨ててくれ。」
富永さんは小さな小さな木の箱を私に差し出した。
その小さな小さな木の箱の蓋には『帰ってから開けて♡』と書かれたシールが貼ってあり、セロハンテープで蓋が閉じられていた。
「えぇ?!なに?これ?」
「まぁ帰ってから開けてくれ。のぅ。」
「えー!気になるー!なんやろ?…でも富永さんが最後の日に絶対渡したいって思ってくれた物やもんなぁ。中身知らんけど、それだけで嬉しいわ。ありがとうな。ほんまに。」
「わからんで。開けてみて有里がどう思うか知らんで。でも渡すわ。」
「んふふ。どう思うかな。」
「…有里。お疲れさん。」
「うん。富永さんもお疲れさまでした。いろいろサポートありがとう。」
「いや…。わしの力不足でな。有里ならもっと人気がでたやろうにのぉ。」
「あはは。そんなことないわ。私の力不足や。もっと店に貢献できたんやろなぁ。ごめんやで。」
「…のぉ。有里。」
「え?なに?」
「…辞めても会ってくれるかのぉ。」
富永さんはことさら小さな声で私に聞いた。
胸がドキンと鳴る。
「…んふふ。そうやね。会おうね。」
生きてたらね。と胸の中で言葉を繋ぐ。
「…ほんまか?連絡くれるか?」
「んふふ。うん。するよ。」
生きてたらね。
「そうか。わしはずっと待っとるで。ずっとやで。」
「うん。ふふ。わかった。」
「はぁ…よかった。安心したわ。よし!じゃあこの後送別会やからな!着替えてみんなで行こうか。」
「うん。ありがとう。じゃみんなに挨拶してくるわ。」
「そうやな。そろそろ控室の掃除も終わるやろ。」
「うん。じゃあ後で。」
「おう。後でな。」
富永さんが私に手を差し出す。
私は笑いながらその手を握り、握手をした。
富永さんは私の手をギュッと握り、「うんうん」と頷いた。
私はまだ少し流れていた涙を拭い、控室へと小走りで向かう。
女の子たちにもたくさんありがとうを言おう。
つづく。
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191
最終日の2人目のお客さんをお見送りした後、しばらくして富永さんが私を呼んだ。
「有里。ちょっと来てくれ。」
「え?なに?どうしたん?」
富永さんは私をお客さんの上がり部屋の前に連れて行き、こう言った。
「あの人が来てるんじゃ。あの…理奈のお客さんでいつも有里のページの掲示板に書き込んでる…あのぉ…Ryuさんやったかのぉ。この花を持って来てくれたんじゃ。今ここで待ってもらってるから挨拶したらええが。」
Ryuさんとはいつも私のページの掲示板に書き込みをしてくれる人のハンドルネーム。
理奈さんをずーっと指名している常連さんで、よく私と理奈さんとRyuさんで掲示板内でやり取りをしていた人だ。
Ryuさんから『有里ちゃんが辞めてしまう前に指名して入ろうかと思っていたけど、やっぱり理奈さんに悪いから最終日にお花だけ届けます』とメッセージを頂いていた。
「え?!ほんまに?!来てくれたんや!」
メッセージは頂いていたけど、まさかほんとにお花を届けてくれるなんて思っていなかった私はとても驚いた。
「Ryuさんは会わんでもええ言うとったけどちゃんと会って挨拶したほうがええやろ?ここで待っててもらってるから。一言言うてきたらええが。」
「うん!ありがとう!」
こういう場所でお客さんが指名してない女の子に会うことは絶対にない。
女の子のほうも指名されていないお客さんに挨拶をさせてもらえるなんてことは絶対にない。
富永さんの優しい配慮に感謝が湧く。
コンコン
上がり部屋をノックする。
「はい。」
部屋の向こうで遠慮がちな返事が聞こえた。
「有里です。開けてもいいですか?」
いつもと違った緊張感。
なんだかドキドキする。
「あ、はい!どうぞ。」
ドアの向こうでも緊張している声が聞こえる。
「失礼しまーす!」
「あー!有里ちゃんやぁー!本物の有里ちゃんやー!わざわざありがとう!」
「あははは!こちらこそほんまにありがとうございます!まさかRyuさんに会えると思っていませんでした!お花、ありがとうございます!」
Ryuさんが持って来てくれたお花はとても立派でお店の入口に飾ってあった。
その立派なお花には『祝 有里ちゃん』と書かれた札が付いていて、なんだか芸能人にでもなったかのような気持ちにさせてくれた。
「いやぁ~…なんか…緊張するわ。あはは。何度も指名しようと思ったんやけど…なんかやっぱり理奈さんに悪いと思ってしまってなぁ。ほんまごめんやで。」
Ryuさんははにかんだ笑顔で私に謝った。
でも私は『理奈さんに悪いと思って…』と言うRyuさんをとてもいいと感じていた。
「いやいや。なんか…嬉しいです。そういうの。ほんまにありがとうございました!めっちゃ感動してます。わざわざお花まで…。それにお会いできてほんまによかったです。」
「あはは…俺も有里ちゃんの顔が見られてよかった。ありがとう。これから頑張ってな。応援してるから。理奈さんと有里ちゃんの話したくさんするわ。」
「はい!ほんまにありがとうございました!じゃあ…失礼します。」
「うん。ありがとう。」
素敵な笑顔で私を見送るRyuさん。
ぺこりと頭を下げる私。
ソープ嬢って私が思い描いていたのとは違うと改めて感じる。
こんなに温かく接してくれる人がいるんだなぁとドアを閉めながら思う。
「富永さん。ありがとう。」
Ryuさんに挨拶を終え、優しい配慮をしてくれた富永さんにお礼を言う。
「おう。よかったな。優しい人やな。」
「うん。ほんま。よかった。」
心からそう思うよ。
その日来てくれたお客さんは見知った顔ぶれの人ばかりで、お花やプレゼントをみんなが小脇に抱えて会いに来てくれた。
私はこんなに優しくしてもらっていいのだろうか?と怖くなる。
嬉しい気持ちの反面、いよいよ死ぬんだなという気持ちが強くなっていた。
コバくんの前に予約を入れてくれたお客さんは大きなお花と大きなプレゼントを両手で抱えて来てくれた。
「ほんまは俺が最後に入りたかったんやー!」と悔しがりながら。
みんな一様に「ほんまに有里ちゃんみたいな子ぉに会えてよかった」と言ってくれた。
そして「これから何するかしらんけど、有里ちゃんならどこでもやっていけるよ。がんばれ。」と応援の言葉をかけてくれた。
私は1人1人に心から「こんな私にそんな優しい言葉をかけてくれてありがとう。」と伝えた。
中には私の最後だからとSEXをしないで帰るお客さんもいた。
一緒にお風呂に入ってお酒を飲んでお話しして帰る。
「この時間がいつも楽しみやったんや。」と言いながら。
最終日の今日、私は『ソープ嬢』ってなんだろう?と再び思う。
SEXってなんだろう?と。
最終日最後の時間。
コバくんは時間ぴったりにお店にやってきた。
「ふぅ…」
これでいよいよ終わる。
この時間で最後だ。
あの個室で過ごすのはこれで最後なんだ。
「ご案内しまーす!」
上田さんの声が待合室から聞こえる。
私は待合室の手前でひざまづき、顔を下に向ける。
ここで何度緊張しながらお客さんを待っただろう。
あの吐きそうになる時間も手に汗握る瞬間ももう来ないのだ。
下を向いた目線にコバくんの足が見える。
「いらっしゃいませ!」
パッと顔を上げ、笑顔で迎える。
これも最後だ。
「お二階へどうぞー!」
「うん。ありがとう。」
大きな花束を抱えたコバくんが、ニコニコ笑いながら私にお礼を言った。
腕を組み、2階の部屋へ向かう。
階段を上がりながら小声で「ちょっと!なにその花!すごいやん!」と言う私。
「えへへ。買うてきてしまった。」と恥ずかしそうに言うコバくん。
「あははは」
「えへへへ」
笑い合いながら個室へ向かう。
こういう最後もいいのかもしれないなぁ。
コバくんと私は一緒にお風呂に入り、一緒にビールを飲んだ。
「有里ちゃん。今日はどうやった?」
コバくんはあえて私を『有里ちゃん』と呼び、この時間の最後までは『有里ちゃん』
でいさせてくれようとした。
「うん。たくさんプレゼントもらったで。お花も。コバくんまでくれると思わんかったけど。あははは。」
「えへへ。どうしてもあげたくなってしまって…。よかったな。有里ちゃんが頑張ってきた結果やな。」
優しい目で私を見るコバくん。
ありがたい。
ほんとにありがたいと感じた。
「なんも頑張ってへんけどなぁ。みんな優しい人ばっかりや。申し訳ないくらいや。」
最後まで泣かないつもりだったのに涙がこみ上げる。
「よぉがんばったでぇ。俺、すごいと思うわ。有里ちゃんはすごいわ。俺、自慢やもん。有里ちゃんと知り合った俺、すごいと思うわ。めっちゃラッキーやと思うで。きっと他のお客さんもみんなそう思ってると思うで。ほんまにそう思う。」
コバくんが優しい口調でそんなことをいうもんだから、私の涙腺が崩壊してしまった。
「うぅ…そんなん言わんでよ。うー…泣いてしまったやんかー!うー!そんなことないわ!うぅー!うわーん!」
コバくんは私の頭をポンポンと撫でた。
そして「うんうん」と何度も頷いて「よぉがんばったで」と言った。
最後の90分はあっという間に終わった。
泣いてお話してビールを飲んで思い出を語ってまた泣いて。
「さ!もう行かなな。有里ちゃんはこの後送別会やろ?俺、先に寝てるからゆっくり楽しんで来てな。」
コバくんが身支度を整えながら言う。
「うん。朝まで飲んでしまうかもしれん。ごめんな。」
「うん。帰ってきたらいっぱい抱きしめるから!気ぃつけて行ってきてな。」
「うん。わかった。」
泣き顔を整えてフロントにコールを入れる。
「お客様お上がりです。」
「はい。…有里。お疲れさまでした。」
受話器の向こうの富永さんが気持ちを込めて『お疲れさまでした』を言ってくれているのがわかる。
また泣いてしまいそうだ。
「有里ちゃん。ほんまにお疲れさまでした。」
個室を出る時、コバくんが改めて言葉をかけてくれた。
「うん。ありがとう。」
今日は何度『ありがとう』と言っただろう。
雄琴に来た時はこんな最後になるなんて想像もしていなかった。
こんなに温かい最終日になるなんて思いもしなかった。
「お客様お上がりでーす!」
階段を降りながら下で待機している上田さんに聞こえる様に声をかける。
階段の下で私を見上げる上田さんの姿を見るのもこれが最後なんだなぁ。
「お上がりなさーい!こちらへどうぞー!」
上田さんがコバくんを上がり部屋に案内する。
「ありがとう。じゃ。」
コバくんが私に向かって小さく手を振る。
「うん。じゃあ。」
ニコッと笑って見送る。
そして私は深々と頭を下げた。
「…ふぅ…」
顔を上げ、一息つく。
「有里。お疲れさん。」
フロント横のカーテンが開き、富永さんが顔を出す。
「うん。お疲れさまでした。」
「ちょっとこっち来て。」
富永さんが私をフロントに呼ぶ。
「うん。」
私は富永さんの横で正座をした。
「…終わったなぁ。」
富永さんが淋しそうな顔で私にポツリと言った。
「うん…。終ったなぁ。」
私もポツリと答える。
「長い事この世界で仕事してきたけどな、有里みたいにこうやってきちんと辞めていく子ぉは初めてじゃ。」
富永さんが下を向きながら話し始める。
この後私はやっとひっこんだ涙がふたたび溢れることになる。
つづく。
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190
仕事を辞めるまでの数日間、毎日お客さんが花やプレゼントを持って店に来てくれた。
その中の1人のお客さんはティファニーのブレスレットを私に渡しながら「ほんとは指輪を送りたかったんだけど…きっと有里ちゃんはそんなことをしたら引くと思ってこれにしたんや。」と言っていた。
そのお客さんは今の奥さんと離婚して私と結婚したいという希望を持っていた。
私はその都度「私は誰とも結婚する気はない」と言って断り続けていた。
それはほんとのことで、私なんかが結婚なんてできるわけがないし、そして死んでしまうかもしれないんだから。
「今はブレスレットだけど、今度は指輪を送らせてほしい。店を辞めても会ってほしい。」とそのお客さんは言った。
私はどうせ死んでしまうかもしれないし、今後のことなんてわからないから「じゃあこっちから連絡するから連絡先教えて。」と言ってそのお客さんの電話番号を書き留めた。
ここに連絡ができたら私は無事だったってことなんだなぁとなんとなく思いながら。
ダウンタウンの松ちゃん似の、私にプロポーズをした彼も私が辞めると知って予約を入れてくれていた。
「ほら!これ。」と言いながら私の好きな日本酒をぶっきらぼうに手渡す松ちゃん。
「お前は俺の気持ちを受け入れなかったひどい女や!どこにでも行ってしまえや。」
そんな言葉を「ケッ!」と言いながら吐く松ちゃん。
なんだか「ふふ」と笑ってしまう。
「笑いごとちゃうで!ほんまに。」とブツブツ言いながら水割りを舐める。
そんな松ちゃんは個室を出る時小さな声でこう言った。
「まぁ…あれや。がんばれよ。お前ならどこでもやっていけるやろ。」
私は松ちゃんのその言葉を聞いて、また「ふふ」と笑った。
そして「ありがとう」と抱き着いて伝えた。
最終日。
私は仕事に行く前に、コバくんに「今日予約入れてたやろ?」と聞いた。
それまでそのことに触れずに毎日を過ごしていた。
向こうから言い出さないかと思いながら。
でもコバくんサプライズのつもりだったらしく、私にそのことを言ってはこなかった。
「え?!なんで?!なんで知ってるん?!」
驚くコバくん。
その顔を見て私は笑った。
「あははは。バレてないと思ったやろ?実は数日前から知っとったんよ。最後に予約入れてくれたんやな。ありがとう。」
私はモヤモヤした気持ちをどこかに押しやってお礼を言った。
コバくんの精一杯の気遣いだと思ったから。
「…うん。俺、どうしても最後に予約入れたかったんや。最後にお疲れさまって俺が言いたかったんや。誰にも譲りたくなかったんや。…ごめん。」
コバくんが私に謝った。
下を向いて謝った。
「なんで?なんで謝るん?」
「…いや、他のお客さんも最後に入りたかったやろうなぁと思って。俺はゆきえと一緒にいられるのに、それなのに有里ちゃんの最後まで俺がとっちゃって…。ゆきえも嫌がるかもしれんと思いながら、でも俺がどうしても最後は入りたかったから。」
コバくんもコバくんなりに葛藤があったんだな。
私はそれを聞いてちょっとだけモヤモヤが治まっていることに気付いた。
「そうかぁ。いろいろ考えてくれてありがとう。ありがとうな。」
こんな私のことをいろいろ考えてくれる人がいる。
お客さんもこの人もお店のみんなもほんとに優しい。
「…ゆきえ、怒ってへん?」
コバくんがまた子犬のような顔で私に言う。
「え?怒ってへんよ。なんで怒るん?嬉しいよ。ほんまに。」
「ほんま?ならよかった!俺、今日最後にいっぱいお疲れさま!って言うから!心からお疲れさまって言うから!待っとって!」
コバくんが子どもみたいな顔で嬉しそうにしている。
「あははは。うん。待っとくわ。気ぃつけてきてな。」
「うん!ゆきえ。今日が最後やな。頑張って。楽しんでな。な?」
「うん。そうやな。がんばってくるわ。」
コバくんは「大好きやで!」と言いながら仕事に出かけた。
私は部屋の掃除をしてコーヒーを飲んだ。
ボーっとしながら今までのことを振り返る。
そして今日が終わったら…と明日以降のことを考える。
私は私の決めたとおりのことを実行し、そして完了しようとしている。
雄琴に来て過ごした時間はとても大変で辛くもあったけれど、ワクワクドキドキしたことばかりだった。
死ぬ覚悟で飛び込んだ世界は思ってたものよりも優しくて、そして刺激的だった。
死んだように生きるより、死ぬ気で生きる方が伸びやかなんだということを知った。
明日以降どうなるかなんてわからない。
でも私は私が決めたように進むだけだ。
それがたとえ『死』を招こうとも。
今日でお店でのお仕事を終える。
『ソープ嬢の有里ちゃん』として生きるのは今日が最後。
「…はぁ~」
コーヒーを飲んで息を吐く。
私は今ここにいるんだなぁ…
幼いころの一番最初の記憶と同じことを思う。
私の幼いころの最初の記憶は砂場で遊んでいて空を見上げた時、『あぁ…私は今ここにいるんだなぁ』と思ったことだ。
私はどこにいても『あぁ…私は今ここにいるのかぁ…』と思う。
まるで他人事みたいに。
そして『どうしてここにいるんだろう?私はなんでここにいるんだろう?』と小さく首を傾げる。
私は今ここに居て、そしてどこへ行くんだろう。
「よし。仕度するか。」
ボーっとそんなことを考えていた私は意識を『自分』に戻す。
化粧をして綺麗な洋服を身に着ける。
玄関に置いてある姿見で全身をチェックし、自分が『有里ちゃん』になっていることを確認する。
「行くか。」
『有里ちゃん』になった私は背筋をスッと伸ばし、カツカツとヒールを鳴らして部屋を出た。
「おはようございまーす。」
いつもと変わらない挨拶。
いつもと変わらない控室。
いつもと変わらないお店。
全ていつもと変わらないのに、全てが違って見える。
「有里。最後やな。最後まで頑張れ。」
富永さんが拳を握って私に言う。
「うん。がんばるね。あはは。」
いつも通りでいこう。
笑いながら、いつも通りの有里ちゃんでいこう。
今日は予約がパンパンに詰まっている。
最初から最後まで予約でいっぱいだ。
今日来てくれる6人のお客さんに『いつも通りの有里ちゃん』で接して、そしていつも通りに感謝を伝えよう。
これから有里ちゃん最後の日が始まる。
つづく。
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疲れた身体と心を引き締めて仕事に向かう。
あと何回この道を通るんだろう?と思いながら。
タクシーの窓から外を眺めると、見慣れた寂びれた道が続き、そしてその先にうっすらと琵琶湖が見える。
琵琶湖がすぐそばにあるのがいつの間にか当たり前になっていることを感じ、そしてタクシーの運転手さんに「最近店忙しい?」と車中で聞かれるのが普通のことになっている不思議を感じていた。
私はこの約11か月の間でれっきとした『雄琴のソープ嬢』になっていた事実にハッと気づく。
私は雄琴に来る前の私とまるで変わっていない『私』のままなのに、いつの間にか『雄琴のソープ嬢』として見る人たちが周りに増えているし、こともあろうか私が私を『雄琴のソープ嬢』として扱っている時間が増えている。
「ぼちぼちですかねぇ。運転手さんは?忙しい?」
「いやぁ~、お姉さんたちほどやないわぁー。ぼちぼちって答えるってことはお姉さんは売れっ子ってことやなぁ~。綺麗やもんなぁ。お姉さんみたいな人が出てくるんやったらおじさんも店に行きたいわぁ。」
ほら。
運転手さんも私を『ソープ嬢』として扱うでしょ。
雄琴に来たばかりの時はタクシーの運転手さんに『ソープ嬢』だとわかってはいけないのかもしれないとさえ思っていたのに、今はこの町ではソープランドと運転手さんは共存しているということを知った。
「もう~!うまいやんからぁー。そんなこと言うてほんまに来てくれた人おらんでぇー。嘘ばっかりやなぁ~。あははは。」
「ちゃうちゃう!おじさんたちの給料安いんやから!お姉さんくらいの人がいる店は高いやろぉ?なかなかいかれへんのやで。ほんまは行きたいんやでぇ。」
「はいはい。たくさん稼いだら来てな。」
「ほんまに行くで!名刺持ってるん?おじさん欲しいわ。」
「あはは。名刺は持ち歩いてないねん。シャトークイーンにおるから。」
「名前は?名前教えてくれる?」
「んふふ。有里です。覚えた?有里。」
「え?アリ?アリンコのアリ?」
「もー!里が有るで『有里』!」
「へー!珍しい名前やなぁー!もう覚えたで!絶対行くから!」
「はいはい。ありがとうなぁー。」
こういう会話を何度交わしてきただろう。
私はいつも『有里』というキャラクターを演じる。
『ソープ嬢の有里ちゃん』のキャラクターに一瞬にしてなれるようになったのだ。
そしてそれが嫌いではない。
むしろ好きな方だ。素の自分ではないから。
それももうすぐ終るのかと思うとなんだか胸がキュッとなる。
この日常がもうすぐなくなる。
「おはようございまーす!」
店の裏口から控室に向かう。
「あ、有里ちゃんおはよー。」
「有里ちゃんおはよう。」
「あ、有里さん。おはようございます。」
先に来ていた女の子たちが挨拶を返してくれる。
たったこれだけのことにグッとなにかがこみ上げる。
「おはようございまーす。」
フロントのカーテンを開け、富永さんに挨拶をしながら雑費の2千円を渡す。
「お!おはようございます。今日もよろしくお願いします。」
富永さんは頭を下げて挨拶をした。
富永さんはいつも朝の挨拶をきちんとする。
『わしらは女の子に食べさせてもらってるっていうことを忘れたらあかんのや』といつも言っている富永さんが守っている礼儀の現れだ。
この人はほんとに真面目で頑固な人だ。
そして優しい。
「有里。あと少しやな。もうほとんど予約で埋まってるで。最終日はもう予約でいっぱいじゃ。すごいなぁ。愛されとるなぁ有里は。」
富永さんが私に予約表を見せた。
最終日の31日の予約表をみると、予約が全部埋まっていた。
「え?ほんま?すごいな。」
私はその予約表を見て驚いた。
私の最後の日に来てくれる人がそんなにいるなんて思っていなかったから。
「最終日を狙って電話かけてくるお客さんまだまだおるで。有里がHPで辞めること書いてからいきなり増えたんじゃ。今日ももう何人も最終日に予約取られへんくてがっかりしてたわ。」
「えー!ほんまぁ。ありがたいなぁ。」
私がHPで店を辞めることを書いたのはほんの2日前。
掲示板にも日記にも感謝の気持ちを込めて文章を綴った。
それを読んで予約を入れようとしてくれた人がいたことが嬉しかった。
「で?最終日の最後の時間は誰になったん?」
「ん?この最後の予約はだいぶ前に入ってたで。えーと…小林さんや。」
え?
小林…さん?
ん?
まさか?
「小林さん?」
「おう。前に来たじゃろ。あの若いちょっと小太りのあの人じゃ。」
…あー…
絶対コバくんだ…
以前私の体調が悪い時に、心配して店に予約を入れてきた時があった。
「ゆきえは何にもしなくていいから。この時間はゆっくりしておきぃ。」と言いながら個室で休ませてくれた。
最終日の最後の時間の予約を入れてたなんて知らなかった。
しかもだいぶ前に予約をいれていたなんて。
「こりゃ絶対有里に気があるで。辞めた後付き合おうと思ってるんやろが。のう。」
「あはは…そりゃないわー。」
…いや、もう付き合ってるんだけどね。
「まぁあと少しじゃ。みんな有里に会いに来るんや。がんばってくれ。のう。」
「はい。がんばります。」
「日記も最後まで書くんじゃろ?わしはあれを楽しみにしてるんじゃ。書いてくれ。のう?」
「うん。ありがとう。書くよ。最後まで書くよ。」
「じゃ、今日もよろしくお願いします。」
「よろしくお願いします!」
コバくんが最終日の最後の予約を入れていたことに少しだけ感動を覚えている自分がいる。
でもその反面、違うお客さんも入りたがっていたのに!と怒りも感じていた。
コバくんなりの気遣いであり、コバくんなりのケジメの付け方なのかもしれない。
「うーん…なんかモヤモヤするな…」
ほんの少しだけ感じていた感動も時間が経つにつれ薄まる。
そしてモヤモヤが際立ち始めた。
私を思って入れてくれた予約なんだろう。
コバくんの優しさなんだろう。
モヤモヤするなんて酷すぎる。
私は自分のモヤモヤをなかったことにして「コバくんは優しいな」と思うことにした。
「有里ちゃん。もう最後まで忙しそうやなぁ。予約いっぱい入ってたでー。さすがやな。」
控室に行くと理奈さんがニコニコしながら私にそう言った。
「びっくりしたわぁー。みんな優しいなぁ。ありがたいわ。」
「私のお客さんも有里ちゃんに会いに来る言うてたで。私に確認とってる人ばっかりやから気ぃ使わんでもええからな。みんな有里ちゃんに一回会いたい言うてる人ばっかりやから。」
「え?!そうなん?うわぁーありがたいなぁ。」
「よろしくなぁ。ええ人たちばっかりやから。」
「うん。緊張するけどなぁ。」
「あははは。よぉ言うわ。」
理奈さんとのこのたわいもない会話ができるのもあと少し。
私はこの人にどれだけ助けられただろう。
「理奈さん。」
「ん?なに?」
「えへへ。」
「なによぉ。気持ち悪いなぁ!」
「えへへ。あのな」
「うん。なによぉ。」
「理奈さん大好き。」
「えぇ!急になによぉ。びっくりするやんかぁー。恥ずかしいやんかぁー。」
理奈さんが笑いながら照れている。
「あははは。だってほんまにことやもん。大好き。理奈さん大好き。」
「いややぁー!有里ちゃんがおかしなったわ!あははは。」
「えへへへ。」
その後理奈さんは笑いながら声を少し小さくして私にこう言った。
「私も。えへへ。私も有里ちゃん大好きやで。えへへ。」
「いやぁーん!嬉しいーー!大好き!」
私は照れ隠しで理奈さんに抱き着いた。
そして泣きそうになっていることをふざけて隠していた。
もう十分だな。
優しい人たちに囲まれて、思っていたようなひどい出来事にも見舞われず、私はこの雄琴ですごい時間を過ごせたんだな。
店の控室で座ってる私。
この場所に座ることももうなくなるんだ。
私はこの一瞬を忘れたくないと思っていた。
スピーカーから聞こえてくる声。
テレビの音。
「ほんま今のお客さんムカついたわー」の女の子の愚痴。
「いってきまーす」「いってらっしゃーい」のやりとり。
上田さんの「アリンコー」。
控室に響く誰かのいびき。
急に控室にやってくる下着屋さんの女性。
デカいコンドームの箱。
ローションが入っている麦茶ポット。
個室の匂い。
階段の下で待つ緊張感。
「いらっしゃいませー!」と言う私の声。
個室でのお客さんとのやりとり。
ローションのベタベタ。
マットの感触。
コンドームの感触と匂い。
お客さんを帰した後のホッとする時間。
これが私の毎日からなくなる。
だから覚えていたいと思っていた。
私は毎日クッと切なくなる瞬間を味わいながら、丁寧に時間を過ごそうと意識していた。
シャトークイーンでのお仕事が、終わっていく。
つづく。
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